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自然と文化 第67号(ニホンミツバチの文化誌)

 事業名 観光資源の調査及び保護思想の普及高揚
 団体名 日本観光振興協会 注目度注目度5
◎ハチと植物と人を通して見た自然観◎
古老から「ワバチ(あるいはヤマンバチ)は自然のもの」という言葉をしばしば聞かされた。もちろん簡単には人の自由にならない野性的なものという意味もあろうが、ワバチを飼っている人々は山の植生との関係も指しているのであり、明治以降に導入されたヨウバチとの対比の上で言っているのである。自然の分類や用語を調べるうちに次第に人々の自然観が浮かび上がってきた。これは人社会にも類比させることができると考えられたので、一覧表にまとめてみた表[3]。
表[3]
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*半栽培段階(=半家畜段階)註[2]
 体色が黒いワバチとクロキとクロミツの関係は単に色を指しているのではなく、深い意味が隠されていると思わざるを得ない。ハチと植物とヒトの生態、歴史、地理的分布を総合して見た時に、自然と人社会に共通するクロ/シロ分類群が存在し、民俗の内側で機能していることが推察される。たとえば「古参兵」と言えば、古くから軍隊におり、経験豊かで野性的な軍事専門家であり、いざという時に自然の中で生き残れる頼れる兵隊というのが一般的な知識であろう。こうした経歴、行動などを総合した活き活きとした概念が民俗の自然観を構成していると考えられる。
 熊野のハチを通して見た自然は「勢い」や「古参/新参」のような動的なものであったことに驚かされた次第である。こういったことは民俗の自然観の重要な一部であると思った。
◎言葉から見た熊野と大陸の繋がり◎
 ハチの語源はハングル語のPolあるいはBorlであるというのが通説とされ、スガルはハチという言葉が大陸から来る前からあるハチを指す大和言葉であるという文献[25]。朝鮮半島、中川をはじめ東アジアの各地で木をくりぬいたタルを用いた伝統的養蜂があるが文献[10][17][18][21][23][27]、大陸から技術が伝播したとすれば、養蜂で用いられる単語もハングル語などが語源になっている可能性がある。
 ゴーラは大塔山系で最も多く用いられている丸太巣箱を指す単語であるが、この意味はだれに聞いても不明であった。しかしながら、ゴーラはハングル語のGo Raeすなわち「昔からの」、「昔ながら(=古来)」と全く同じ発音である。熊野山系で最も多い丸太型巣箱は朝鮮半島の伝統的養蜂で特徴的に見られる文献[17][27]、これらのことを総合して考えると、「昔ながらの巣箱」という意味で用いられた言葉が山中に残存していると考えても無理が無いと思える。
 畔を示すクロ、田を示すシロ、作物を指すモー(毛)、石ころを指すグリなど農耕に関係した言葉に多くの古朝鮮語があることが知られている。また日本の文献上に養蜂が登場するのは六二七年で、百済の人が行ったと推定され、文献からも大陸との関係が深いことが示唆されている文献[25]。これらのことから、熊野の伝統的な養蜂用語に大陸の言葉が残されたものと推察した。さらに表[3]に示したような民俗の自然観自体もこれらの単語の由来を考えると大陸文化との関係が示唆されて興味深い。
 <信州大学農学部助教授作物学・民族植物学>
註釈
[1]南方熊楠は「今も紀州に予のごとく熊」を名とする者多きは、古しえ熊をトテムとせる民族ありしやらん。蝦夷人か熊を崇めて神とすると考え合わすべし。」文献[9]と指摘している。また、朝鮮民族の祖先神は熊(コム、ゴン)であることは壇君神話文献として有名である。日本の神(カム)や神奈備(カンナビ)の語源は熊(コム)であり、さらに熊野大神は壇君神話発祥の地である高句麗:高麗(=コム)に由来しているとの指摘もなされている文献[6]
[2]中尾佐助は栽培植物の進化の過程に、半栽培(semi domestication)という段階を想定している文献[11][12]。半栽培段階とは栽培化(domestication)以前に存在する「野生植物の利用段階から栽培植物にいたる中間段階」てあり、その内容は(ア)人がある自然生態系を撹乱する、(イ)植物の中に新しい環境に適応したものが現れる、(ウ)人がその中から有用なものを保護したり、残すことである。後に植物分類学者や家畜にかかわる文化人類学者らとの議論の中で、(エ)有用なものと認識し、導人して放置しておいてもその場で自ら繁殖できること、が概念規定として必要であると指摘された文献[13]。この考えからワバチを眺めると、半栽培(あるいは、動物なので「半家畜」)段階に当たると考えられる。植物よりも移動能力が大きいので、(ウ)の条件が成り立つためには、人とワバチとの距離を離さない工夫がたいせつな要件である。人が群れの行動圏をコントロールできるような有用な群れや個体を選ぶことができなければ、遺伝的変化を伴う栽培化は起こらないと考えられる。
