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患者さん中心にケアすることは、かなりの時間を要することもあり、それに加え突発的な出来事もたくさんある状況で、看護婦は今の時をどの患者さんに使うか優先度を考え調整することが重要になる。患者さんと向き合っている時、まさに今を大切にしていく必要がある。

残された時をその人らしく生きてほしいと常に願っていることであるが、患者さんと関わるうちに、患者さんはとてもつらい状況にありながらも、その人らしく本当に一生懸命生きておられると感じた。死を見つめながらも生をまっとうしようとする力強さを感じた。今まで患者さんの生きようとする力を認めていなかったのかもしれない。私自身が患者さんの生き方を判断していたのではないかと思った。患者さんの生きようとする力、可能性を信じケアしていこうと思った。

患者さんは最後まで生きる意味、価値を見いだそうとするのだと思った。ある患者さんの部屋を訪室すると、洗面器いっぱいにとてもきれいな椿の花が入れられていた。患者さんは、これは私が大切に育てたものだ。最初は小さな木が、今は大木になって花を咲かせるようになった。この木を寄付しようと思う。そうするとたくさんの人にきれいな花が見てもらえる、と言っておられた。それを聞いて、社会や人に貢献したい。自分の命はなくなっても大切に育ててきた木はいつまでも人を楽しませることができる。違う形で存在しつづける。何かを残したいというような思いが伝わってきた。これから、こういう患者さんの思いが感じていけたら良いと思った。

家族の援助について、患者が一人ひとり違うように、家族のあり方もそれぞれ違う。患者と同様に家族一人ひとりに援助が必要であると実感した。家族の方も患者と同じように、身体的、社会的、精神的、霊的痛みを持っているのだと。患者さんの中には複雑な家族構成を持った方も多く、家族の存在が患者さんの癒しにつながらない場合や、身寄りがなくキーパーソンが知人であり、その方に看取られた患者さんもおられた。家族の理解、家族アセスメントが重要になってくる。

家族に対しても、傾聴していく。ゆっくり休める時間の確保と環境の提供をする。最後まで共に支えていく。勇気づける。そして敬意を払うことが大切である。家族の考えが医療者の思いと異なる場合、家族なのだからこうするべきと、思いも聴かず押しつけていることが多かったと思う。それぞれの患者、家族をありのまま受け入れ、当人達にとって最善と思われる援助が必要である。

遺族の方が病棟へあいさつにみえていた。辛いこともあったけど眠るように亡くなっていった。亡くなる前に実母に会わせることができた。看取りが近いということを適切に言ってもらい、息、子と2人で看取ることができた。ここで過ごせてよかった。今は息子と2人で頑張ってます、と言って感謝しておられた。患者、家族がどのように終末期を迎えるかにより、死別後の適応、立ち直りに影響するということを実感した。遺族の方にここで過ごせて良かったと言われるような援助を行っていこうと思った。遺族の方に対しても、傾聴、共感の態度で接しておられた。

看護婦さんの患者さんとの関わりを通して、看護婦としての姿勢を見ることができた。患者さんの側にいて、じっくりと傾聴し、反応が返ってくるのを待ち、理解的態度で接しておられた。決してケアを押しつけるのではなく、患者、家族の方の思いに沿って、患者、家族の方がケアに参加し、自己決定する。その人が必要としている、その人にあったケアが実践されていると思った。とても忙しい医師に対しても、把握した情報の伝え方は、専門性を十分理解し、尊重したコミュニケーションをとられており、見習うところはたくさんあった。

実習することにより、講義で学んだことを体験することができた。そして、私自身の看護を振り返ることができたと思う。患者、家族の方を一人の人間としてケアし、これからの出会いを大切にしていこうと思う。

 

 

 

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