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その患者は意識がなく、妻・4か月の子供・患者の兄姉が付き添っていた。音楽療法士は患者に話しかけながら、いつもリクエストがあった曲を静かな声で歌い始めた。ベッドの両サイドに家族が付き添っている。歌が始まると、苦しそうな呼吸の中で何度か短い「あ」というような声を発した。それを聞き、患者の兄と姉は「聞こえているんだね」と驚いたように言い、患者に声をかけ始めた。そして、患者が元気な頃歌が上手く好きだったことや、結婚式があると得意の民謡を歌っていたことを話し始めた。妻は最後に泣きながら、患者が好きだったという「マイウェイ」を自分で歌った。それはとても貴重で大切な時間だったように思う。私には患者が全て聞いていてくれるように感じた。歌を媒体に家族と患者が一つになり、思い出を共有した時間だったように思う。そして、患者はその日の夜亡くなった。音楽療法はパワーを持っているが評価が難しく、自己満足に陥る可能性があること、チームの一員として情報を共有化していくことの必要性を話して下さった。

このように、様々な職種の人が関わることで、患者もこの問題はこの人に相談しようというように選択している姿も見受けられ、メリットがあると思った。緩和ケア病棟だけに限らずチーム医療の必要性を感じた。

 

看護の役割

 

看護婦は24時間患者の近くにいるということが強みであるということを感じた。看護婦からの情報をもとに話し合いをしたり、患者を訪問したりということが行われていた。チームの中で看護婦はどのような役割を取っていくのか、何を求められているのかということを考えさせられた。今回の実習で感じたのは、看護婦はその人の日常生活を支えていくという視点を持ってケアしていることである。そして、基本的なケアが正確に苦痛を与えず行えるということの重要性を感じた。苦痛がなく爽快感を感じることの積み重ねから、安心感や信頼につながるのではないかと思った。準夜・深夜の夜勤も体験させていただき、その中から、昼間とは違った病棟の雰囲気を知ることができた。患者の側にいるということの大切さを身をもって感じることができた。いつもは処置に追われバタバタと慌ただしい時間を過ごしているため、ゆっくり患者の話を聴くということができずにいた。それとあわせて、例えば沈黙になったときに耐えられない自分がいるということに気付いた。そのことを頭に置き、心掛けて患者の側にいるように努めた。その結果、沈黙が続き眠っていると思った患者が、「苦しまないようにしてほしい」「生きているのが怖い、これからどうなるのか」「眠るのが怖い」等自分の思いを言葉で表し、それを聴くことができた。

基本的には緩和ケア病棟だから特別ということではなく、緩和ケア病棟で行っていることを一般病棟でも行っていきたいと話して下さった看護部長の言葉には共感した。今回短い期間ではあったが、緩和ケア病棟だからできる、一般病棟だからできないということではないように思った。その場で今何ができるのかということを考えて行っていく必要があると感じた。

 

おわりに

 

今まで勤務している病院以外の場所で過ごすということがなかったため、短い期間ではあったが緊張と不安もあった。しかし、私の実習目標が達成できるように計画をして下さった笠原看護部長、日比婦長。日々の実習がスムーズに進むように目配り心配りをして下さり、私の希望を聴き、また様々な文献を紹介して下さった指導者であった関塚看護婦。その他のスタッフの方々も温かく接して下さったことでのびのびと実習を行うことができた。実習で得た学びを今後どのように活かしていけるのかはまだわからないが、清瀬病院の患者さんやスタッフの方々に出会えたことがありがたく、今は皆様に感謝の気持ちで一杯である。

 

 

 

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