[3]伊勢の「勢」の語源は、南方熊楠によると「セー」という勢力、換言すれは精力を示す古い言葉であると言う。「セー」はアイヌ語ではペニスを表わす単語である。紀伊半島にはアイヌ語を語源とすると考えられる地名や用語が数多く存在する。たとえば串本町では海の岩場に付く貝のカメノテのことを「セーガイ」と呼び、祭りの文書にはセー貝と、記されている。セーガイの形態はペニスに類似している。そして大島水門(ミナト)神社の神饌には「カラスグチ」と呼ばれるイガイと「セーガイ」が対にして用いられている(串本町古田康郎氏)。これは明らかに豊穣を祈願する陰陽のシンボルである。従って、ここでの「セー」はアイヌ語かそれに近縁の古い時代の言葉に起源すると推察される。
[4]黒木(クロキ):ツガ、モミ、カシ、トチノキなとの全く異なる科に属する原生林の構成種を指す熊野地方の樹木の伝統的分類群である。スギやヒノキのような植林された導入樹木以外の樹種を指している。従って、植物学上のクロキ(Symplocos lucida Sieb. et Zucc.)を指すのではない。
[5]ハチミツの区別について:現在地元では、ワバチが山のクロキを蜜源として集めた濃い蜜のことを「クロミツ(黒蜜)」とか「ヤマミツ(山蜜)」と呼んでいる。色は濃い茶色であり、市販されているセイヨウミツバチの薄茶色の倍近い濃さである。理由は(1)蜜源の違いと、(2)年に一回しか蜜切り(採蜜)をしないこと、(3)機械で絞らないことなどによるのだそうである。さまざまな薬効が伝承されており、薬としても重宝された。
[6]社日(シャニチ):春分や秋分に一番近い「戊(ツチノエ)」の日で、旧暦の二、八月(新暦の三、九月)である。「社」は土の神で、「戊」は五行の土に属し、社日はそれを祭る日であって、農作物の豊穣を祈願する節日とされる。中国の土地や部族の守護神と日本の地神信仰や田の神信仰とが習合して広まったとされる。
文献
[1]原 道徳「熊野路のニホンミツバチ」」「ミツバチ科学」、2(4):157-160.1981
[2]東牟婁郡役所編「紀伊東牟婁郡誌」(下)名著出版、東京 pp. 222-224(もとは1916年刊行)1970
[3]幾瀬 マサ「日本植物の花粉」東京廣川書店 1956
[4]岩崎 靖・井原 道夫「伊那谷のニホンミツバチ」「ミツバチ科学」158(1):7-18.1994
[5]金 両基「韓国神話」、青土社 東京 1991
[6]金 達寿「日本の中の朝鮮文化」8 講談社文庫 東京 pp.95-98.1991
[7]高野山大学社会学研究室・(財)和歌山社会経済研究所「古座町・古座川町調査報告書」pp.22-29,pp.98-101.1993
[8]前川 文夫「日本人と植物」pp.182-185.1973
[9]南方熊楠「本邦における動物崇拝」「南力熊楠全集」平凡社 p. 78,p.94,1971
[11]中尾 佐助「栽培植物の世界」中央公論社 pp.23-29.1976
[12]中尾 佐助「半栽培という段階について」「季刊どるめん」13:6-14.1977
[13]中尾 佐助「討論 半栽培とシベリア・ルートとツブ酒」佐々木 高明編「日本農耕文化の源流」日水放送出版協会 pp.149-161.1983
[14]南紀徳川史刊行会「南紀徳川史巻之百三 郡制第十五 産物誌一」pp.530-531.1932
[15]野本 寛一「熊野山海民俗考」人文書院 p.62-65.1990
[16]岡田 一次「ニホンミツバチ(日本蜂)−覚え書き−」「ミツバチ科学」12(1):13-26.1991
[17]小野 正人「アジアのミツバチ」「ミツバチ科学」13(1):19-22.1992
[18]Oschmann,H.Eine bienenkundliche Reise in die Volksrepublik China.Archv fur Geflugelzuchtund Kleintierkunde,10:235-255.1961
[19]坂口 謹一郎「日本の酒の歴史 酒造りの歩みと研究」研成社 pp. 91-93.1997
[20]澤田 昌人「ヒト−ハチ関係の諸類型−ニホンミツバチの伝統的養蜂−」「季刊人類学」17-2:61-125(内122-125はコメント)1986
[21] 宅野 幸徳「対馬の伝統的養蜂」「民具研究」103:1-13.1993
[22] 田村 正「農民のまつり 淡路島の社日信仰」淡路地方史研究会1989
[23] 吉田 忠晴「対馬におけるニホンミツバチの採蜜」「ミツバチ科学」11(2):63-66.1990
[24] 吉野 裕子「陰陽五行と日本の民俗」人文書院 1983
[25] 渡辺 孝「日本における旧式養蜂の歴史」「ミツバチ科学」2(2): 75-86.1981
[26] 渡辺 孝「ミツバチの文化史」pp.192-196,pp207-216.1994
[27] Wook,K.S.「韓国の養蜂」「ミツバチ科学」12(2):55-57.1991








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