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◎都市改造以前の街並み
 一九〇八年に作成された「厦門城市全図」を広げてみよう。この都市図は都市改造が行われる以前の街路の状態を克明に伝えている。この都市図を眺めていると、まるで迷路のように見える。(図[5])
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図[5]「厦門城市全図」…
これは一九一一年に、新聞社である全新日報社の四周年記念として発行されたものである。この地図の原図は、一九〇八年に江南陸軍学堂で測量を学ぶ学生が実習として厦門を訪れ、測量を行い縮尺五千分の一で描かれた。原図は定規を当てて描かれているが、この図は手書きで原図をトレースしているため、街路が一層迷路のように見える。
 実際には、都市図上には描かれていない地形の高低差が加わり、坂あり、階段ありのきわめて有機的な街路なのだ。しかも、街路の幅は二〜三メートルときわめて狭い。なかには幅一メートルほどで、人がすれ違うのもやっとのところもある。このような都市改造以前の街路には、今も伝統的な建物が並び、特徴的な景観をつくりだしている。
 「厦門城市全図」のほぼ中央に甕菜湖がある。この湖の西側が思明西路の開発された場所である。甕菜湖は、かつて厦門の内港として機能していた。一九世紀に西欧人によって描かれた風景画には、湖に船が浮かんでいる。かつての税関も湖のそばにあった。西側の湖畔に沿って平行に通る局口街は当時、繁華な商業地として賑わっていた。現在も街屋が並び、往事の賑わいを偲ばせている。計画図には、間口が狭く、後方に長い建物が軒を連ねている。こうした街屋は、街路に面して開放的な板戸がはめ込まれていた。現在では、店内を改装し、こ洒落た店が並ぶが、基本的に建物は当時のままである。(図[6][7])
図[6]西洋人によって描かれた厦門…
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一九世紀の中頃に描かれたこの風景画を見ると、城塞の外側に市街地が高密度に展開していたことがよくわかる。手前の丘陵になっている部分に描かれている建物は平屋であるのに対し、市街地の中央に位置する湖に面した建物は二階建てで描かれているものが多い。この湖の左側に船が浮かんでいるのが、おわかりいただけるだろうか。(D.J.M. TATE, The Chinese Empire Illustrated, John Nichoson LTD. Hong Kong,1988より引用)
図[7] 局口街の街屋…
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街路に沿って連続する間口の狭い建物を街屋と定義する。この街屋の三階部分は近年の増築である。以前は、現在でも残る二階の街路に面した部分の勾配が屋根を形づくっていたと考えられる。また、街路に面した部分の階段は一九五〇年代の土地改革によって、一階と二階が分割されたため改造された。かつては一階の街路に面した部分が店舗で、一階の後方部分や二階に居室や倉庫が設けられていた。(図[3]の[1]に対応)
 かつて、この局口街から西へ桂州墓という街路が延びていた。現在では袋小路になっているが、改造以前は現在の思明西路の北側と結ばれていた。思明西路を歩くと、今でこそ地形の起伏は感じられない。だが、思明西路とかつての桂州墓という街路が接続している部分が階段になっていることから、かつては局口街から地形が徐々に高くなっていたことがわかる。
 この街路に入ると一転、唯一大門だけが街路に開かれた閉鎖的な高い壁が連なる。街屋に比べ、大きな敷地を有し、複数の棟で中庭を囲む四合院と呼ばれる専用住居である。また、計画図には間口が狭い街屋も存在する。しかし、局口街の街屋のように街路に対して開放的ではなく、街路に面して大門だけが開かれていたことが読み取れる。つまり、街屋であっても専用住居であることをうかがわせるのである。(図[8])
図[8]かつての桂州墓にある四合院…
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四合院とは中国に普遍的に存在する四つの棟で閉鎖的に中庭を囲む住居である。この四合院は街路に面して前庭がある。この前庭に面して接客の空間となる客庁があり、さらに後方に主屋となる大庁がある。大庁の前面左右には脇屋である廂房があり、これらで小さな中庭を囲んでいる。さらに、後方には後庁がある。客庁、大庁、後庁はいすれも間口三間(間とは間口方向の柱間を表す)で中央が広間となり、左右の部屋が寝室となる。(図[3]の[2]に対応)
 このように、地形的に低い場所に賑やかな商業地が、そして高い場所に閑静な居住地が形成されていたのである。
 さて、敷地の後方が斜めになっている騎楼の裏側には、思明西路に面して専用の門を構えたバロック様式に似た外観をもつ住宅が建っている。計画図を見ると、ひときわ大きな敷地に四合院の主屋と似たような平面をもった建物がある。が、よーく目を凝らして見れば、その配置、規模が全く同じであることがわかる。つまり、都市改造以前より存在しており、思明西路の開発の際に主屋を残して敷地の一部が削られたのである。その結果、街路に面さなくなり、思明西路に専用の門がつくられたのだ。こうした事例から、都市改造以前にすでに敷地の内部で外観の西欧化が起きていたことがわかる。(図[9])
図[9]思明西路に面して専用の大門をもつ近代住宅…
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計画図ではこの建物の前面左右に建物が存在しており、この建物が主屋であったことがわかる。都市改造によって主屋だけが残り、思明西路に専用の大門が設けられた。大門を入るとすぐに、地形の高低差を処理するための階段がある。平面は間口三間で、中央を広間、左右を寝室とする構成であり、近代以前の四合院と似ている。しかし、多層化している上、外観は西欧風のファサードになっている。(図[3]の[3]に対応)
 きわめて画一的に見える近代の都市改造も、実は場所ごとに柔軟に対応して行われたという事実が浮かび上がってくるのである。








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