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VII.D.2. KBミステイク
 人間の頭は、問題の「深層構造」を見出すことのできる非常に強力な問題解決機である(KB行動において)。深層構造の概念の説明として、シャンク(1982)は、ロミオとジュリエットとウェストサイド・ストーリーに共通するテーマに言及している。ルネッサンス期のイタリアと、現代ニューヨークのギャング闘争のストーリーは非常に異なるが、深層では同一の構造を共有している。しかしこの類似性を探るためには、頭の中で全体の概略を要約し、比較しなければならない。つまりKB行動の活動である。KB行動は莫大な知的資源を要し、時間もかかる。またKB行動は順を追って展開される(RBルールがいっせいに実行可能な状態であるRB行動とは違う)。KB行動では、RB行動よりも頻繁にミステイクが発生する可能性が高い。これらのミステイクの体系はバイアス(bias)とヒューリスティック(heuristics)の2つに分類することで簡略化できる。
 
VII.D.2.a. ヒューリスティック
 ヒューリスティックは知的「経験則」である。人はあまり知的努力を重ねなくても、つまり時間をあまりかけなくても、問題の診断に役立つヒューリスティック(知的経験則)に頼ることが多い。たいていヒューリスティックは役に立つが、これらは近道であるため、船員が適切で正確な情報を省略してしまう可能性がある。使用可能な全ての情報を処理し、最も有望で論理的な結論が得られるまで論法を進めずに、近道を通ると実際の状況を誤って理解することにもなりかねない。「ヒューリスティック」レベルの下位に分類されるものは、正式調査にのみ必要なものである。
 
VII.D.2.a.i 代表性ヒューリスティック(Representative Heuristic)(正式調査のみ必要)
 定義:「これは、長期的な記憶に既に存在する特定の状況の描写に、現在の状況から得られた手掛かりを当てはめる傾向である。簡単に言えば、認知した情報と記憶にある事柄の比較である。現在の状況の手掛かりが、記憶に収められた特定の状況に適合する場合、その状況が同様または同一であるという結論が導かれる。そのため意思決定者は以前にとった行動が今回も適切であるとの結論に至る。しかし現在の状況から認識された手掛かりが不完全、またはあいまいである場合は不正確な適合が生じる。長期的記憶にある手掛かりのパターンが、現在の状況の指標として適切でなければ、その判断や意思決定に欠陥が生じる可能性がある。人は適合が確立すれば、その解釈に固執してしまう傾向があり、反対の証拠があるにもかかわらず、その解釈を変えないことが多い。」(リーズン:86−96)
 :数回しか訪れたことのない町で、ある場所までの道順を尋ねる場合、聞きなれた道の名前やランドマークにしか注意を払わない。頭の中で描いた道順を思い出すが、他に手掛かりとなるものを考慮しなかったため、描かれた地図はこの場合正確なものではないだろう。したがって道に迷う可能性が高くなる。
 要約:代表性ヒューリスティックのエラーの決定的な特徴は、ア)認知情報と記憶にある特定のパターンとの適合が不正確であること、イ)現在とられた行動が、現在の状況の誤った解釈に基づいているために不正確であることである。
 
VII.D.2.a.ii. 利用可能性ヒューリスティック(Availability Heuristic)(正式調査のみ必要)
 定義:「これは、記憶の中で利用可能性が最も高い仮定を用いて、状況を診断する傾向、つまり頭にすぐに浮かんだ事実に過度のウェイトをおくことである。最も利用可能性が高い仮定が、最も確かなものであるとは限らず、ただ単に最近経験したもの、またはあまり複雑ではないものである可能性が高い。」(リーズン:86−96)」
 :「調査におけるヒューマンファクター」のコースで、モーリー・ヒル(ヒューマン・パフォーマンス部部長)が線模様のスライドを見せ、コースの参加者にその模様が何であるか、または何を表したものか質問する。時間をおいてモーリーは、参加者にその模様が沿岸部の地図であることを告げる。次のスライドを見せ、同じ質問をした。すると参加者の大部分は、その模様が何らかの地図に「見えて」いた。だが、実はその模様は牛の頭を描いたものであった。
 要約:利用可能性ヒューリスティックエラーの決定的な特徴は、都合の良さから不適切な仮定が選択されることである。
 
