日本財団 図書館


東方に向かっても、陸続きの場合には、中国大陸だけではなく朝鮮半島に至る広大な地理的空間を制圧し、“草原の暴力”の名をほしいままにした。しかしながら、ユーラシア大陸の東西にわたって、いたるところに爪痕を残したさしものモンゴール人たちも、あまり広いとはいえない対馬海峡という海洋の壁を乗り越えることはできなかった。すなわち、1274年の文永の役には博多の浜辺に足跡は印したものの、おりからの台風によって退却を余儀なくされた。また、1281年の弘安の役に際しては、、日本側の善戦もあって、モンゴール人たちもその野望を断念せざるをえなかったのである。かくして、日本列島の住民たちは1945年に第二次世界大戦で敗北するまで、外国の支配を受けることはなかった。

また、この報告書が主題としている東南アジアについていえば、海洋に加えて、その存在と深くかかわりあっている熱帯における高温多湿な生態系も、モンゴール人の“草原の暴力”の南進を妨げるのに大きな役割を果たしたといえよう。乾燥冷涼なユーラシア大陸のステップの生態系に育まれてきたモンゴールの遠征軍も、高温多湿な熱帯のジャングルやそこに践雇するマラリヤやフィラリアをはじめとする風土病のおりなす自然の壁に阻まれしまったのである。かれらは今日ベトナムと呼ばれる地方以南には、兵を進めることができなかった。

 

(2) 人々の交流を促進する海洋

アジア社会の基層を考えるうえで見逃すことのできないのはインドネシア・マレー語に代表されるオストロネシア系言語(南方島嶼語)を話している人々である。これらのグループに属している人々は、東南アジアの多島海地方を中心に分布しているだけではない。北方に向かっては、台湾から南西諸島、さらには九州南部にまでその足跡が及んでいる。われわれに馴染みのあるオストロネシア系民族集団としては、隼人族などが知られている。現代日本に残されている隼人の盾なども、その表面に描かれている模様は、今日インドネシアと呼ばれている島々のものと酷似している。

さらに、オストロネシア系の人々が海を利用して、大挙移動した形跡はアフリカ東海岸にも及んでいる。アフリカ大陸自体ではその痕跡は消滅しているけれど、その東方約400キロメートルに浮かぶマダガスカル島の東半分には、オストロネシア系住民が分布している。人種的にも南モンゴロイド的形質をもつ人が多く、また言語的にはオストロネシア語の古層が残されているといわれる。さらに、生活様式も水田稲作を基調とした“東南アジア”的様相を呈し、かつてマダガスカルの日本大使であった山口洋一氏は“アフリカに一番近いアジアの国”とさえ呼んだほどである。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION