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3.4 Brodogradiliste 3 Maj
 3 Maj造船所の持ち株会社の「3 Maj d.d.」は、グループ企業8社の事業を管理する合資会社で、造船業以外に、エンジンやクレーンの製造、工業用・舶用機器の製造注36、貿易・コンサルタントサービス、ケータリングを手がけている。
 
 3 Maj(Treci Maj)造船所の造船の歴史は、1892年のRijekaにおけるドイツ企業のHowaldts Werkeによる造船所設立に遡る。Howaldts Werke社は10年間造船所を運営したが、1902年から1905年の間、事業活動を停止した。1906年には、入札により、ブダペストのDanubius, Schonichen & Hartmanが同造船所を取得し、再開した。同社は当時の近代的造船所で、1911年には、ブダペストのGanz & Coと合併した。1916年には、欧州の大手造船所の名声を確立し、第一次世界大戦から第二次世界大戦の間、活発な業況を呈した。第二次世界大戦中、Rijekaの同造船所はドイツ軍に占領され、1945年にドイツ軍が撤退する前に甚大な被害を被った。
 
 その後同造船所は、ユーゴスラビア政府下の国有造船所となり、1948年に3 Maj造船所と名づけられた。同造船所は商船を中心とするようになり、1956年にはスイス企業向けの10,500DWTの一般貨物船を受注し、初めての海外からの受注となった。1961年には、Sulzerのライセンスで舶用ディーゼルエンジンの製造を開始した。
 
 チトー大統領の時代、同造船所は繁栄し、事業拡大、建造船種の多様化が図られた。また、外貨獲得の重要な手段として、輸出市場への傾斜が強まった。1970年代末に近代化が図られて以降、わずかな投資しか続けられず、また、ユーゴ内戦により事業が中断され、事業活動のレベルは年間2隻と従来の半分に落ち込んだ。これが一因となり、同造船所の従業員は、7,000人から1992年半ばには5,000人へと大きく減少した。1990年代末には、輸出船事業を再開し、建造量もやや回復したものの、同造船所は、負債の累積、納期遅れ、時代遅れの設備に悩まされている。
 
 3 Maj造船所の建造船種は、近年では、アフラマックス原油タンカー、パナマックスプロダクトタンカー、ハンディマックスケミカルタンカー、ハンディサイズLPG運搬船、パナマックスバルカー、3,000−4,000TEUコンテナ船、3万DWT多目的貨物船、ro-ro船となっている。現在の手持ち工事量の大半は、タンカーが占めており、EU船主向け受注が大部分となっている。
 
 近年の特筆すべき商談としては、中国・ポーランドの合資会社のChipolbrokからの22,000DWT多目的二層甲板船4隻の受注があげられる。その後、イランのIRISLからも同型船4隻を受注している。また、国内船主のJadroplov向けに28,400DWTバルクキャリアを2隻、モンテカルロのScorpio Ship Management向けに70,700DWTプロダクトタンカー6隻を、Brostroms向けに35,000DWTプロダクト・ケミカルタンカー2隻注37 を建造している。また、現在の手持ち工事の中には、ドイツ船主のCarl Buttner向けの23,400DWTプロダクト・ケミカルタンカー2隻+オプション1隻が含まれており、外国造船所からの始めての下請け建造となっている。この船舶は、IMOタイプIIで、1A耐氷構造とされている。注38
新造船設備
 3 Maj造船所は、最大建造船型、アフラマックス、パナマックス、ハンディサイズの3基の新造用船台を有しているが、最近はこの内の2基のみが使用されている。第2船台は、全長260mの制限がある。同造船所で建造された最大の船舶は、112,000DWTである。








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