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◎渾然一体となった都市空間◎
 一九二〇年代後半から三〇年代初頭にかけて厦門で実施された都市改造は、それまでの「汚穢城市(不潔な都市)」という不名誉な名を払拭した。「魔窟」、「異臭を放つ」と椰楡された既成の市街の上に、近代的な街路を縦横無尽に通したのである。都市改造によって登場した街路は、単に幅が広いだけでなく、その両側に沿って連続した柱廊をもつ立派な建物を並べたのである。
 しかし、都市改造によって既成の都市全体がクリアランスされたのではない。網の目のように張り巡らされた近代的な街路の隙間には、依然として改造以前の都市空間が残された。幅が広く画一的で合理的な近代の街路と、幅も狭く有機的な都市改造以前の街路。当然、これらの街路に沿って建つ建物も明確に異なる。そして、両者は互いに結ばれ、著しいコントラストを示しながらもうまく共存したのである。
 厦門の特徴は様々な建築や都市空間が複合し、共存していることにある。歴史的な層が幾重にも重なり、様々な景観を生み出しているのである。
 現在の都市空間は基本的に、一九三〇年代に実現した都市改造から大きな変化を受けていない。なかでも、厦門大学への留学期間中の一九九五年から九七年にかけて実測調査を行った思明西路を中心とする地区には、厦門の都市空間を構成する要素が凝縮されているといっても過言ではない。居住地と商業地、近代と前近代などといった要素が混在し、様々なヴァリエーションの建築が見られ、変化に富んだ都市空間を形成しているのである。(図3)
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図[3]思明西路を中心とした地区…
この地区には様々な建築のタイプが見られる。図の中央、東西に通るのが思明西路である。この通りに沿って、騎楼か建ち並ぶ。間口はほぼ同じ幅で割られているのに対して、奥行きがそれぞれ異なることがよくわかる。この騎楼の裏側には、四つの棟で中庭を囲む四合院や多層化した近代の住宅が見られる。この図の東側を南北に通るのが、かつての商業街・局口街である。ここには街屋が並ぶ。
 厦門に関しては、一九〇八年の都市図が存在し、それと現状から都市改造による街路の変化はわかる。しかし、現状からは都市改造以前の敷地や建物を復元することは難しい。けれども、この地区に関しては、幸いにも都市改造の計画図が存在することがわかった。留学後に文献調査のため、再訪した時に厦門市図書館で見つけたのだが、この計画図を目の当たりにしたときの興奮は今でも鮮明によみがえる。(図[4])
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図[4]一九三〇年前後の思明西路の計画図…
実線で描かれたているのが都市改造以前の状況である。建物の配置、敷地が詳細にわかる。そして、一点鎖線て描かれたものが都市改造の計画である。思明西路が既存の街区、敷地、建物を無視して通されたことがよくわかる。この図と図[3]を見比べることによって、実現した都市改造がいかに既成の市街に制約を受けたかが見えてくるのである。
 縮尺が二百四十分の一で描かれたこの計画図には、計画のための前提として改造以前の建物の詳細な平面図が示されている。つまり、都市改造以前の建物の配置までが復元できるのである。もちろん、この計画図によって都市改造の計画がどのようなものであったのかを把握することもできる。そして、現状と比較することで、実現した都市改造が計画とは異なったものであるかがわかる。実際の改造事業が、いかに既成の市街に制約を受けたのかが克明に読み取れるのだ。この地区を読み解くことで、厦門の都市空間の特質が見えてくるのである。
◎近代的空間の誕生
都市改造の最大の特徴は、リズミカルに柱廊の連続する街並みをつくりだしたことにある。連続していることにより一つの建物かと思いきや、多くは柱間ごとに独立している。そして、外観のデザインもそれぞれで異なる。それにしても、柱廊が連なることによって街並みに統一感が与えられている。街並みを整える美意識が存在しているのだ。同時に、柱廊が歩道となり、幅の広い車道と明確に分離されているのである。しかも、車道の両端には下水溝が設けられており、近代の衛生観念があることも見逃すことはできない。(写[5])
写真[5] 歩道である柱廊
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 こうした一階部分に柱廊をもち、二階部分が街路に迫り出した形式を中国語では騎楼というが、実に厦門の気候・風土に適した建物である。身を焦がさんばかりの太陽。海風に運ばれてくる湿気。突然襲ってくるスコール。そんな亜熱帯特有の気候の中、日陰をつくりだす半戸外の空間は欠かせない。
 都市改造による街路の開発には三つのタイプがある。一つは既存の街路を拡幅したものであり、もう一つは既存の街路と関係なく既成の市街を横断して開発されたものである。さらに、埋め立てなどにより生じた新たな土地に開発したものがある。そして、開発の違いによって、騎楼の空間構成も異なる。
 調査対象とした思明西路は、既存の街路を無視して開発された。この通りの計画は二転三転している。既存の街路、敷地、街区を横断して通された上、丘陵地形を切り開かなければならなかったことが理由であると考えられる。既成の市街に重ねられた街路の開発がいかに大変な事業であったことを如実に伝えている。
 現状をみると、思明西路に面した騎楼の敷地は街路に垂直に、ほぼ同じ間口できわめて画一的に割られている。しかし、敷地の後方は斜めになっており、それぞれ全く異なる奥行き、形状を見せる。画一的な外観とは裏腹に、非合理的な平面になっている。一方、計画図では個々の間口、奥行きは統一されているのだ。つまり、既存の敷地、街路を横断して計画されたこの場所では計画がそのまま実現することはなく、既存の市街に影響を受けながら都市改造が実現したのである。
 こうして開発された街路は近代の新たな商業軸を形成した。騎楼の一階部分に店舗が入り、二階以上は倉庫や居住空間として使われた。商業地の刷新と同時に、都市居住も考慮された新たな建築タイプが登場したのである。








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