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しかし、それを研修生同志で話し合い、みんなの意見を聞いたり、やり方を見て、勉強になりました。また、患者、家族、医師の役をやることで、その立場に立った時、どのような考えになるかということも経験し、相手の立場になって考えるということを、いかに今までうわべだけでやっていたか、看護婦の立場だけで考えていたかということを痛切に考えさせられました。

この一連の研修で、学んだことは第一に看護者として、患者を本当に理解するということの大切さがあります。それには、観る、感じる、聴く、話す、触れるなどのコミュニケーションの方法があります。これには看護婦の感性がかなり要求されると思います。患者役をやって初めて、看護婦に何か言おうとすることは、とても勇気のいることで、なかなか話せないということもわかりました。

表面的なことだけでなく、言葉に出して訴えていること、顔に表情として出しているものの本質は何かということを感じ、察してあげられる豊かな感受性を持つことが必要だと感じました。

第二に相手を理解するためには、自分自身のことをわかっていないといけないとということです。自分はどんな人間で、どんな価値観を持っているか、一つひとつの状況を自分はどう判断し、把握しているかを、しっかり持っていないと患者の前で、迷いが出たり、自信がなくなってしまうと思います。自分というものをしっかりと見つめ、受けとめ、考えていくことで成長していかなければと考えます。

第三に専門職業人としての看護観をしっかり持って、患者やスタッフに関わるということです。その人に何が一番適切かがわかっていて、その技術も持っていることが大切なことだと考えます。客観的に物事を考え、実行できる基本的スタンスを持つことは、患者と向き合うために重要なことだと思います。

この研修で、緩和ケアの看護婦として看護技術以外に、様々なことが必要とれさるということを学びました。しかも、一番大切な死生観というものを、自分の中に持っていないといけないということがよく理解できました。死というものを身近に感じながら生きている患者と接していくために、死についての話は避けて通れないと考えます。死についての話を本心で語り合うことができなければ、患者と深いところで関われなくなり、本当の意味での患者の理解はできないと考えています。そして自分の中で確立したものがなければ、死にゆく人のあまりにも多いその職場において、耐えられなくなることは容易に想像がつきます。死生観について、自分の中で深めていく作業は続けていかなければならないと考えます。

 

死生観について

 

私はこの研修の前に何冊かの本を読みました。その時は漠然とそういうものか…という程度の理解の仕方だったのですが、こうした研修で実際に説明を受けていく中で、少しずつわかってきたように思います。私の好きな瀬戸内寂聴さんが書いた『寂聴般若心経』という本の中の法話の文章を引用します。

 

大変偉い禅宗のお坊さんで、仙崖というお坊さんがいたんです。この人が死ぬ時に、お弟子さんがズラッと取り巻いて、偉い坊さんですから、死ぬ時に何かかっこいい遺言を言ってくれないかと思っていたんです。それで、「まさにお死にになりますが、いかがですか」と聴いた。そしたら「死にたくない」。弟子が困ってね。もうちょっといいことを言ってもらいたい。もう一回「いかがでございますか。死をどうお思いになりますか」と聞くと、また「死にたくない」。また聞かれるとうるさいと思って、つづけて「どうしても、どうしても死にたくない」。

とてもいい話です。だれだって死にたくないですよ。あの世はどんなところか、わからないですもの。恐いし。死にたくないと思うのは、当たり前だと思います。私だって、あの世のことはわからない。だけど坊さんだからあの世はいいところよと言わなきゃならない。

 

 

 

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