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終末期患者の安楽のニードを考えた時に、マズローの基本要求であることに気が付いた。終末期の患者さんは、食欲不振や全身倦怠感、不眠や便秘など常日頃自分達も苦痛と感じる症状を、複数に絡み合った症状として同時に感じている。一般的な薬剤に頼り、ケアしていた自分の看護の浅さを感じた。その人の健康状態を知り、その機能が低下している原因を生態的病理学的に理解する必要性を学んでいたが、実践でうまくいかないことが多かった。なぜうまくいかなかったのかと考えた時に、その症状がどのようなメカニズムで発生しているのか、中途半端な理解に終わっていたことに気が付いた。そして、患者の症状体験の理解においても傾聴・客観的に問う・サインをモニタリングするという過程が不十分であることに気が付いた。患者さんの症状を正確に理解するためには、症状をどのように感じているのかを聴きながら、患者さんが情報を提供できるような質問を加えて、体にあらわれたサイン(患者の知覚していない検査データも含む)を観察していくことが必要であることを学んだ。

ペインコントロールの講義の中で、ゲートコントロール理論を学んだ。痛みの患者さんに、マッサージや罨法が効果的であることは実践で理解していたが、理論的に説明できることができなかった。この理論から、痛みの伝達にブレーキを掛けることができることを理解できた。日頃何気なく行っているケアも、意図的に行うことが、専門職としてのケアの提供に繋がることがわかった。

呼吸困難感についても、「主観的感覚である」といわれた時にデータを重視していたことに気が付いた。呼吸筋や中枢の問題までは考えられなかった。呼吸困難感も、症状マネジメントの理論に基づいて考えることが必要であることを学んだ。そして、ハイスコの使用についての質問に対し、「目的を明らかにすることで、医療者の後ろめたさはなくなる」という回答を聞いた時、常に患者さんと家族の立場でケアすることの必要性を理解できた。医療者から見て、「辛そうだ」と感じてケアすることが、その患者さんと家族にとって本当に良いことなのかを確認せずに行われた時に、医療者の罪悪感や不満足感を招くのではないだろうか。コミュニケーションの必要性を、再確認できた。

精神症状についても、告知を受けた患者さんの死の過程の段階を理解し、通常反応の欝なのか、治療の必要な重い欝なのかを考えていかなければいけないことを学んだ。重い欝にしないためには、患者さんが感じている苦痛な症状を軽減することと、バッドニュースの伝え方とその後の支援が重要であることを理解できた。そして、精神症状のみならず、患者と家族の苦痛に対する対応については、ディスカンファレンスで振り返り、一つ一つの事例から学んでいくことの必要性を感じた。

症状マネジメントの講義を通して、薬剤に関する知識も乏しいことを感じた。薬剤の種類や、効果について十分な理解ができていなかった。使われる眠剤や下剤は、患者の体にどのように影響し、苦痛をコントロールできるのかということまで考えていなかった。患者さんの症状を、生態的病理学的に考え、薬効を理解した薬を選択していきたいと考えた。

 

3) コミュニケーション

講義内容には、「コミュニケーション・スキル」とあった。「スキル」という言葉の理解は、十分といえないが、コミュミケーションも治療であることを理解した。日々使われる言葉の中で「共感」「傾聴」とあるが、実践の中で理解して使っていなかったことに気が付いた。言葉を表面的に捉えていたために意図的な関わりができていなかった。意図的な関わりとは、時間や相手の感情を考えた場所の設定を含めた関わりであることを学んだ。そして、対象が言った言葉を自分の中で理解した感情表現として、自分の言葉を使って相手に確認することの必要性を理解した。日頃のアプローチの方法を考えると、医療者中心的介入であり、患者を励ましたり、患者の状況を説明したり説得する場面が多かった。患者中心的介入とは、患者の感情に焦点を当てて話し合い、プライドを傷つけないようなアプローチであることを学び、「共感」も「傾聴」もできていなかったことがわかった。

 

 

 

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