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Baird(1995)は、トラスト港湾民営化手法を、以下の理由で失敗であったと評価している。

1] 実質市場価値を下回る売却

2] 複数応札がなく競争入札にならなかったこと

3] 経営者・従業員売却(MEBO)が達成できなかったこと

4] 湾口独占を生じたこと(ただし従来から港湾間競争は確保できている)

である。

 

5. ニュージーランドの港湾民営化

 

Cooper(1996)にしたがって、ニュージーランドにおける港湾民営化の経緯を概観する。

ニュージーランドの港湾は、鉄道と道路の展開によって需要が減少し、1970年代には14港まで減少していた。当時の港湾は公有であり、3年毎に地方政府の選挙で委員が選出される港湾委員会によって管理されていた。しかし、政策的・営利的目標があいまいな形でしか記述されていなかったこと、集権的雇用制度による労働組合の支配が強く準政府ベースの臨海産業委員会による労働者指名が行われていたこと、ならびにニュージーランド港湾庁によって投資提案が行われまたそれが歪められていたこと、の問題があった。その結果として、過剰労働力の下で悪しき勤務慣行をかかえ、一方で貧弱な投資決定が行われてきた。これら全てが1980年代の経済改革で急変することになる。

改革は以下の3段階で行われた。

a. 1988年港湾会社法;港湾における全ての営利的活動のために、独立採算の有限責任会社の設立を義務付け、ニュージーランド港湾庁を廃止した。

b. 1989年臨海改革法;臨海部の労働の大雑把で非効率なプールを行っていた臨海産業委員会を廃止し、関係機能は労使間直接関係に委ねた。

c. 1991年雇用契約法;全産業における労組独占を廃止し、労働移動を促進した。

これら3法の大きな貢献は、経営側から成果があがらなかった場合の口実をうばったことにあった。

設立された各港湾会社の全株式は一旦は港湾委員会が所有し、一連の自治体改革のなかで同委員会が廃止された1989年以後、自治体本体が所有を肩代わりした。自治体議会の一部は全部または一部株式を売却し、その結果、北島港湾公社、Tauranga港、南港、オークランド港、Lytteiton港の5港が部分民営化し、ニュージーランド証券取引所に上場した。ただし自治体は一般的に株式売却に積極的ではない。それが投資家としての判断によるものであるならばよいが、多くの場合に地元のインフラへの権限温存を望み、そのために事業目標が歪められてしまう結果となった。

 

 

 

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