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自分自身のために泣こう
いともやさしい心こそ
自然から人類が授かったもの
白然が人類に涙を贈ったのが
その証拠
 
 このシンプルな詩を、ジャン=ジャック・ルソーは好んでいたといわれます。弱々しくいろんな“不幸”におちいりやすい存在。その存在にふさわしい素質として、ルソーは「やさしさ」に注目しました。真にやさしい人間だけが、ほんとうの寂しさを知る、感じる、と考えていました。
 私たちは心が傷つき、時には昼も夜も泣き続けたい、という思いにかられることがあります。けれども、現代人にはほんとうに泣ける場所がどこにもありません。だから、人びとは心の水がめに涙をいっぱいためこんでいるのです。
 私たちが泣き続ける、その涙の意味は、どこにあるのでしょうか。それは相手に関わりがあるようでいて、相手よりも自分自身の気持ちに向けられているのではないでしょうか。
 泣きたいのは、自らの気持ちにまとわりついた苦しみやつらさを、涙とともに洗い流したいからでしょう。泣くことによって、気持ちが少し楽になります。その泣いている人の涙を見たり、思いを聴くことによって、聴き手の内面からも濁りが浄められていきます。
 昼も夜も泣いていたい、と思うのは心のどこかに、誰かに許されたい、受け入れられたい、という気持ちがあるからでしょう。
 
一日限り
 先の見通しがたたない不安感。たった一人で深く暗い穴にいるような孤独感。いつまで、こうしていなければいけないのだろうという焦燥感。こうした心の葛藤が私たちを締めつけます。
 そんなとき、「今日一日の暮らし」と考えてみたらどうでしょうか。作家の水上勉さんは、『一日暮し』(角川書店)のなかで、江戸時代の禅僧正受老人、慧端の言葉「今日一日暮す時の務めをはげみつとむべし。如何程の苦しみにても、一日と思へば堪へ易し。(中略)一大事と申すは今日只今の心也。それをおろそかにして翌日あることなし」を紹介しています。
 「たった一日でよい。あすもあさっても生きたいと思うから、この世が面倒になる」という水上さんは心筋梗塞をわずらい、九死に一生を得ました。一日が終わり眠るときには「死ぬつもりで」ベッドに入り、朝を迎えるのは「何か儲けた気がする」といっています。
 人生は日々刻々と変わっていきます。自分自身も、他者も、その関係も日々刻々と変化し、同じときは二度とないのです。
 日々続いていく介護もまた、果てしなくずっと続いていくように思えるかもしれませんが、状況は同じものは二度とないのです。
 先々のことをくよくよ思い、過ごすのではなく、一日だけ、なんとか生きることができれば、明日は明日でやってくるのです。遠い先のことを見すぎると、人生は重荷となり、恐れや不安が生じます。
 自分自身を信じて、今日一日を生き切る。その生き切るいさぎよさが、あなたの人生を、関わりを変えていくのです。そこから、新しい生きる日々が生まれてくるのではないでしょうか。







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