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2. 結果・分析/「海」をテーマとした教育の現状
2−1. 学習指導要領・教科書の現状
 まずは現在の学校教育の中で「海」がどのように取り扱われているかを把握するために、学習指導要領と教科書の調査を行った。「海」という視点で学習指導要領を眺めると、改訂の過程で「海」の扱いは徐々に減少し、平成10年改訂の現在の学習指導要領からは「海」という文字を見ることはできない。これは一見、「海」に関する学習が削除されたかのような錯覚を与えるが、現在使われている教科書を見ると意外なほど多くの「海」に関連する学習項目が記載されていることに気づく。
 
 当財団が本事業とは別に実施した「海の教育に関する研究報告書−義務教育の教科書にみる「海」に関する教育内容について−」では、小中学校の教科書における「海」に関連した学習項目を調査しまとめている。詳細は同報告書を参照いただくとして、ここでは小学校の教科書に見られる傾向を簡単に紹介したい。社会科では水産業、歴史、環境、生活、国土、産業、と比較的幅広い分野で「海」に関連した学習内容が盛り込まれているが、一方で理科においては地層、環境、物質と非常に少なく、教科によって「海」に関しての取り上げ方に偏りがみられるのは興味深い。
 学習指導要領の表記が削られているにも関わらず、社会科では「海」に関する学習内容がこれだけ盛り込まれているという事実は、我が国の国民生活と「海」とがいかに密接に関連しているかを物語っている。言い換えれば、人間活動の重要性と意義を学ぶ社会科という教科は、その国の産業に対する姿勢が現れやすいとも解釈でき、我が国が産業・経済の発展に注力してきた戦後の右肩上がりの時代背景がそのまま現れていると言えよう。
 社会科が上記のような状況である一方、理科における「海」に対する扱いが少ない点は、「海」が複雑系の対象であるがゆえの取り上げ方の難しさもあろうが、「海」を利用するばかりでその持続的利用や保全には消極的であった、従来の我が国の姿勢がそのまま現れているようにも見える。
 では学習指導要領で謳われている社会科や理科の学習目標はどのようなものであろうか。戦後の学習指導要領における社会科と理科(平成元年改訂から第1〜2学年は生活科)の目標を対比させたものであるが、目標そのものの表記は非常に簡素化される傾向にある。しかし目標そのものに大きな変化は見られず、表現こそ違えど戦後の学習指導要領に一貫性があるのは事実である(表「目標の変遷一覧」:付録参照)。
 
 以上から、教科学習においては人間の社会活動や自然の原理現象を系統的に、言い換えれば縦割り的に学ぶことを目標としており、ここに「海」という分野横断的な関連付けを行うことは、少なくとも教科学習においては混乱を招く要素となる恐れがある。
 ただし「海」に関する学習内容には上述するように教科によってやや偏りが見られるのも事実であり、この点については総合的視点からの記載を望みたい。特に理科においては水循環や気象の学習において海の役割の欠落が見受けられるのは事実であり、この点からも学習指導要領の改正の際に考慮願いたい部分である。
 
2−2. 先進的事例の視察
 学校で「海」をテーマとした活動をしている事例、または、外部団体との密な連携が取れている事例として以下の学校にヒアリングを行った。
 
私立目黒星美小学校(東京都目黒区):千葉県小湊海岸での海浜学校
柏崎市立比角小学校(新潟県柏崎市):体験学習への取り組みの伝統
草津市立常盤小学校(滋賀県草津市):滋賀県立琵琶湖博物館との連携
 
 平成13年度の調査で、目黒星美小学校は一貫した教育理念を持ち、その教育理念を実現するための素材として「海」を取り入れ、海浜学校での取り組みを行っていることが分かった。平成14年度は実際にこの授業を見学し、またスタッフとして体験することで、その意味と課題をより深く理解することができた。
 比角小学校では総合的な学習の時間で「海」をテーマとして扱っている。教員がある程度生徒に委ねたような形で積極的な授業展開を行い、PTAを含めた地元住民も積極的にそのサポートを行っていた。柏崎市では以前から体験学習を草の根的に実施してきた経緯があり、教員や地元住民もそれを行うことが当然のことと理解しているために、このような取り組みが可能となっているようだ。
 常盤小学校は、近隣に琵琶湖がありそこに博物館があるという立地を活かし、総合的な学習の時間の目標の一つである地域との連携を実現していた。どの地域にも琵琶湖博物館のように連携できる機関はたくさん存在するため、その学校の立地を活かした取り組みが可能であろう。但し、教員には時間的余裕が少なく、配布された資料等にも全てに目を通すことができないという現状は問題視されていた。
 
 本事業は、従来の学校教育の仕組みの中で、いかに「海」に関連する学習の部分に付加価値を与えようとするかという取り組みであるから、まずは学校教育の現状についてある程度の分析する必要がある。巷間、一部メディア等を通じ教育現場のネガティブな情報が伝えられるが、果たしてそれを鵜呑みにしてもよいものだろうか。以下では、まず様々な現場の教育関係者との話の中で見えてきた小学校の教育現場における現状を、ヒアリングを元に、学校という場、そして教員という2つの側面から検証した。また教育の中で「海」がどのような位置付けで教えられているのかについても検証した。
 
