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自然と文化 第67号(ニホンミツバチの文化誌)

 事業名 観光資源の調査及び保護思想の普及高揚
 団体名 日本観光振興協会 注目度注目度5
2 巣わかれ(分封)した群れを誘導するための道具
(分封群の集合場所を提供し、新しい巣箱に誘導するための道具)
 古座川町松根から七川にかけて江戸時代から使われていた民具である図[12][13]。他に木板型図[8]、屋根型図[14]、筒型図[15]、さらには丸太巣箱のかけらや固定式のものも存在し、さまざまな工夫によって多様化している。なお、図[8]のような木板を用いた誘導具は四国徳島の山間部に、固定式の板は長野県伊那谷文献[4]にも見られる。
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[12]サクラの皮で作られた単純型ツリカワ。大きさは約50センチで、分封群が固ったら運んで空のゴーラに群を移す(古座川町松根)
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[13]ツリカワと呼ばれる分封群を別のゴーラに誘導するための民具
呼び名…
ツリカワ(吊り皮)明治時代からツリカワと呼ばれていたが(中地氏、串橋氏談)、とくに名は付いていないという人もいる。十津川村ではミツウケとも呼ばれる。
材質…
サクラやスギの樹皮で作り、とくにサクラが良い(中地貞吉氏淡)図[12][16]。また、かつてワバチが棲んだような古いウトーのかけら(割ったもの)や、陰になるものなら何でも良いという人もいる。陰ができれば良いとする理由は、ワバチが水を嫌うからとか、分封群が物陰に固まりやすいという現象がよく観察されるからとのことであった。「蜂には樹皮や木や草花の香りなどに好みがある」と言われており、分蜂群を止めるための技術の根幹をなすワバチの嗜好性に関する認識は極めて細かいものである。
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[16]熊野の大塔山系の養蜂技術にくわしい古座川町松根の中地貞吉御夫妻
 明治以前の記録は少ないが、「南紀徳川史巻之百三」の郡制第十五の産物誌一にこの民具に該当すると思われる記述がある文献[14]。伊都郡新子村(現花園村)の貞市右衛門(通称蜜市)というすぐれた養蜂家が天保十年に蜜蜂一箱を購入し、また嘉永六年に二十箱を購入して有田郡道村に移住した。当時最も優れた養蜂家とされた彼の分蜂技術について書かれた部分に、「其分巣せんとするに當りては桜樹の皮の剥たるものを酒に浸したし適宜の樹木に掲け王蜂をして出て之に駐らしめ子蜂の之に群集するを俟ち取りて巣箱に投する等意の如くならさる無く…」とある。このことから、彼のサクラの樹皮を用いたワバチの分蜂群誘導技術が江戸時代に大塔山を越えて古座川流域に伝播・変容していった可能性がある。もちろんもっと古くからの技術の可能性も否定できない。
 なお、大塔山は紀伊半島で最も標高が高く、また古座川と熊野川の源流である。とくに大塔山とその南側に位置する古座川町松根地区の間の地域は、大河(太河とも太古とも書かれる、呼び名はたいこう、たいごう、たいこ)と呼ばれ、近世には熊野蜜(能野地方産の蜜)の中でも最も上質の「大河の蜜」がとれる場所とされた文献[2][7][15]
作り方…
サクラなどの木の皮を四〇センチ×六〇ほどの大きさに剥離して外皮を内(下)側にし、中央に穴をあけてヒモで吊って乾かす図[13]。自然にドーム型にまがるまで乾燥させると完成である。中地氏によると、明治の人はすでにこの方法で作っていたという。様々な形のツリカワの試作を試みてきた同じ古座川流域在住の串橋氏によると、板では集合したハチが落やすく、図[15]のような深いツリカワだと、山蜜蜂がたかっても外から見難いため、時期を逃し易く、結局は図[14]のような「屋根型」のツリカワが最もよいと述べている。それは、結果的に松根のもの図[12]と似た形状であった。
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[14]スギの皮で作られた屋根型のツリカワ(古座川町中崎)
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[15]スギの皮で作られた奥行の深い筒型のツリカワ(古座川町中崎)
