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★4 金士傑

 

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★5 伍佰

 

68年生まれの台湾の正統派人気ロック・シンガー。バンド「伍佰(ウー・パイ)&チャイナ・ブルー」として活発にライブ活動を展開している。劉若英やその音楽の師ボビー・チェンの所属会社と同じロック・レコードに所属しているため、劉若英とは以前から親しい関係にあった。

主要アルバムに『愛上別人是快楽的事』『浪人情歌』『愛情的盡頭』など。「ライブの帝王」と呼ばれ、ライブ・アルバムも好評。また奇しくも陳國富の第二作『宝島 トレジャー・アイランド』に合わせて発売された同名のCD(サントラ的な体裁だが正確には「電影概念音楽アルバム」と称され、この映画のコンセプトを表現する曲が多数収録されている)でも、メイン・アーティストとして歌、作曲などで参加していた。

 

★9 合意のサイン

 

政府の映画製作補助金の申請時には、申請書、企画書と併せて、監督と主演男女優の同意書を添付することが義務づけられている。

補助金交付対象作の選考は、単に脚本の出来ばえのみならず、監督、役者の陣容、実力から、製作の実現性、公開時の配給戦略の優劣など、総合的、多角的に各企画を評価、検討して決定される仕組み。その中で監督、主演者が誰であるかは重要なポイントの一つ。この部分で企画書にでたらめな情報を書かれると、評価の根拠が一挙に崩れてしまいかねない。

これはかつて実際に発生した虚偽申語の反省から生まれたもの。この『徴婚啓事』が補助金を得た年度まで、補助金の申請は各映画会社、プロダクション単位で行われることになっていた(97年の受付分からは、映画会社が未定でも、各監督が個人単位で神聖できるようになった)。そこで某応募会社が、いかにも芸術性が高そうに見える監督、主演者リストを本人同意なしに作成して審査員の好印象を得ようとし、現にそれが入選。驚いたのはその監督。本人は全く関知せぬ企画だったため、監督引き受けを断固拒否する事態に発展した。結局、別の監督がそれを引き受けたのだが、完成後、今度はその作品のクオリティに、審査委員たちから疑問の声が続出。これを契機に、この同意書を添付が義務づけられることになった。因みにその問題作とは『將邪神剣』という作品。完成後も審査委員の意見を容れて何度か作り直しを試み、最終的には過半数の委員の同意のもと補助金を無事受領することができた。

また、監督、プロデューサー、脚本家、主演男女優は、原則として台湾人でなければならない、という規定もあり。台湾映画にも数多く出演している金城武の主演作で政府補助金を得て作られたものがない理由の一つは、きっとこの規定のせい。いや待てよ、そもそも彼の出ている台湾映画に、補助金が貰えそうなクオリティのものはなかったか……。

 

★11 徐立功

 

台湾ニューウェイブ、とりわけその第二世代にとって、なくてはならぬプロデューサーが彼、徐立功(シュー・リーコン)。蔡明亮、李安、陳玉勲、林正盛ら、この世代の注目の才能は皆、中央電影公司で副社長、後に社長職にあった彼によって見出され、育成された。97年春からは、中央電影公司を離れて、自ら独立プロダクシヨン「縦横影視」を設立。引き続き『ラブ・ゴーゴー』『台北ソリチュード』など第二世代監督の作品をプロデュースしつづけている。

陳國富は、デビュー作と第2作こそ中央電影公司作品ではないものの、第3作『我的美麗興哀愁』と新作『徴婚啓事』は共に彼の製作によるもの。インタビュー中の陳國富の発言には反するが、彼の作品の一番の理解者は、やはり徐立功をおいて他にいない。

映画監督になる前は批評家として活躍していた陳國富には、今のところただ一冊のみの映画評論集がある。「片面之言――陳國富電影文集」と題されたその本の発行人も、何を隠そう徐立功その人。中央電影公司入りする前は電影図書館(資料館)の館長職にあった彼が、当時そこに出入りしていた気鋭の批評家の評論集を自らの組織の出版部にて発行したものである。映画監督・陳國富のデビューには関与できなかった彼だが、やはり陳國富という才能をまっさきに発見し育てたのは徐立功だったのである。

 

 

 

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