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しかも、ユーラシア大陸とは陸続きであるとはいっても、北方の遊牧民たちにとっては、大陸部東南アジアの生態系はきわめて高温多湿である。このため、そこに侵入し、略奪するといったような“ステップの暴力”を振うことはできなかった。換言すると、インドシナ半島も、北方遊牧民たちの生活空間(エクメーネ)の外にあったようだ。

このようなわけで、前述のように大陸部東南アジアは、おおむね島嶼部と同じように、衣食住だけではなく、安全の入手にも比較的容易だったと考えられる。そのため、この地域に住んでいる人々の多くも、父系親族集団を軸とした氏族や部族、あるいはカーストといった第二次集団を形成することはなかった。島嶼部東南アジアにおける多くの人々と同じように、家族という第一次集団やムラという近隣集団のなかに安住し、“緩く組織された”非系(双系)的社会組織を形づくってきたのであろう。その意味では、大陸部東南アジアの社会や文化は、巨視的にいうと、島嶼部東南アジアと同じ類型に属しているサブ・タイプともいえよう。

いずれにせよ、アジア社会を文明史的にみると、一方の極にストック中心型の“陸の世界”があり、古代文明発生の地となった。また、一方、反対の極には、フロー中心型の“海の世界”があり、中印二大文明に交流の場を提供しただけではなかった。はるか西方のアラビアからのイスラーム文明の東方への伝播にも、大きな役割りを果たしたのである。なお、こうした世界史の流れに先立ち、大陸部東南アジアの大部分には、おもに海路により、ヒンドゥイズムや仏教(ある時は大乗系、また他の時は上座部系の)に代表されるインド文明がもたらされ、古代王朝や古代国家の成立に大いに寄与したのである。

ただ、インドシナ半島における例外はベトナムである。ベトナムには、北方から約十一世紀の長きにわたり、漢族が政治的、軍事的圧力を加えてきた。ベトナム人たちは、それに屈服することなく、抵抗を続けたのである。その間、かれらは東南アジア的軟構造をもった基層社会を漢化し、硬構造化(組織化)したのである。かくして、ベトナム人たちは“北属南進”を始め、大陸部東南アジア東部に三教(儒教、道教、大乗仏教)に代表されるような文化をもつ“小中国的”世界を形成したのである。

このように、アジア社会を文明史的に顧みると、“陸の世界”は中印二大文明の発生の地として、世界史の発展に多大な貢献をしてきたことはよく知られている。一方、“海の世界”は、アジアにおけるこれら二大文明の交流の場を与えただけではなかった。

 

 

 

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