置く場所…
ツリカワは山蜜蜂が棲み着いているゴーラの横から一〇メートルまでの距離に、分封の時期だけ吊る。巣箱からの距離と巣箱とツリカワを結ぶ線と地面との角度はとりわけ重要で、分封群が飛ぶコースの所にツリカワを吊るようにするのがこつである(串橋明雄氏談)。ツリカワを吊る最も適した位置は、巣箱から二間(四メートル位)離れた高さ三〜四メートルの所、角度約四五度の位置であり、高すぎても低すぎてもいけない。また蜂の飛ぶコースは決まっているようだが、人にはまだよく理解できない行動があると言う。それでも、周囲3箇所に吊るしておけばほとんど失敗はない(串橋明雄氏談)。またツリカワにトウヨウランをつるしておくと、分蜂した群れが止まるとその熱で萎れるため、留守中の分蜂確認が簡単にできる(井戸正夫氏談)。
使い方…
分封の時期になると、働き蜂の新居探索のための偵察行動があり、そのハチは「ミバチ(見蜂)」とか「スサガシバチ(巣探し蜂)」と呼ばれている。雄蜂の巣からの出入り、そして王台の発達とその褐色化の観察図[5]などを参考にして時期が推定されている。通常は五月初旬頃なので、あらかじめツリカワを吊っておく。分封は天気の良い五月頃の昼十二時近く、約一時間の間に起こる。巣箱から出て来た蜂の群れは次第にツリカワにたかり始め、そして分封した群れが完全にゴウラから出終えたら、ツリカワから他に飛んでいってしまわないように、笛、チェーンソー、ドラムカンなどで音をたてたり、水や砂を蜂や周囲にかける。これを始めるタイミングが重要で、分封群が巣から外に移動中に音をたて始めると失敗するとのことである(中地氏の奥さん談)。また飛んでいきそうになった分封群は、ブリキカンを叩くと降りて戻って来ることが確かにあるという(串橋氏談)。これはヨーロッパでドラを用いて蜂を呼び戻そうとする「蜂鎮め」文献[26]とよく似た知識である。
 成功すると分封した群れはツリカワに固まって鎮まる図[17]。そして次に、どこかに飛んでいってしまう前にハチの塊のついたツリカワを新しいゴーラの前におくか、ゴーラの中に手で群れを入れてやるのである。そして新たにワバチの入ったゴーラを風呂敷に包んで適当な場所に移動して誘導が完了する。このようにツリカワは、詳細な蜂の行動観察をもとに、音、水、砂などと組合わせて、絶妙のタイミングでほんの短期間だけ使われる道具なのである。
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[17]軒下のツリカワに分蜂群が固ったところ(同右)
 なお、ワバチに水をかけるのは、蜂が雨の気配と勘違いして分封群が他に飛んでいかなくなると説明する人々もいる。
 このように工夫した民具を用い、観察や駆け引きをして一旦は新しいゴーラに分封群を入居させてもすぐに出ていってしまうこともあり、また二日がかりで遠方に移動して行ってしまうこともあるそうである。人の思い通りにはならないのが難しいところでもあり、不思議でおもしろいという。ツリカワは単純な構造ではあるものの、伝統的飼養を推し進める力の一つである人々の「楽しみ」が垣間見える民具である。
道具の意義…
行動力の大きな動物の場合、動物が半栽培(半家畜)註[2]から家畜化に向かう過程は、動物を人のコントロールの範囲に留め、繁殖の抑制や選抜などによって遺伝的変化が起こることが必要である。ツリカワはワバチを人の制御下におくように群れをコントロールするための鍵となる重要な道具として機能していると考えられる。
その他…
この地方では、分封の時期とシュンランや中国産の東洋ラン(キンリョウヘンなど)の花期がほぼ同じで、これらのランには分封群が留まり易いことが以前から知られており、分封群が花に集合して蜂玉を作ると、その熱で花がすぐに枯れてしまうという(中地、古根川氏談)。風呂の温度と対比した触感によると、蜂玉の中心の熱は五〇〜六〇度あるのではないかという。分封群を空のゴーラに入れる時に花もいっしょに入れてやるといった工夫がされている。これらのランは普通は鉢植えにされて多くの家の庭先に置かれ、巣箱からは至近距離である。これらのランは分封の時に、あたかもツリカワと同じ様な分封群誘導のための「道具」として使われている場合があった。








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