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勿論大西洋と太平洋のこのような性格の違いは、その大きさの違いによるところも大きいのであって、太平洋は大西洋より両岸の物理的距離がはるかに大きいことは事実である。しかし海洋がその周辺を結びつけるものとなるか切り離すものとなるかは、単にその大きさや気象などの条件だけで決まるわけではない。むしろ歴史的社会的条件が大きな意味を持つことは地中海の場合でも明らかである。ヨーロッパ大陸の北側でも、北海、バルト海或いはドーヴァー海峡などは、中世末期まではノルマン、イギリス、スウェーデンなどの北方勢力が大陸に勢力を伸ばすための通路となっていたが、近代にはむしろイギリスやスカンジナビア諸国が大陸から独立した民族国家を発展させるための防壁となった。

海洋から交通路や交易路、或いはより一般的な文明や文化の伝播路、更には政治的軍事的覇権の確立のための手段となるか、逆に文明や文化の影響を遮断し、或いは周辺の国々が政治的、軍事的或いは経済的独立を維持するための防壁としての役割を果たすかの違いは興味深い問題である。そこには単に自然条件だけでなく、多くの政治的経済的社会的条件が関係している。

ここで一つ注目すべきことは、海上交通と陸上交通との相対的関係である。陸上でも大河やステップ砂漠などは、交通路としての役割を果たすこともあり、また障壁にもなる。山岳はほとんどすべての場合、大きい障害物である(ただしインカ帝国のように山地に文明を築いた例もあるが)しかしそれがどの程度の障害となるかならないかは技術的手段の発展に大きく依存する。騎馬団を用いることによってモンゴルは中央アジアのステップ地帯を交通、コミュニケーションの通路とし、そこに大帝国を建設すると同時に、東西交易の通路とした。モンゴル帝国の没落後、東西の陸上交易路が撹乱されたことが、ポルトガルを先駆とする西ヨーロッパ諸国による「大航海時代」を拓くきっかけとなったのであった。そして西欧諸国が東西海上交易路を確立すると、ユーラシア大陸の陸上東西交易は完全に衰退してしまった。古代からの「シルクロード」はほとんど消えてしまったのである。

一方中世にヨーロッパの中心が地中海沿岸から内陸に移動したことについては、陸上の道路や河川の水運が開かれたことが大きく働いている。近代になって鉄道が発明されたことはこの傾向を決定的にした。一方世界の交易路が陸上に移ったことにより、海洋を支配するものが世界の政治的経済的覇権を握ることになった。

 

 

 

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