脚 注
1 クロアチアの造船、修繕、舶用工業事業者を代表する機関。
2 ソ連圏を構成する共産主義の国々の「Comecon」貿易連合。
3 John Frederiksenが所有するAli Campany向けのプロダクトタンカーも含まれていた。Brodotrogirで建造されたシリーズ船の3隻目の本船は、起工されたが、竣工せず、1996年にロンドンでの仲裁にかけられた。
4 1980年代はクロアチアの造船所でソ連船主向けに約70隻が建造されていた。Brodogradiliste Kraljanikがソ連依存度が高く(22隻)、これに続いて、Brodosplit(17隻)、Uljanik(14隻)、3 Maj(11隻)となっていた。
5 クロアチア政府のレポートによる。同レポートでは、「劣悪な経営の結果、不十分なコスト管理、低い生産性、長すぎる工期を招いた」としている。同様にIFCのVedran Antoljak氏は「経営者の能力は、Viktor Lenac民営化の成功の鍵だった」としている。(出展:Financial Times、Croatia 2000 Survey)
6 非常に低い船価とは別に、商談の当事者であった銀行から約束されていた資金を調達する能力が造船所になかったことが事態を一層悪化させた。
7 造船労働者の大幅削減の努力が行われたにもかかわらず、赤字傾向が続いている。:1989年から1997年の間で、造船労働者数は21千人から11千人に減少した。その後も減少は続き、主要5大造船所の労働者数は2000年末で8. 5千人となっている。
8 Association Jadranbrod はユーゴスラビアの造船・舶用事業者団体であった。
9 例えば、1994年2月、ロシアのNovoship社が10隻の39,600DWTのプロダクトタンカーを発注したが、Brodotrogir及びBrodosplitで各2隻、3 Maj及びUljanikで各3隻が建造された。
10 1992年には、Brodogradiliste Kraljevicaに代わってBrodotrogirが5,800DWTのro-ro船を建造する等造船所間の直接協力の事例もある。
11 1992年以降、4隻の商船建造実績を有する。独立以前は、冷凍船、客船、タグ、支援船などの特殊船を建造していた。
12 Split艦艇造船所では、8,000DWTまでの貨物船や漁船、高速フェリー、調査船、タグ、双胴型客船などの商船建造も行っている。
13 Kraljevicaの売上の約80%は船舶修繕によるものとされている。
14 クロアチアでは上場される企業はまだ少数であり、Viktor Lenacは重工業で上場している唯一の企業である。
15 1998年11月、EBRDはクロアチアの事業について、次のように述べている。「民営化措置の不備、歪んだ政府支援が企業のリストラ・近代化を制約しており、民間企業部門はなお足取りが弱い。」(EBRD「クロアチアの戦略」1998年)
16 この措置には、6隻の外国船主からの受注船の竣工を確保するため、1993年9月に行われた24.4百万$の政府助成が含まれるが、造船所は赤字であった。
17 事例としては、1994年のNovoshipの10隻のプロダクトタンカーの発注などがある。
18 これにより、中国・ポーランドの合資海運会社、IRISL、Novioship等から発注が得られた。
19 この戦略は、政府が行った造船業に関する調査の結果策定されたもので、13,500人であったクロアチア造船労働者数を1年間で、10,000人とし、3,500人の労働者削減をもたらした。
20 1997年11月26日付ロイズリスト紙によれば、クロアチア経済大臣のMilan Cuvalo氏は、「われわれの目標は「組立て造船所」を生み出すことにあり、あらゆる仕事を造船所で行うことに重要性はない。経済原則に則って事業を行い、安いものがあれば外国からでも機器を購入すべきだ。」と述べている。
21 クロアチア政府は1993年に25隻の新造船を国内造船所に発注する原案を発表したが、財政難で計画の実施は遅延した。同計画は、建造資金確保のため、契約船価の40%までの政府融資を含むものであった。
22 この政策で、クロアチア造船業が1990年代に生んだ赤字がますます厳しいものとなったとされている。クロアチア内の情報源によれば、これらの船舶に対する政府の支払いの一部が行われず、造船所がそれまで有していた赤字を更に増大させたとしている。
23 1994年に導入されたクロアチア新通貨のクーナをドイツマルクと固定相場とすることで生じた。
24 新政府は総選挙直後に、国有企業の構造改革と経済原則の適用を強化すると発表している。
25 クロアチア副首相は、国有企業の焦付き負債の免除・支払繰延べや失業手当の支払いを行うことにより、問題企業に再建のチャンスを与えると説明している。
26 経済省によれば、客船に関しては、国有企業のJadrolinijaは10%以上の助成が可能としている。
27 政府の造船所持分の金融機関への移転が併せて行われるとされている。
28 CEFTAの現在の加盟国は、ブルガリア、チェコ、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア、スロバキア、スロベニアとなっている。
29 クロアチアがOECDに加盟すれば、リストラ助成や地方助成、直接助成などへの制限の適用を受けることとなるが、おそらく一定の移行期間が設けられることとなると考えられる。
30 1998年、EBRDは、クロアチア政府の造船業民営化の失敗を批判し、「現在のところ、造船業は政府助成に依存し、政府保証と直接助成の恩恵を受けている。」としている。(出典:EBRD「クロアチア戦略」)
31 Broosplit1ディーゼルエンジン工場の従業員約1千人を含む。この他に5大造船所の関連会社で2,350人の従業員を有している。
32 1990年代初め、同船台でスウェーデンのICB向けに6隻の14万DWTのシングルハル・スエズマックスタンカー6隻の連続建造を行っている。
33 欧州投資銀行がこの計画にアプローチしているとされている。
34 1999年にイタリア船主のNavogazione Montanariの案件に応札したが、結果的に現代尾浦に発注された。発注に際して、Navogazione Montanariの社長は、船価、納期、技術仕様で韓国に競合できなかったと語っている。(2000年1月7日付ロイズリスト)
35 1950年代半ばから2000年には、客船やフェリーを含めて多くの種類の船舶が建造されている。
36 舶用機器製造会社の3 Maj TIBOでは、ビルジ油水分離器、焼却炉、バルクヘッド・天井パネル、防火扉など製造を手がけている。
37 Brostroms向けの船舶は、貨物容積43,000m
3
2フェニール・エポキシ塗装の6組のタンクを有するIMOタイプIIの船舶となっている。
38 始めの2隻の船価は、一括で50百万$とうわさされている。
39 当初は、17,500DWT4隻であったが、第1船目の竣工後、船型が変更され、残りは19,000DWTとなった。
40 Viktor Lenac造船所は、地中海・黒海地域で品質管理のISO9002と環境管理のISO14001双方の認証を取得している唯一の造船所である。
41 同造船所では、修繕業もなお手がけており、2000年11月に、同社の広報担当は、「企業の戦略は、修繕業での競争力を維持しながら、改造及び海洋関係の事業を拡大し、海洋関連船舶などの特殊船の新造事業にも参入することにある」と語っている。(2000年11月3日付ロイズリスト)
42 同社は2000年度の売上は60百万$を上回りそうだとしている。
43 2001年には、米海軍Portland造船所から購入した浮ドックが到着し、16万DWTまでの船舶の修繕が可能となった。
44 民営のViktor Lenacが良い例で、商業に精通した大胆な経営者が、いかにマーケットシェアを増やし、海洋関係事業などの新規分野を開拓できるかを示している。
45 Viktor Lenacは1990年代に顕著な新規投資を行った唯一の造船所である。同社の経営陣は3基のクレーン(最大のクレーンは吊上げ能力100トン)及びタンクコーティング設備を新設した。
46 これについても、株式発行及び海外ローン(ワシントンの国際金融会社からの11.85百万$を含む)により、資金の一部がまかなわれている。
47 1999年末にUljanikの広報担当は、「現在、自動車運搬船の鋼板切断開始から引渡しまで18ヶ月を要しているが、これを2、3ヶ月短縮したいと考えている。今回の投資によりこれが達成できるだろう。」と語っている。(出典:1999年11月30日付ロイズリスト)
