1729年 |
Kraljevica造船所で新造船事業開始。(現在のクロアチアの主要な艦艇造船所のBrodogradiliste Kraljevicaの前身) |
|
|
1856年 |
UljanikにAustro-Hungarian Naval Shipyard創立。(その後、Jozo Lozovina-Mosor Shipyardと名称変更となり、現在のUljanik Shipyardに至る。) |
|
|
1892年 |
ドイツ、キールのHowaldts Werkeが現3 Maj造船所の所在地に造船所を設立。 |
|
|
1896年 |
RijekaにLazarus Shipyard創立。(その後Viktor Lenac Yardと改称) |
|
|
1900年 |
Trigor Shipyard創立。 |
|
|
1902年 |
Howaldts Werke がRijekaの造船所から撤退。 |
|
|
1905年 |
Howaldts Werke のRijekaの造船所の入札で、ブダペストのDanubius, Schonichen & Hartmanが落札。 |
|
|
1906年 |
旧Howaldts Werke Rijeka造船所にDanubius Yard創立。 |
|
|
1910年 |
造船所近代化のため、Danubius YardとブダペストのGanz & Co foundry & machinery worksが合併。1911年に近代化が完了し、Ganz & Co. Danubiusと改称。注58 |
|
|
1922年 |
中小造船所を合併して、SplitにBrodosplitの造船所創立。 |
|
|
1932年 |
Brodosplitが現在の所在地に移転。 |
|
|
1943年 |
ドイツ軍がRijekaを占領。 |
|
|
1945年 |
3月3日のドイツ軍撤退の前に、Ganz & Co. Danubius造船所が激しい破壊を受ける。 |
|
|
1946年 |
ユーゴスラビア、造船業を含む産業の国有化を実施。 |
|
|
1947年 |
Lazarus ShipyardがViktor Lenac Shipyardと改称。 |
|
Trojir造船所がBrodogradiliste Jozo Lozovina-Mosorと改称。木船の造修事業者のGreben Shipyard創立。 |
|
|
1954年 |
Brodogradiliste Vicko KrstulovicがBrodosplitと改称。注59 |
|
|
1956年 |
KarlovacにあるJugoturbina工場で、ユーゴスラビア初のディーゼルエンジンを製造。
3 Maj造船所で初めての輸出船となる10,500DWTのスイス船主向け一般貨物船を受注。 |
|
|
1961年 |
3 Majで初めての舶用ディーゼル主機関を製造。 |
|
|
1967年 |
Brodosplit造船所にディーゼルエンジン工場開設。 |
|
|
1970年代半ば |
Viktor Lenac造船所が、Rijekaの3Km南にあるMartinscica湾の現施設に移転。 |
|
|
1976年 |
クロアチアで最後に建造されたVLCCのOlibiri(277,000DWT)がUljanik造船所で竣工。 |
|
|
1980年 |
タンカー部門を中心とする世界的な造船不況でユーゴスラビアの年間竣工量が15万GT(1976年の建造量の2 5%)に落ち込む。 |
|
|
1982年 |
世界的な造船需要の部分的な回復で、ユーゴスラビアの建造量も30万GTまで回復。 |
|
|
1987年 |
クロアチアの建造量、DWTベースでの最高記録となる1.03百万DWT(28隻)を達成。 |
|
|
1989年 |
ユーゴスラビア、13年間で最高の建造量となる49万GTを記録し、トン数ベースで世界第4位の造船国となる。 |
1989年後半 |
ユーゴスラビア、激しいインフレを抑制するため、ドイツマルクに連動したディナール高政策を採用。 |
|
|
1990年 |
Viktor Lenac造船所で大掛りな組織再編成。
ユーゴスラビア政府、5年間に40隻の船舶を建造する大規模な自国商船隊の再構築計画を発表。注60 |
90年1月 |
ユーゴスラビアで政治不安発生。 |
90年4月 |
総選挙において、スロベニア及びクロアチアで、ユーゴからの独立を主張する民族主義勢力が勝利。
クロアチア共和国に海洋省設置。 |
90年11月 |
ユーゴスラビアの主要造船所、ディナール高とその後の新造船受注の激減により生じた赤字の補填についての連邦政府の提訴を検討。
ゲーテブルグのUnited TankersがUljanikに発注していた2隻の7万DWTプロダクトタンカーの契約をキャンセル。 |
|
|
1991年 |
新造船発注資金難から、クロアチア船主が厳しい流動性の問題に苦しむ。 |
91年4月 |
ユーゴスラビア連邦政府、自国輸出産業に障害をもたらしていたディナール高を緩和。 |
91年5月 |
クロアチア及びスロベニアがユーゴスラビア連邦からの分離について国民投票を行い、独立を宣言。 |
91年6月 |
