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聖隷三方原ホスピスでの学び

 

山形県立中央病院

斎藤 真理子

 

はじめに

 

聖隷三方原ホスピスでの2週間は、しばらく心の隅に追いやられていた看護の原点を思い起こさせてくれた。日常の業務や処置をこなすのに必死で気になりつつも、ベッドサイドに座ることが後回しにされ、いつかそれが当たり前のことのようになっていたのではないかと自分自身の毎日を振り返った。

緩和ケアについてしっかりした知識を持ち合わせていなかった私にとって、実際に行われている症状コントロールがここまで患者のQOLに大きな意味を持つということも知ることができ、その必要性について認識できた。いくつかの事例を通して学んだことをまとめてみたい。

 

症状コントロールについて

 

がん末期の症状は痛みだけでなく吐き気、倦怠感、便秘、食欲不振、不眠、欝、その他かぞえきれないほどの様々な症状が絡み合って起こってくる。自分の今までの経験からいえば、病気が病気だし仕方がない面もあるのではないかと、はじめからあきらめている部分が随分多かったように思う。鎮痛剤を用いる場合にしても、眠気が多少残ってもそれは痛みが取れたのだから仕方ないというように、簡単に考えてしまっていたように思う。症状を患者の望む状態にするために、細やかに指示が出されていることに目を見張る思いだった。

発病より4年を経過し、現在はがん性腹膜炎のため腹水が貯留、経口摂取もできない35歳の女性が入院されていた。はじめてお会いしたとき、彼女は7月まで生きられた喜びを率直に語ってくれた。2人の子供たちにも自分の状態をきちんと知らせることができ、生きられないのはつらいけれども、こういうことになったおかげで家族の絆も深まり、多くの人が自分を支えていてくれることへの感謝を淡々と話す姿は、何かドラマを見ているような印象すら受けた。本人の希望もあり栄養の補液などもなされず、症状のみのコントロールがなされていた。ほとんど自力での動きはできず、尿もいつ出ているのかというような状況であった。しかし、彼女にはバルンカテーテルもついていなかったし、床ずれもなかった。週3回の介護浴、細やかな体位の調整が行き届いていると感じられた。

全てがそうということはできないとしても、症状をコントロールすることで彼女は冷静に自分が置かれている状況を見つめ、今何をすべきか考えることができている。緩和ケアとはこういうことなのかと少し分かりかけてきたように思えた。しかし、訴えられる全ての症状について対策が立てられ、彼女のベッドサイドで孤独を慰め、あらゆる日常のケアがなされるためにはそれなりの時間が必要とされる。マンパワーの充実が必要ということを含め、緩和ケアへの理解を周囲の人々にも深めていってもらうことが重要と考えさせられた。

 

その人らしさへの援助

 

患者中心の医療、看護とよく言われているが、果たして患者中心とはどういうことなのか。私たちが今までしてきた患者中心というのは、医療者が考えた患者中心ではないのか。計画にしても、目標にしても医療者が考えて望ましいと思われる状態であって、患者、家族にとってはどうなのかと考えたとき、自信をもって患者中心であるとは言えないと思った。

 

 

 

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