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6) 分科会3

「転生するボランティア−苦悩と成長をどう支えるか」と題した分科会では、まず、ボランティアは関る相手の生き死にを共に考える存在であるということが確認された。人の苦しみや哀しみを理解するとは分析したり解釈したりすることではなく、その人の側に身を置くこと、そして、自らの生き方を変えることが重要であることが話し合われた。また、このようなことは、ケアに関る者の喜びであり、人が豊かに生きていこうとするときの契機となる。

自らすすんで他者の生老病死と出会い、自分自身の生き方を見つめ直し、変えていこうとする人が、自分自身の存在が大きく揺さぶられる時の苦悩をどう乗り越えていくのか、そのようなボランティアの一人ひとりの生に向ける眼差しを示した分科会であった。

 

7) 分科会4

「話すこと・聴くこと−セルフケアをケアする」と題した分科会には、全体の参加者の半数近くが参加し、活発な意見交換がされた。

人は苦しみの中にあるとき、自らを語ることによって、本来の自分自身を取り戻す足がかりを得ることができる。自らを受け入れてもらえる場や、聴いてくれる他者に出会うことで、本来の自分に立ち返り、自らの内からエネルギーを汲みだすことができると考えられるからである。自分を表現すること、それを通して自分自身をケアすることを、さらには他者はどのように支えることができるかを、「聴くこと」の実践から考えることを目的として、議論をすすめた。

発題者の一人、大阪で坊主バーを開いている瑞光寺住職の清史彦さんは、「癒しとかヒーリングとかいう言葉をよく聞くが、本当に自然な心をしていれば、そんなものはいらないはずである。そういうことを意識しないでもいいような、本来の生活を取り戻す必要がある」ということを投げ掛けた。

 

8) 総括

栗原彬さんは、この研究集会の成果を、総括として次のようにまとめた。

●「ケアする人のケア」は、ケアする人は、健康であるべきだ、ケアする人をいかに健康にするかという議論で終わってはいけない。私たちは障害を持ちうる、あるいは病をもちうる普通の人間であるということが大事な点である。私たちが、患者やクライアントの障害や病を含んだ総体であるその人を受けとめることなしには、ケアは成り立たない。ケアする人も悩んでいる、ケアする人も障害をもつ可能性をもっていることを認めていくことが必要である。

●「出来事としてのケア・ケアの哲学」−ケアする人が患者やクライエントの全体像に立ち会った時、介護や障害ということを抱えて生きるという現実がケアをする人、される人の双方にわたって肯定される必要がある。そうしたときに初めて患者やクライエントの全体を聴くことができ、共同行動としてのケアが生まれる。共同行動としてのケアとは、他者の力によって、私の中に眠っている内発的な力が動きだすということである。つまり、誰かが傍らに立ってくれることで、私が自分自身の内的な力を引き出すことができるということである。

 

 

 

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