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輸液コントロールについては、末期がん患者の輸液にはこの方法が良いという決まったものはないとのことであった。今まで何故そこまで輸液をするのかという気持ちもあった。目的を延命処置でなく、症状のコントロールをすることにおく必要があるとわかった。また、食べられないからするのではなく、食べられないことの問題が誰にとって問題なのか考えることが大切だとわかった。食べられないから弱るのではなく、弱っているから食べられないと考えたほうが良いとわかった。これからは、医師のオーダーに目を光らせ、患者にとって理想的な輸液ができているか見ていきたい。

家族への援助ということでは、家族の構成にはいろいろな考えがあること、家族と医療関係者は協働の関係であることがわかった。その家族を理解するには、苦しみやニードをどう捉えるかが必要で、そのためにはストレスコーピング理論が適応できる。しかし、理論についてはまだまだ勉強不足なのでこれを機会に学びたい。また、井上先生の講義で、「ホスピスに働く人は、一に優しさ、二に優しさ、三に優しさが必要である」といわれ、改めて自分の姿勢が間われているようで反省させられた。「ことばは心のうちにあるものを示す。おおよそ心からあふれることを心が語るものである」。心の中で思っていることは表情や態度に出るものである。講師のようなすばらしい人柄にはなれないが、少しでも近づけるように努力をしたい。

看護倫理の基本原則で最も重視されるのが尊重することである。自律、善行、無害、正義、真実、忠誠の6つの原則と効用の原則があげられる。これらの原則を踏まえ行動しているつもりではあるが、業務優先の中、無視した行動に走ったこともあったのではないだろうか。終末期では、自己決定ができない、聞き入れられない、守られないという現状がある。知る権利、ケアに関わる倫理的な問題などに現場で十分留意すべきであると実感した。

コミュニケーション技術の活用は、市民ボランティアによる模擬患者の参加とその演技に驚かされた。演技のリアルさが良かった。今までにない体験で、このようなことも可能なのだと認識した。ロールプレイでの役づくりをしての体験学習がとても良かったため、院内での研修に使いたい。コミュニケーションは難しい、うまくいかなくても次がある、どれぐらい近寄れるかが大切である。患者を知ろうとすれば看護婦が自分を知ることである。20数年も看護婦をしていると、看護観、価値観、倫理観などはそれなりに持っているが、それが正しいかどうか問うとき、このような研修が役に立つと思った。コミュニケーションは、看護婦と患者との関係で、患者の成長ではなく、患者の心を開き癒すことである。コミュニケーションの方法が理論的に学べたため事例でうまくいかないときに利用したい。

社会資源の活用を学び、今まで関わってきたことがいい加減であったと思い知らされた。病院にMSWの存在を求めたいところであるが、この資料をもとに、経済的なことで不安を持たず療養できるように配慮していきたい。医事課に任せっぱなしになっている現状を踏まえ、経済的救済についての講義を院内にも取り入れるべきだと思った。

スピリチュアルペインの講義はとても良かった。患者にとって私達が癒しの器になることが大切ということがわかった。ターミナル期には、人間としての根源的な叫びを大小様々に持っている。生きる意味への間い、人生の苦悩や苦痛への問い、罪責感、死後の世界、希望、自分の死生観を持つことなどであった。死は永遠の別れではない、「天国のメインゲートでお会いましょう」ということばがとても印象的であった。「プロの微笑みは観音様の微笑みである」といわれた。患者の前では微笑みを忘れないように努力をしているが、その観音様の微笑みを忘れずにいたい。生きていることを喜んでいるのかどうかを見ていきたい。生まれてくるときと死ぬときには援助が必要、生きていくのも援助が必要なのである。

 

 

 

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