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第四に、抽象的危険犯の事例として、[事例5]「A国タンカーがA国領海内で座礁沈没し重油を流出し我が国の沿岸に浮流油が漂着した場合」にも、抽象的危険犯は抽象的危険の発生を処罰根拠とする犯罪なので、抽象的危険の発生した場所も犯罪地であるという考えが出てくる。現に、学説の中には、例えば、「公海で船舶が環境汚染を惹起し他国の領海においてまで結果を惹起する場合」には遍在説により被害を受けた国家が裁判権を行使することを認め、ただ国連海洋法条約230条1項により罰金刑でしか処罰できないので、重大な結果が被害国に及ぶことが十分に予見される場合には同条約230条2項を積極的に活用すべきだと主張するものもある(48)

しかし、結果は、構成要件的行為から場所的もしくは時間的に分離できる外界における変化だけを意味すると解すべきであり、抽象的危険犯ではこの意味での構成要件的結果は存在しないと思われる。海防法(海洋汚染および海上災害の防止に関する法律)は、4条で「何人も、海域において、船舶から油を排出してはならない。」とし、55条1項で故意犯を、2項で過失犯を処罰しているが、排出違反の罪は抽象的危険犯とされているので、浮流油が我が国の領海に漂着しても構成要件的結果が発生したとはいえず、したがって我が国は犯罪地ではない思われる(49)。したがって、排出行為が領海(排他的経済水域)外の海域においてなされた場合には現行海防法では処罰することはできないことになる。

判例集に登載された事例として、[事例6]「遠洋漁業の漁船上で発生した傷害致死事件に関し、日本漁船の漁労長が犯人の依頼を受けて過失による事故である旨の内容虚偽の死亡事故報告書を作成し、それをタヒチ島の事務所に設置してあるファックスで我が国のF海上保安部に写真伝送した場合」は、刑事司法作用の円滑な運用を保護法益とする抽象的危険犯である偽造証拠使用罪(104条)の成否が問題となる。同罪の構成要件は「他人の刑事事件に関する…偽造…の証拠を使用した」となっているので、偽造証拠の使用という構成要件該当行為は外国領土内で行われ、ファックスが海上保安部に届いた事実は実行行為から分離できる外界の変化とはいえないので構成要件的結果ではないと解され我が国の刑法は適用できないと思われる。

 

 

 

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