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看護婦のあり方は、人数に余裕がありプライマリーが退院後まで責任を持っている。家族・遺族ケアを考えるとプライマリー制が適している。病床数に比較し人数が多いため時間的余裕があるのか、全員がゆったりと患者と関わっており、これが緩和ケアなのかと思った。婦長をはじめ、全員が優しさ、温かさ、思いやりがあった。全員が希望して来たわけではないことや、新人看護婦がプレッシャーに負けずに頑張っている姿はすばらしいと思った。医師も患者と前向きに関わりスキンシップしている姿は、緩和ケアの医師という感じがした。夜間の看護に特徴があるのではないかと考え夜勤をさせてもらったが、起床や就寝の放送をしないことや、モニター類の機械音もないためか、思っていたより静かであった。不安を抱えながら夜を迎えることでもっと訴えが多いと思っていたが、薬剤コントロールがよいのと環境が落ち着けるために静かなのかと思われた。ただ、夜勤で注射や薬の準備に時間がかかり大変だと思った。講義では、緩和ケアの輸液のあり方は決まったものがないとのことであったが、試行錯誤していることが伺えた。

実習中、一人の患者のケアを集中して関わらせてもらった。A氏は、59歳の男性で胆管がんの肝転移、十二指腸潰瘍があり、BUNが高値で腎機能障害が悪化し救急入院した。夫婦とも聾唖でコミュニケーションは筆談と手話であった。数日もつかどうかという危険な状態であったが入院後腎機能の改善があり、2週間で一時退院も可能な状態になった。この症例に関わり、緩和ケアでは治療はしないということが根本にあるが、そうばかりでもないというのはこのことかと思った。症状の緩和をするために輸液などをすると、結果的に治療をしたことになり軽快するという結論になる。この症例も危険だといわれながら退院できるほど回復をした。年齢も若く、本人も家族も延命を望んでいるのであれば治療も必要かと思われた。しかし、意識のない症例に、あるいは苦痛の強い症例にセデーション以外の治療はすべきでないと思った。また、家族が望んでいるからと、本人の意志に沿わない点滴や治療はすべきでないと思った。何もしないことに対する勇気を持つことも必要である。

緩和ケアの症状コントロールは、痛みに対してはオピオイドでコントロールされやすいが呼吸困難が最も難しいと思った。レベルIII-300で下顎呼吸をしている患者さんを看護している家族から「こんなにも苦しむものなんですか?」と言われ、看護婦も返す言葉がなかったが、私自身ももっと楽になる方法がないのかなと思った。患者は自分の病院と症例的に変わりはないが、その待遇や環境の違いで表情や表現が違うと感じ、緩和ケア病棟の必要性を感じた。少しでも患者の望む看護をしたいと思うのは何処で働いていても同じだと思うが、対応できる時間や心のゆとりは急性期、慢性期、末期の混合されている環境では気持ちの切り替えも大変であり、患者にも受ける看護ケアの差が出てくると思った。

緩和ケア病棟は全国で60数か所しかないとのことであるが、人生の最期を迎える人が死にがいのある、家族が死なれがいのある場所の提供をもっとたくさん用意する必要性を感じた。実習を通し、緩和ケア病棟に入院している患者は幸せだと思った。病棟には、呼吸器もモニターもなく、挨をかぶった小さな救急カートがあるだけであった。がんの末期に呼吸器をつけられ意識のないまま溺水させられるような医療がなくなるよう、私たちは患者の望むことが何であるかを知り、医師や家族に関わっていけるよう努力したいと思った。

 

 

 

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