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患者を理解することの大切さ

 

市立備前病院

大取 美穂子

 

はじめに

 

私は緩和ケアケース養成研修に参加することが決まって、ある友人に緩和ケア、ホスピスの研修に行くことになったと、何気なく話をしました。その時、友人は私にボソッとこう言いました。「そんな研修に行っても自分の死生観や価値観、看護観など哲学をきちんと持っていないと行っても無駄なんじゃない。それと感性が大切だと思うよ」。こう言った友人は医療関係者ではありません。その友人にこう言われて、私は返す言葉がありませんでした。私はそれから、キューブラー・ロスの本や、般若心経の本などを読んだり、ホスピスボランティアをしている作家が書いた本も読みました。しかし、はっきりと確信をつかめないまま研修の当日となりました。

 

研修で学んだこと

 

研修が始まり、2週めに脇本先生の講義になりました。講義は終末期患者に対する看護のあり方を学ぶために、チームとして患者、家族への支援のあり方を体験的に学び、研修生一人ひとりの中で、死に対する考え方を整理することをねらいとしていました。つまり死生観を検討することだったのです。

まず自分が残り1年の命になったときどうするか、というものでした。死ぬまでどこで、だれと暮らしたいか?知らせたい人は?死ぬまでにやりたいことは?最高に充実した24時間の使い方は?など今まで考えたこのとなかった死というものが自分の身近なものとなっていきました。仮定の話であるのに、もしそうなったら…と考えてみて初めて自分の中のことがわかるような気がしてきました。遺言状まで書き進んでいく過程は、自分が赤裸々に明かされるようで恥ずかしく、また難しいものでした。

しかし、死というものが現実として自分の目の前に実感されて初めて一番大切なもの、大切な時間の過ごし方が見えてくるということがわかりました。すなわち死を意識して初めて「より良く生きる」という意味がわかるのではないかと実感しました。そして今、何気なく暮らしている日常こそが最後まで大切な場所であり、生きるということに直接つながるところだとわかりました。しかし、そうではない人もいると思います。個人の価値観により様々であると考えられますが、最後まで本人の望む「生きる」ということの尊重、「生きること」への援助をしていくことが大切であると考えるようになりました。般若心経の「諸行無常」ということにも通じる詩集の中の「明日死んでもいいように今日を生きる」という言葉は、私の心に深く残っています。私にとって健康な今、その意味を考えながら日々生活していくことが大切だと痛感しました。「死ぬ」ということは死ぬまでどう生きるかだということも理解でき、私達の仕事は、その人が最期の日までどう生きるかということを、その人の価値観にそって援助していくことなのだと考えました。

続いて研修は、患者、家族と看護婦役、医師役のロールプレイになりました。何度行っても、どれひとつ納得のいく対応はできませんでした。患者の前で迷い、何もできない看護婦役の私がいました。自分の答えの引き出しの少なさに落ち込み、患者の言いたいことをうまく引き出せないコミュニケーション技術に落ち込みました。

 

 

 

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