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それは1月の初めに亡くなったある老婦人についてでした。老人ホームに住んでいたその婦人を訪ねるボランティアを,私は6年余りしたのでしたが,彼女は106歳という高齢にもかかわらず,最後まで驚異的な記憶力を保っていました。1920年代にアメリカに渡ってから,30年余りニューヨークに住んでいた彼女は,アメリカのハイソサイアティ(政治家や財閥,外国からの貴賓)のためにパーティを企画・指揮する職業についていました。ですから最初の3〜4年は毎週土曜日に2時間近く話を聞いても話のタネが尽きないほど話題の豊富な人でした。最後の1年近くは,しかしながら,だんだんと老化が彼女を征服しはじめ,不満と猜疑心が彼女をむしばみました。からだの動きがままならなくなっても,必死で他人の世話になるまいとする姿は痛ましいものでした。彼女は思うようにならない苛立ちをしばしば周りの者にぶつけてきました。しかし一方ではますます心を閉ざしていく彼女のことを,私は老化の無慈悲な仕打ちと思いながらも,互いの心を十分に交わすことのできない最後になったことに,何か満ち足りない思いを抱えていました。
 私は今日,「ホスピスボランティアの専門性」というテーマに焦点を当てながら,老人ホームでの役目を平行して見てきまし々 「生あるところに必ず死あり」と頭ではわかっていても,日常生活においては,(老人ホームにあってでも)死は,ずっと遠くに霞んで見えるにすぎません。息の長い死への随伴ともいえる老人ホームでのボランティアの役目は,しばしばホスピスボランティアの場合よりも忍耐のいる仕事です。
 しかしながら,ホスピスボランティアの専門性にしても,老人ホームでのボランティアの役目にしても,つまるところは社会生活を通して初めて,成長する可能性と生きる喜びを与えられる“一人間性”ということが問題にされているにほかなりません。

 

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