日本財団 図書館


2-1-3 海洋の社会的役割

1. はじめに

海洋というものを社会的観点からどのように見るかということが、ここでの基本問題である。

昔から海洋は人間の住む陸地に対して、その外を囲むもの、すなわち社会の外側にあるものとして理解される傾向があった。しかし現代ではむしろ海洋の側から、その中や周辺における人間の社会的活動を考える必要があろう。

勿論歴史的に見れば、海洋が常に社会の外側にあるものと理解されたわけではない。古代のエーゲ海におけるギリシア民族、或いは太平洋におけるハワイ民族のように、海洋をその活躍の場としていた民族もあった。しかしそれはむしろ例外であった。

 

2. 交通、交易路としての海洋

歴史的に海洋は交通路、或いは交易路として重要な役割を果たしていた。海はその限りで異なる国々を離すものであると同時に、結び付けるものでもあった。特に地中海やバルト海、黒海、或いは瀬戸内海などの内海は交易路として重要であった。

歴史的に見て興味あることは、海がその周辺にある国々を結び付ける役割を果たす時と、切り離す役割を果たす時期とがあることである。地中海はローマ帝国時代は、いわばローマ帝国の内海であり、ローマとエジプト、小アジア、シリア、ギリシア、スペイン、北アフリカなどのローマ帝国の領土は地中海によって結び付けられていた。しかしイスラム帝国が勃興し、地中海南岸からスペイン沿岸までがイスラムの勢力下に入ると、ヨーロッパキリスト教世界の中心は内陸に移り、地中海はむしろキリスト教世界とイスラム世界を隔てる障壁となった。

太平洋と大西洋は長いこと、新旧大陸を隔て、ほとんど遮断していたが、コロンブスの「アメリカ発見」後、交易路としての大西洋は急速に発展し、ヨーロッパ─西アフリカ─アメリカ(最初はカリブ海諸国)を始めいわゆる三角貿易を通じて、ヨーロッパそして後にはアメリカ大陸の経済的発展の要となった。

これに対し、太平洋はマゼランの世界一周後も、その両岸を結びつけるものとしてよりも、むしろ切り離す性格が強かった。日本や朝鮮がヨーロッパ勢力が最初に到達してからなお300年も後まで鎖国を続けることができたのは、太平洋が障壁となっていたからであった。

現在でも、時に「環太平洋圏」というような言葉が用いられることがあっても、太平洋は依然として東アジア文明圏とヨーロッパ文明圏とを隔てる境であって、その周辺を結びつけるものとはなっていない。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION