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2.2 クロアチア政府の造船政策(1992年1月〜1990年末)
 クロアチアにとっての造船業及び関連の海事産業の重要性から、独立以降、クロアチア政府は以下のような政策を取った。
 
◆ 国有企業の民営化に向けた第一歩として、政府は、民間投資家への譲渡の前提となる、クロアチア造船業の赤字一掃のための長期的構造改革措置の実施を統括することを公約した。国有企業の民営化促進のために1994年11月に民営化省が設立されたが、経済問題につきまとわれ、1990年代は民営化はうまく進まなかった。注15
 
◆ 国内造船所に対し、経営難回避のため、1990年代を通じていくたびも直接の財政支援が行われた。注16 この措置を補完するものとして、リストラ助成が行われ、1997年には多くの造船労働者が合理化されることとなった。
 
◆ クロアチア復興開発銀行(HBOR)を通じて、積極的に政府の債務保証が行われた。これにより、海外の船主からの受注の支援が行われた。
 
◆ クロアチア造船事業者への新造発注案件のための国際金融会社(世界銀行に属する民間部門)やEBRD等の機関によるシンジケートローンの確保が行われた。注17 また、1999年7月には、クロアチアの5大造船所の近代化資金援助として、ドイツ復興銀行から1億ドイツマルクの融資が行われた。
 
◆ 国内船主発注船の便宜置籍化を認めることで、経済状態が安定するまでは融資獲得が困難と思われた外国銀行からの融資獲得を可能とした。
 
◆ 中国、イラン、ロシアなどの国々との二国間協定交渉で、場合によってはバーター取引も用いて新造船受注の努力が行われた。注18
 
◆ 1997年には国内造船所の近代化・高度化のための投資計画を認可した。これは、クロアチア造船業における労働者の合理化、コスト削減、生産性向上、競争力強化、収益性回復のための戦略の一部として実施された。注19 この戦略の究極目的は、非中核事業の廃止、艤装工程の一部の外注化により、クロアチア造船事業者の体質改善を行うことにあった。注20 2000年11月のクロアチア政府の造船業に関する報告書では、現在内作している部品を機器の専用メーカーに外注することで効率化が図られると強調している。クロアチア経済省は2001年3月に、5大造船所は総額1億ドイツマルクの近代化計画の初期段階にあると述べている。
 
◆ 発注頻度は時には限られたものの、国有海運会社からのクロアチア造船業への発注が続けられた。1990年代初めでも受注量に占める割合は小さかったが、1990年代半ばには、国有海運会社の財政問題で、その割合はさらに縮小した。1990年代末には、大幅に遅れた国内商船隊の更新計画が実施に移され、国内船主からの発注が復活した。注21 この計画は内戦で外国船主からの発注が大幅に落ち込んだ際に実施に移された。注22
 
◆ クロアチア造船会社の支援の下で、遅れていた造船業のリストラが進められ、新技術への投資資金融資のための政府資金の投入などが行われた。
 
 上述の措置のほかに、造船業に間接的に影響を及ぼした措置として、次のような政策がとられた。内戦で、商業部門から軍需部門へ資源を投入し、国内総生産のかなりを費やしたため、財政資金の枯渇が生じた。1997年末でも、なお、国内総生産の9%が軍事費となっている。
 
◆ 内戦中、銀行融資の利用可能性が極めて小さくなり、国内金利の大幅な上昇を招いた。クロアチア造船業は融資をしてくれる外国銀行に依存せざるを得なくなったが、内戦が終わり経済状態が安定するまでクロアチア企業に融資をしようとするものは限られていた。
 
◆ 内戦が終わっても高金利が続いた。内戦後、1990年代半ばのインフレの再発を抑制するため、緊縮政策が求められ、その結果、国内金利が急速に上昇した。これに加え、政府の負債の削減及び大量の失業対策のため重税が課された。
 
◆ クーナ高注23、とりわけ、ウォンに対するクーナ高で、プロダクトタンカーやケミカルタンカーの商談への応札上競争力が低下した。








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