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インド洋の彼方アラビア、そして、さらには、西方のヨーロッパ世界とアジア、とりわけ“中国的”世界を核とした東アジアとの東西交流の中継点として、世界史的にきわめて重要な役割を果たしてきたのである。

(注)

1]この小論を作成するにあたり、学識の深い畏友たちとの共同研究に触発されることが多かった。とくに斯波義信教授(国際キリスト教大学)と高谷好一教授(滋賀県立大学)と、1997年2月と3月に横浜で二回4日間にわたっておこなった鼎談には、負うところが大きい。とはいえ、もちろん、このエッセイに書かれた内容の文責は筆者にあることはいうまでもない。またこの小論中の“世界”という用語は、高谷好一教授の下記の書籍を参照させてもらった。高谷好一(1996):『「世界単位」から世界を見る─地域研究の視座─』京都大学出版会

2]中国やインドについて、あえて“中国的”世界や“インド的”世界と表現したのは、現在り国民国家である中国やインドとは異なるという意味である。これらの用語は、むしろ、それらが文化圏であり、また文明圏を意味している。

3](cf.Embree、John F.(1950)“Thailand:A Loosely Structured Social System”、American Anthropologist No. 52

 

2-3-6 「海の果たした文明史的役割─東南アジア世界を中心に見る」

 

はじめに

ある意味で、海は極めて矛盾に満ちた存在である。海が人類に提供している広大な地理的空間は、人々や文化・文明の交流を妨げたり、遅らせたりすることも少なくない。

しかしながら、その一方では、海流などは、季節風のような他の自然現象とともに、人々の交流を促進したり、文物の伝播を盛んにすることもしばしば見受けられる。そこで、この小論では、その事例をアジアの中心部分を占めている東南アジアに求め、海洋の果たした文明史的役割について考えてみよう。

 

(1) 人々の往来を妨げる海洋

ユーラシア大陸を席巻したモンゴール大帝国の歴史は、人間と海洋のかかわりあいの一面を如実に物語っている。13世紀から14世紀にかけて、ユーラシア大陸に大帝国を築いたモンゴール人たちは、陸続きの西方に向かっては、ウラル・アルタイ山脈を越えて、ヨーロッパはドナウ川流域まで兵を進めた。

 

 

 

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