VII.D.2.a.iii. 「まるで」ヒューリステイック("As if" Heuristic)(正式調査のみ必要)
 定義:「これは全ての情報源を、『まるで』同等の信頼性を有しているかのように扱う傾向である。単なる周辺情報に、非常に信頼性の高い情報と同等の信頼性が与えられることである。」(リーズン:86−96)
 :簡単に心拍や脈拍を測る手段として、2本の指を手首や喉のような皮膚表面の血管に当てる方法がある(心臓からの血液の拍出)。この方法は、聴診器を胸に当てて鼓動を聞く、心電図を用いて心臓の電気的活動を測るといった手段と比べると、信頼性が極めて低い。心臓機能の一般的な説明においては、手首や喉の触診は、十分な情報を提供する手段として同等の信頼性を有するが、危機的状態においては心電図の結果が心機能の測定に用いられるべきである。
 要約:「まるで」ヒューリスティックのエラーの決定的な特徴は、信頼性に関して認知情報の全てに同等のウェイトを誤って置くことである。
 
VII.D.2.b. バイアス
 バイアスとは、状況に関わらず、特定の対応を適用する傾向のことである。バイアスは「問題空間」の認識方法と、注目する要因の選択に伴う根本的な問題である。この項は一般的なバイアスによるミステイクを説明する。「バイアス」階層の下位に分類されるものは、正式調査にのみ必要なものである。
 
VII.D.2.b.i. 顕在性バイアス(Salience Bias)(正式調査にのみ必要)
 定義:「これは、物理的に重要な特徴や証拠に注目し(音が大きい、明るい、最新、中心に見える、解釈が容易であるなど)、問題の性質の診断情報を導く重要な手掛かりを無視する傾向である。顕在性バイアスは、意思決定者は、特にストレスのある状態ではそうであるが、得られる全ての情報を処理しているわけではないという事実に起因する。このバイアスは、意思決定者が選択的に情報を処理することから、「選択性(selectivity)」としても知られている。
 :川でのタンクバージの荷積みに先立ち、労働者がタンクを洗い、残留メタノールが入っていたタンクを空にした。残留メタノールは貨物ポンプ室としても使われている船首部分の格納庫へと流れたようだ。5日後船員が荷積みの前のコンパートメントチェックでその格納庫に「水」があるのを見つけた。メタノールは水に似た無色の液体で、当時の状況では船員が有毒な気体のにおいを嗅ぐことができなかった可能性がある。その後同じ場所でタバコの吸殻の不始末が原因で大爆発が起こった。
 要約:顕在性バイアスエラーの決定的な特徴は、誤った特徴に注意を払ったか、あるいは正しい特徴に注意を払わなかったことである。
 
VII.D.2.b.ii. 確信バイアス(Confirmation Bias)(正式調査にのみ必要)
 定義:「これは、既に真実だと信じている事柄を確証する情報を求める傾向のことである。したがって、選択した仮定と矛盾する情報は無視、軽視される。」(リーズン:86−96)
 :ARPAで状況を確認した後、船長が右舷の船橋ウイングから横切り船を観察した。ARPAを見ながら船長は、自船は右舷側の横切り船のかなり前方で通過すると判断した。船橋ウイングではすぐに、横切り船の位置と方向を確認し、その船の灯火を双眼鏡でとらえたが、コースが変化し2隻の船がCBDRにあったことに気づかなかった。衝突の直前まで船長は自分の船が他船の前方で通過すると確信していた。船は船長が立っていたところとほぼ同じ場所で衝突した。
 要約:確信バイアスエラーの決定的な特徴は、予め選んだ仮定を裏付ける情報にのみ注意を払うことである。
 
VII.D.2.b.iii. フレーミングバイアス(Framing Bias)(正式調査にのみ必要)
 定義:「リスクの高い意思決定においては、問題を利益同士、損失同士の比較選択としてとらえる傾向がある。損失に関して言えば、確実な損失よりも、大損失ではあるが実現する可能性は低い損失を選択するという傾向がある。」(リーズン:86−96)
 :外国からカナダに戻るとき、関税を払わなければならない物をわざと申告しない人が多い。初めから申告すると、確実に費用がかかる(確かな損失)。申告せずに見つかることがあれば、それにかかるであろう費用(リスクの高い損失)は更に大きくなるが、見つかる可能性は低いと考える。
 要約:フレーミングバイアスエラーの決定的な特徴は、ア)選択肢が損失(または利益)を基準に評価されること、イ)確かな損失と不確かな損害の可能性では、人はリスクの高い選択をする傾向があることである。
 