セルビアがKrajinaに侵略し、クロアチアで内戦開始。EUがスロベニア及びクロアチアの独立を容認。
Slobonda PlovidbaがBrodosplitに48,000DWTバルクキャリア2隻を発注し、クロアチアにおける国内船主からのほぼ2年ぶりの受注となった。 |
91年9月 |
ユーゴスラビア内戦で、RijekaのViktor Lenac修繕造船所、一時閉鎖。 |
91年11月 |
EUユーゴスラビアに対し経済制裁を実施。 |
|
|
92年1月 |
クロアチア、独立共和国となるためユーゴスラビアから脱退。 |
92年2月 |
Viktor Lenac造船所再開。 |
92年5月 |
完全民営化の先駆けとして、Uljanik造船所の従業員が造船所の株式を取得。注61 |
92年半ば |
Brodotrogir、受注不振で半分以上の従業員を解雇。 |
92年7月 |
Brodotrogirで202番船の建造を中止し、その後1996年にロンドンで裁判となる。注62 |
92年12月 |
クロアチア造船業の主要発注者であったソ連の政治体制崩壊。 |
|
|
1993年 |
3 Majが合資会社となり、従業員が42%の株式を取得。 |
1993年 |
クロアチア産業省、国内造船所への当座の資金援助提供及び長期的リストラ支援措置の統括を公約。 |
93年1月 |
Viktor Lenac修繕造船所が合資会社となり、完全民営化され、クロアチア初の民間造船所となる。 |
93年3月 |
ゲーテブルグのUnited Tankersが、以前キャンセルした2隻の7万DWTプロダクトタンカーをUljanik造船所に発注。 |
93年4月 |
イランとの二国間貿易協定署名で、クロアチア史上最大となるイラン船主からの総額6.5億$、10隻(14万DWTスエズマックスタンカー5隻、22千DWT一般貨物船5隻)の船舶の受注を発表。しかしながら、この計画は実現しなかった。注63
クロアチア造船業の1992年度決算で、6千万$の赤字を計上。これは主として高い資金調達コストが原因。 |
93年9月 |
クロアチア政府、自国造船所で建造中の6隻の船舶の竣工支援のため24.4百万$の資金援助を提供。 |
93年10月 |
Brodotrogirで新造船受注に成功し、新造船事業再開。
クロアチア政府、急激なインフレを抑制し、経済構造改革を促進するための安定化計画を開始。 |
|
|
1994年 |
3 Majでアフラマックスの新設計を開発。
Uljanik造船所で車両・貨車搭載フェリーの新設計を開発。
国有のクロアチア造船会社創立。 |
94年2月 |
Novorossiysk Shipping(Novoship)が10隻の39,600DWTプロダクトタンカーを発注し、クロアチア造船事業者間で分割受注。注64
Viktor Lenac造船所、米国国防省から米国艦艇の修繕の入札権を取得。 |
94年3月 |
Viktor Lenac造船所、建造能力問題解消のため、地中海の他の修繕造船所に、外注を開始。 |
94年5月 |
クロアチア、ディナールに代わる新通貨クーナを導入。 |
94年11月 |
クロアチア、国営企業の民営化促進のために、民営化省設立。 |
|
|
95年5月 |
クロアチア造船業、イランのIRISLと、4隻の22,000DWT多目的二層甲板船(報道価格109百万$)を建造する船舶・石油バーター取引に合意。 |
95年6月 |
ロシアのNovoship、クロアチアに発注した12隻の39,600DWTプロダクトタンカーの建造資金に250百万$のシンジケートローンを獲得。注65 |
95年10月 |
Uljanik造船所がクロアチア政府が支援する自国商船隊整備計画の下での第1船の43,800DWTのバルクキャリアを進水。 |
95年11月 |
3 MajがChinese-Polish Joint Stock Shipping Co(Chipolbrok)から2隻+オプション2隻で22,0 00DWT多目的貨物船を受注。 |
95年12月 |
ユーゴスラビア内戦を終結するDayton合意成立。 |
|
|
96年2月 |
EBRDがNovoshipgaクロアチ造船所に発注したプロダクトタンカーへの225百万$のシンジケートローンを手配。 |
96年7月 |
Brodotrogirが、クロアチア復興銀行の前受け金保証を得て、外国船主から6隻の47,400DWTの油・ケミカルタンカーを受注。注66
英国高等裁判所が、Brodotrogirで建造中止となった202番船の代償として、債務保証を行っていたセビリアのJugobankaに Ali Shipping Corpへの25百万$の支払いを命令。注67 |
|
|
1997年 |
クロアチア造船会社がAssociation Jadranbordと合併し、クロアチアの4つの造船所を代表するCroatian Shipbuilding Corporation - Jadranbordとなる。注68
クロアチア政府、自国造船業の近代化及び高度化のための新投資計画を開始。注69
Uljanik造船所を管理する持ち株会社のUljsnik Joint Stock Companyが、非中核事業の売却を開始。 |
97年2月 |