 それぞれの学校の様子を見たとき、最初に思うことは、一般に思われている以上に教員は多忙であるということだ。これを小学校の教員の一般的な一日の流れと1年の流れとして示すと、教員が置かれている現状が見えてくる。
 教員の勤務時間は大体午前8時から午後5時が定時となっている場合が多いが、実際には朝は子供達が登校する以前に出勤することが多く、7時半頃には出勤することになる。その後は授業が始まるまでの僅かな時間を除き、生徒が下校する放課後までは殆ど自由になる時間はとれないと言って間違いない。このため職員の会議などまとまった時間がとれるのは放課後の午後3時以降とならざるを得ず、これも課外活動(部活動)などのある日は生徒の指導に当たることとなるため、このような日は夕方5時近くになってようやく自分のデスクに戻ることとなる。それから翌日の学習の準備やテストの採点などの作業を行うと、時間的余裕はほとんど無いことがわかる。
 一方で1年の流れで見ると、4月は職員異動や新年度計画立案のための各種会議など、民間と同様に年度当初の業務に追われることとなる。その後、運動会(5月、10月)や文化祭・学習発表会(10月頃)などの全校行事、学期末の成績評価、通知表作成、長期休みの準備(7月、12月)、またこの他にPTAや地域行事への参加など地域のための協力といったものが、通常の以外の業務として発生する。
 教員のスケジュールはこのように1年を通じて詰まっているのが現状のため、教員向けの研修や各種研究会、セミナーなどは夏休みに集中する。つまり教員が新たなことに取り組もうとするとき、自由に使える時間は土曜日と夏休みしかないと言っても過言ではない。以上のように、教員の仕事というものは子供に合わせて仕事を進めなければならないものであり、それに1日の時間の大半を割かれるのが実状である。もし仮に児童と接する時間をなるべく多く取ろうとする教員が良い教員だと仮定すれば、良い教員ほど自由な時間が少なく、プライベートの時間を削って対応せざるを得なくなることがわかる。
 
 かつて学校は教科学習のみを扱えばよかった。そして文部省(現文部科学省)を中心とした我が国の教育システムは、日本全国津々浦々の学校レベルを一定以上に高め、世界トップの教育水準を創り上げたことは疑いのない事実である。特に初等教育における教員の力量、学校教育実践の質の高さは依然として世界一であると考えることができる。中央集権のシステムががっちりと確立していることで全ての学校の底上げをすることができた。そしてそれを要請する時代の背景があった。
 文部科学省の「学制史」によれば、わが国の近代教育は明治5年の学制公布から始まったとされている。この背景には欧米列強の圧力に対峙して一国の独立を維持するためには、欧米に模して国内の制度と文化を近代化しなければならないと考えた新政府の確固たる意志が伺える。その後の発展と国際的地位の急速な変化、そして数度の戦争と敗戦からの復興と、明治以降の100年は激動の時代であり社会情勢も大きく変化したが、基本的には一貫して右肩上がりの成長の時代の中で国の発展を基本理念とし、これに必要な人材を育成するための教育システムとしてその役割を果たして来たことは間違いない。
 この中央集権の教育システムの理念を文章化したものが、戦後で言えば学習指導要領と言えよう。戦後、学習指導要領は7度の改訂が行われたが、これは社会状況に応じて昭和22年以降の混乱期、昭和33年以降の復興期、昭和43年以降の成長期、昭和55年以降の停滞期、と大まかに4つに分類できるであろう。しかし平成10年の改訂は過去の改訂とは異なり、従来の中央集権システムをある意味問い直す、かなりドラスティックな改訂と言える。
 それは特色ある学校、個性的な教育、画一的な横並びでない教育を目指すという、従来我が国の教育の中で否定されてきた部分を、トップダウンではなくボトムアップで築いていこうとすることが狙いとしてあるからであろう。
 
 社会や家庭の問題が複雑化し、いま学校にはかつてのように教科学習のみを教えるだけではなく、子供の心の問題や食生活に至るまで、多様な課題にまで対応することが期待されている。このような中で現場の教員は、新たに増えた課題にいかに対応してゆくか悩みを抱えているように思える。学校教育の難しい点は、教育の内容にスクラップ・アンド・ビルドの考え方がなされない点にあると考えられる。
 
 いま、ゆとり教育のあり方が問われ、教科学習の充実を訴える声も多いが、その一方で学校のあり方を変えようと従来のシステムからの脱却も求める声も多い。そのような学校教育の現状の中で「海」という特定テーマに絞った学習を進めようとすることは、現場の教員にとって負担以外の何物でもないはずである。
 しかし幸運なのは今年度から総合的学習の時間の運用が始まったことである。つまりこの時間枠を効果的に活用することで、限られた時間しかない教科学習にもより高い学習効果を期待できる可能性を持っていると推測できる。ただし当研究所を含め学校外の機関が学習のサポート行う際には、上記のような教育現場の現状についてよく認識したうえでサポート内容を検討する必要があろう。







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