VII.D.2.b.iv. 過信バイアス(Overconfidence Bias)(正式調査にのみ必要)
 定義:「状況に対し、自らの知識の正確さとその成果を過大評価する傾向がある。結果として、自分の選択に都合の良い情報だけに注意が注がれ、矛盾する情報は無視される。」(リーズン:86−96)
 :事前職務研修を受けたばかりの未熟なスタッフは、新たに得た知識を適用しようとするときに、このバイアスの犠牲となることがある。実地経験で鍛えられていないと、仲間が用いる「ワークショップ」指向型の知識に対して、「授業」の論理を過大に評価する可能性がある。
 要約:過信バイアスエラーの決定的な特徴は、状況に関する自らの知識を過大評価するために、特定の情報に注意が注がれることである。
 
 沿岸警備隊の隊員は、取り締まり機関として、拘束力のある法律や規制から外れたものは何でも違反であると考えがちである。違反タイプの計画エラーが実際に法的な違反に関連している場合もあるかもしれないが、海難調査官はヒューマンエラー分析においてこの2つを混同してはいけない。違反タイプの計画エラーは確立されたルール、計画、手順を故意に破ることである。場合によっては(全てのケースではない)、その確立されたルール、計画、手順に法的拘束力がある場合もある(規制、法規など)。この項では人々が故意に犯すルールや計画、手順の違反を説明する。
 
VII.E.1. サボタージュ(Sabotage)
 定義:「サボタージュとは、損失を与えるという明確な認識と目的をもって、ルールや規制、作業慣行を故意に破ることである。」(リーズン:195−6)
 :ある技術者がM/V ROTTERDAM号乗船中に、船底に油性の汚水が発生するという整備上のトラブルに見舞われたが、油水分離機を通さないようにパイプをつないで、油水を直接船外に出した。これは米国海域に故意に油を流したこととなり、犯罪行為にあたる。技術者の賃金は機関室の保守コストの削減に基づいて決定されており、油水分離機の過度の運転は予備部品費用を莫大に増やすため(そして賞与が大きく減少するため)、技術者は故意に法律を破った。
 要約:サボタージュの決定的な特徴は、その目的が損害を引き起こすことである。
 
VII.E.2. 日常的違反(Routine Adaptation)
 定義:「作業慣行の設計や規定が十分ではないために、人々が作業手順を定期的に修正したり、手順に厳密には従わなかったりすることがよくあるように、日常的な違反は毎日行われている。習慣的な違反の形成には、(1)労力が最小となるパスを通ろうとする人間の自然な傾向、(2)比較的無頓着で、寛容な環境がある、という2つの要因が重要と思われる。日常生活では、作業を最も速く簡単に行うことにより、一見些細なルールや、取締りや制裁措置がほとんどない手順を違反することになれば、人は日常的にそのルールに違反するようになる。このようなタイプの違反が存在するということは、往々にして、運航者(Operator)を考慮し、システム自体に改善の余地があるということを示唆している。」(リーズン:196)
 :通常、造園技師は人々が遊歩道をどう利用するかということよりも、美的な観点から庭園や公園の遊歩道をレイアウトする。したがって、人々は最短ルートを通ろうと「立ち入り禁止」のルールを日常的に破っている。立ち入り禁止の芝生には斜めに泥の跡がついてしまった。
 要約:日常的違反の決定的な特徴はア)所定の行動よりも簡単な行動があること、イ)違反が頻繁に行われること、ウ)違反に寛容な環境が存在することである。
 
VII.E.3. 例外的違反(Exceptional Adaptation)
 定義:「日常的違反とは対照的に、例外的違反は、作業慣行の1度きりの違反であることが多い。このような明確には特定できない違反は、主として1つのルールや手続きに従えば、他のルールに違反することになるという『二重結合システム(system double-binds)』に起因する。」(リーズン:196)
 :チェルノブイリの現場では、安全規制が故意に無視され、安全テストが必要以上に行われ、最終的に災害が発生した。だが、安全規制違反の目的は悪質な行為ではなく、実際にはテストを通してシステムの安全を改善することであった。
 要約:例外的違反の決定的な特徴は、ア)違反が局所的な条件の産物であること、イ)頻繁には発生しないこと、ウ)状況の改善が目的であることである。







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