48 これは、特殊設備を備えた船舶を顧客の要望に沿って建造したいというクロアチア造船業の希望によりもたらされたところが大きい。大きな造船能力を有する国では、標準仕様の船舶の連続建造を指向するほうが適切であるが、クロアチア造船業における建造能力の制約があることから、こうしたサービスの提供に意義が生じている。こうしたことから、クロアチア造船業は、価格競争力では極東の造船所にかなわないが、設計仕様の面で極東の大量建造よりも好ましい船舶の建造を行っている。
49 同造船所は、自動車運搬船については、想定される最大の競合相手は日本造船業であるとしている。フェリーについては、クロアチア造船業の競合相手はイタリア造船業となるであろう。
50 建造船種の幾分かの多様化は予想されるが、現在のパナマックス以下のタンカーの運賃市場が安定しており、ダブルハル規制による老朽船の解撤で運賃の上昇が予想されることから、多くのクロアチア造船所にとってプロダクトタンカーは今後も中心的な建造船種となると見られる。極東の造船所を除けば、この分野での競合相手はスペイン造船業となろう。
51 Viktor Lenacの新浮ドックはFPSOの改造を促進することで、同造船所のオフショア部門への更なる進出を支えることになるであろう。
52 クロアチアのEU加盟時には、EUの造船政策の完全適用に約2年の猶予期間が必要となるであろう。
53 2001年末までに船腹の25%が25歳以上となると見られている。
54 黒ものスポット輸送に従事するハンディサイズの平均船齢は、1999年の17歳から2000年には15歳と減少した。白もの輸送では平均船齢は、1999年、2000年とも16歳となっている。
55 Uljanik造船所は1995年にスウェーデンのBrostroms向けに7,000トンタンカー1隻を、3 Majでは1999年〜2000年にScorpio Ship Management向けに3隻の71,000トンタンカーを建造している。
56 Brodosplitが2000年12月に受注した2隻のスエズマックスタンカーは、外国船主からの発注ではなく、国内船主のTankerska Plovidbaからのものであることが、これを示す事例となっている。
57 2000年末現在で、1980年以前に建造された現存船腹は、93隻(全船腹の18%)、2.5百万DWT(全船腹の21%)となっている。
58 その後、Cantieri Navali Quanrnaro、Khirnesrsko Brodogradilisteとの改称を経て、1948年に、1945年3月3日のドイツ占領開放記念日を祝して3 Maj(Treci Maj)となる。
59 更に、1992年にBrodotrogirと改称。
60 その後、内戦のため、本計画は規模縮小となり、1993年にユーゴスラビア政府は国内船主向けの25隻の建造計画を発表。
61 しかしながら、その後の民営化に向けた進展は続かず、2001年3月現在で、造船所の株式の大部分はクロアチア政府に残っている。
62 この船舶は、John Fredriksenが所有するAli Corporationから発注されたもので、1988年に受注した3隻のシングルハルプロダクトタンカーの内の1隻。ユーゴ内戦の発生後、関係者であったセビリアの銀行のJugobankaが頭金の支払いを行わなかったため、1992年に建造が中止された。
63 これは、両国の船舶建造資金問題を克服するための石油/船舶バーター取引によるもの。
64 本船主は、既に、Brodotrogirに2隻の同種船舶を発注していた。
65 世界銀行の外部団体であるワシントンの国際金融会社(IFC)が、この融資を組織した。新造船契約の総額は367百万$とされる。
66 本受注はBrodosplitとUljanikで2隻ずつ分割された。
67 Jugobankaはこの負債の清算ができず、更に裁判手続きを生むこととなった。
68 クロアチア政府がこの会社の主要な株主となっている。
69 1997年11月に政府の報道官は、自国造船業への新技術導入に約7千万$の投資が行われるだろうと発表した。
70 4隻とも17,500DWTだったが、1隻目の竣工後、残りの3隻は19,000DWTに変更された。
71 新政権は、社会民主党、社会自由党及び4つの小政党の連合で結成。
72 1995年は世界第13位であった。
73 この浮ドックは海洋プラットフォームも取り扱えるよう改造されるとも言われている。