3,500人の失業を生んだクロアチア造船業の大規模なリストラ・合理化計画が発表される。 |
97年4月 |
Novoshipがクロアチア造船業への追加発注を発表され、Uljanikで4隻のIMOタイプIIのプロダクト・ケミカルタンカーが建造されることとなった。(報道価格1隻22百万$)注70 |
97年7月 |
修繕事業者のViktor Lenacが、Zagreb証券取引所に上場。 |
97年9月 |
Korcula造船所破産。
船級証書の期限終了で、Viktor Lenac 造船所第3ドックを閉鎖。 |
97年10月 |
Viktor Lenac 造船所、海洋分野に再参入し、海洋ガス鉱区生産プラットフォームの一部の建造を受注。
ロンドンの調停当局が、Ali Shipping Corporationとの紛争について、クロアチア政府及びBrodotrogirに敗訴の評決。 |
97年12月 |
クロアチアの竣工量が、内戦後最低の11万GTを記録。 |
|
|
98年5月 |
クロアチア政府、イランと船舶・石油バーター取引に関する新協議を開催と報道される。 |
98年6月 |
継続する財政難克服のためのクロアチア5大造船所の統合案が明らかとなる。 |
98年10月 |
Viktor Lenac 造船所が、既存のドック能力の拡大、海洋構造物建造施設の建設、新造船事業拡大のための他のクロアチア造船事業者の買収のために、25百万$の株式発効による増資計画を発表。
クロアチアと中国が二国間の貿易促進のための協議を開催。 |
|
|
1999年 |
Viktor Lenac 造船所が、海洋構造物建造施設の建設を開始。
3 Maj造船所が、設備の更新及び装置の新設(2000年半ばに終了)のための13百万$の投資計画を発表。 |
99年1月 |
Viktor Lenac 修繕造船所が、ROV支援船のケーブル敷設船(ブラジル沖で使用)の改造契約を獲得。 |
99年3月 |
Ali Shipping Corporationが、クロアチア政府及びBrodotrogirに建造中止となった202番船に関し、38百万$の支払いを要求して提訴。 |
99年7月 |
クロアチアの5大造船所が、ドイツ国営復興銀行KfWから融資を獲得。 |
99年12月 |
クロアチア大統領、Frenjo Tudjman死去。 |
|
|
2000年1月 |
総選挙でクロアチア民主連合党が敗退。新しい改革派政府が政権を獲得し、造船所を含む国有企業の民営化推進を決定。注71 |
00年2月 |
新政府が経済改革計画を発表。
Grimaldi Naplesグループが、Uljanik造船所に12,800DWTの多目的ro-ro船を発注。 |
00年3月 |
世界銀行の国際金融会社が、Viktor Lenac造船所の海洋構造物建造及び改造施設の新設支援のため3千万$を供与。
Viktor Lenac造船所とTankerska Plovidbaがクロアチアにおける10隻のハンディマックスプロダクトタンカーの建造に関して暫定合意に達したと報道される。 |
00年4月 |
クロアチア政府が、国内の4大造船所における10隻の新造船の建造資金について、3億$の債務保証を行うと発表。 |
00年6月 |
金融機関からなる国際コンソーシアムが、Viktor Lenac造船所に3千万$を投資。同造船所の海洋構造物建造施設の建設開始。(フェーズIの完了予定は2001年末) |
00年7月 |
3 Majの経営陣が、継続する赤字及び納期遅れで辞任。
政府により、赤字国有造船所の破産手続きが盛んに進められる。 |
00年7月 |
クロアチア、WTO加盟。
UgljanにあるWolf Lamjana修繕造船所民営化。スイスのWalter Wolfが67%の株式を保有。(後に75%ととなる) |
00年9月 |
3 Maj、Kraljevica及びViktor Lenac造船所が効率、柔軟性、生産性向上を目的とした協力協定に署名。協定は、資材購入、営業、生産、訓練及び資金調達の分野をカバー。この協定は3社の合併の先駆けと報道される。クロアチア政府が、民営化への第一歩として、5大造船所を含む16の国有企業のリストラを発表。 |
00年12月 |
クロアチアのTankerska Plovidbaが、Brodosplitに2隻の166,300DWTの原油タンカーを発注。
Brodosplitが、ロシアのPrimorsk Shippingから2隻のプロダクトタンカーの建造契約を内定。
クロアチア造船業が、1992年の建国以降最高となる34万GTの建造量を記録し、世界第7位の造船国となる。注72 |
|
|
2001年 |
3 Maj、4隻のプロダクトタンカー建造(アフラマックス1隻、ハンディマックス3隻)で、内戦後初めて黒字の見込み。
Viktor Lenac造船所、年末の内業工場の完成で、新造船市場に再参入の計画。
米国ポートランドの艦艇造船所から購入したスエズマックス級の浮ドックがViktor Lenac造船所に到着の予定。注73 |
01年3月 |
クロアチアが、国有造船DWT所を数週間内に民営化を開始し、国内外の投資化に開放と発表。 |
01年12月 |
クロアチアの建造量が、63万GTに達する見込み。 |