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病院には規則が多すぎるし、患者が今まで生きてきた環境への配慮など全くないと言っても過言ではないと思う。すぐに元の生活に戻れる人にしてみればわずかの我慢かも知れないが、そこで生涯を閉じるかもしれない人にとってはそれではすまない。

咽頭がん、骨メタでお尻を持ち上げることも横を向くこともできない30歳の男性は、痛みを押さえてもらうことで何とかリクライニング付きの車椅子に乗り、友人や家族とコーヒーを飲みに行ったり、食事に行ったりと自分なりの生活を楽しんでいた。また、病室では小犬も飼っているのである。その人らしさへの援助とは患者、家族のこれまで生きてきた背景を壊すことなく、思い出や希望を大切にすることであり、可能な限り最後まで思いをかなえることができる環境を整えることなのだと学んだ。

疾患からいえば当然安静をはかり、骨折を予防することが大切となる場合でも、本人の希望という点から考えれば異なっている。緩和ケア病棟における目標設定と、一般病棟との視点の相違を受け入れることという講義の意味が理解できたように思う。

 

チームアプローチの実際

 

患者の苦痛は身体的なものばかりではなく、精神的、社会的、霊的なものがあり、全人的苦痛と言われている。その全てに対応することは医師、ナースのみでは不可能であるということを認識し、多職種の方々への働きかけが必要になるだろう。多方面から支えることにより安定した療養生活が送られることになると考える。三方原ホスピスでは、それぞれの職種が自分の役割をきちんと認識して果たされていると感じた。栄養士さんは自分で盛り付けし配膳することにより、患者と会話をもち食べたいものの希望など情報を得ていた。食事の残量を見て、次の盛り付けを調節しているという話をする栄養士さんの表情を見て、随分患者さんとの距離が近いのだなと感心した。MSWは病棟の何でも屋だと思っていると仕事の意気込みを話され、患者さんばかりでなく全体的な相談役、対外的な窓口として活躍されていた。

チャプレンは霊的な問題に悩む患者さんや家族の話し相手として、また礼拝、お別れ会の主催など受け持たれていた。それぞれが毎日のカンファレンスに参加し、自分の立場で意見を述べるということが大事ということであった。お互いの立場を尊重し自由に発言できるということが、チームアプローチには不可欠な条件であることを念頭に、誰が主導権を握るということでなく情報交換されなければならないということを経験した。よく言われるボランティアの参加についてはまだ課題を残しているということで、実際に会うことはできなかった。

 

家族へのケアについて

 

終末期の患者を抱える家族も、また様々な問題を抱えている。患者は自宅での最後を望んでいるが、そのようにできない家族も増えてきており、患者の希望にそうことができないということで患者さんが悩んだり、家族が罪悪感を持ったりということもある。そんな場合でも家族を責めることなく、どうすれば良いのかを淡々と話し合われていた。往々にして患者が帰りたいのだから連れて帰ればいいのにと言ってしまいがちな自分を反省した。それぞれの家族の置かれている状況、家庭で看取る場合の支援体制を考えれば軽々しく言えることではない。また、残される家族への悲嘆へのケアも重要になってくる。家族とともに故人を偲びながら死後の清拭をしたり、讃美歌を歌って見送ったりすることが、家族の立ち直りにとても役に立つということを忘れてはならない。

最後まで意識があり生きることを望んだ43歳の女性の娘さんは、父親と共に亡くなった母親の身体を拭きながら「がんばったね、お母さん」と言われたそうである。娘なりの別れの手助けになっているのではないだろうか。家族の単位がだんだん小さくなっている現在、残された家族へのケアもいろいろな形で必要になってくると思う。

 

 

 

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