では、このあたりで主題に戻り、東南アジア自体に焦点をあてることにしよう。
大掴みにいって、東南アジアの土着文化には、次の三つの共通点を見いだすことができる。
1)生存を支える基礎的技術
2)家族構造(双系的軟構造)
3)世界観(アニミズム)
そこで、この三点の特徴について、簡単な説明をすることにしよう。すなわち、元来、この地域のかなりの地方では、採取、狩猟、漁労などに従事する住民が多かった。しかしながら、歴史時代に入ると、農耕に移るものが増えてきた。大陸部では稲・雑穀が中心であり、島嶼部では根菜(イモ類やバナナなど)に稲が加わる。また、島や海岸の立地を利用して、漁業をする者も少なくなかった。
こうした東南アジアの人々の生活を守ったのが森羅万象に宿るカミガミであり、外部の人間はそれをアニミズムという。それらのカミガミは砂漠のカミのように強烈な個性を持つ唯一神ではない。熱帯のジャングルの木陰や岩陰に潜むカミガミであり、おどろおどろしい世界を繰り広げている。
いずれにせよ、東南アジアに住む人々の多くは、豊穣な熱帯の自然と比較的安全な社会環境のお陰で、かれらは父系にも母系にも片寄らない軟構造の双系社会を形成したのである。
一般的にいえば、父系社会のような硬構造な社会は知的にも物的にも蓄積体系が発達している。それに対して、双系的軟構造社会では蓄積体系が未発達の場合が多い。そのためであろう、東南アジアにおいては大王朝の成立が遅れ、インドや中国のような華麗な古代文明の開化を見ることはなかった。自然態の東南アジア世界に刺激を加え、国造りのきっかけを与えたのは外来文明であった。
(3) 外来文明の東南アジアヘの伝播
フランスにおける東洋学の泰斗であるジョルジュ・セデス(George Coedes)は大陸部東南アジアをインドシナと命名した。東南アジアの人々の間では、土着文化を軽視した命名法だったと、必ずしも芳しい評価をされていない。だが、この地域の文化的特徴の一面をよくあらわしている用語といえる。
しかしながら、今日の東南アジアを一瞥すると、かってスペインの支配のもとにあってカトリックの影響を強く受けたフィリッピンを除くと、ベトナム、とりわけその北部地方にはシナ文明、すなわち中国文明が深く痕跡を残している。