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★4 劉若英

 

今や台湾映画の「ミューズ」的存在としてひっぱりだこの女優・歌手。そんな劉若英(リウ・ローイン/英語名ルネ・リウ)を文字通り「発見」し、今日のように女優・歌手として売れっ子になるきっかけを作ったのが陳國富だった。95年作品『我的美麗興哀愁』の時のこと。それまでの3年間、彼女は陳昇(ボビー・チェン)の下で歌手、ミュージシャンを目指しながらも、芽が出ないまま彼のアシスタントに甘んじていたのは有名な話。本作で女優デビューしたのをきっかけに歌手としてもデビュー。映画出演第二作『少女小漁』ではアジア太平洋映画祭最優秀主演女優賞を受賞するなど、一挙に台湾映画界期待の新星と見なされるに至った。

というわけで劉若英は、一緒に仕事をしてきた数多くの映画監督のなかでも陳國富を格別な存在、映画の師と見なしている。それは自分を発見してくれたからというだけではなく、『我的美麗興哀愁』の後も彼女に言わば映画教育を施し、影響を与えてくれたから、という理由もあると本人は言う。彼女の曲『決定』のMTVも、監督は陳國富。そして今回の『徴婚啓事』と、コンビは続いている。今回の台湾映画祭上映作品、王童監督の『赤い柿』にも脇役で出演。その他の出演作には『南京1937』(中国の呉子牛監督作品。今のところ日本で唯一ビデオ化されている出演作)、『飛天』『新諜血双雄』『今天不回家』『CRAKER』(イギリスのテレビ映画)『青春のつぶやき』(林正盛監督。東京国際映画祭最優秀主演女優賞受賞)など。

 

★6 鈕承澤

 

鈕承澤(ニュウ・ツェンズー)。子役として幾つかの作品に関わったのち、陳坤厚の『少年』、侯孝賢の『風櫃の少年』で一躍海外にまで知られるようになった男優。その後の出演作には王童の『バナナ・パラダイス』、王小棣の『黄色故事』『飛天』などがある。

ただし近年の彼は映画の裏方の仕事にも意欲的。そしてその方面で最初に本格的に関わったものが、陳國富の第二作『宝島 トレジャー・アイランド』での助監督だった。陳國富とはその後も『我的美麗興哀愁』ではプロデューサーを務め、今回の『徴婚啓事』では出演するなど、王小棣監督とともに最も親密な仕事関係を持つ監督となっている。

劉若英を「発見」したのは陳國富とされている。だが、これもその最初のきっかけを作ったのは、実は鈕承澤。『我的美麗興哀愁』のプロデューサーとして何人ものヒロイン候補を見つけてきては陳國富に面接させていた彼だが、陳國富はどの候補者にも首をタテに振らない。最後の最後、監督からのプレッシャーで押しつぶされそうになって、とにかく誰か陳國富のもとに連れていかなきゃ、ということで引っ張っていったのが、彼の飲み友達・劉若英だった。その後、二人は『飛天』で、役者同士の立場で共演。『徴婚啓事』で数多くの見知らぬ人に面会していった劉若英にとって、彼との面会はもっともリラックスしてできたものだったはずだ。

 

★7 陳昭榮

 

陳昭榮(チェン・チャオロン)68年生まれ。『青春神話』で映画デビュー。その後、周晏子の『青春無悔』、李安の『恋人たちの食卓』、蔡明亮の『愛情萬歳』などの好演で注目を集めたところで兵役入りしいったん芸能活動を休止していたが、ようやく退役。再び活発に活動を再開しつつある。趣味は、インタビュー本文で触れられているとおり海老釣り、そして好きなスポーツは「カエル跳び」だとか。

 

★10 シルビア・チャン

 

『上海ブルース』などの女優、歌手、そして近年は監督として大活躍のシルビア・チャン(張艾嘉)が、劉若英の映画出演方面のマネージメントを請け負っている。劉若英が『少女小漁』『今天不回家』と、シルビア・チャン監督の近作二本に連続して出演しているのも、このため。

シルビア・チャンは、自身の芸能活動などの表に見える仕事以外に、言わば裏での仕掛け人的な活動も多彩に行っている。テレビドラマには出ない人であった劉若英が、最近台湾と中国の事実上の合作連続テレビドラマ『告別紫禁城』に出演したのも、そのプロデューサーが日頃彼女の出演作を数多くプロデュースしてきた徐立功であったこととともに、これがシルビア・チャンが香港をベースに台湾と中国間の調整に奔走して成立した企画だったせいが大きい。

また、シルビア・チャンは、80年代前半、台湾ニューウェイブの成立に大きく寄与したことも、けっして忘れてはならない。台湾ニューウェイブの幕開けを告げたオムニバス映画『光陰的故事』に出演した後、彼女は楊徳昌(エドワード・ヤン)の長編デビュー作『海辺の一日』、柯一正の長編デビュー作『帯剣的小孩』にも共に主演している。そしてこれらの監督がこうしてデビューできたのは、彼女がここで出演にとどまらぬ貢献をしているからなのだ。この二本の作品は、共に当時飛ぶ鳥を落とす勢いにあった香港系の映画会社、シネマシティが製作に当たっている。そしてそのシネマシティの台湾支社を任されていた人物こそ、またシルビア・チャンだったのだ。それは『光陰的故事』でニューウェイブの台頭を敏感に察知した彼女が、時流に乗り遅れないため取った手段だったのか? そうではない。台湾ニューウェイブの源流を辿っていくと、実は『光陰的故事』以前にもう一つ重要な作品が存在していることがわかる。それは『十一個女人』という81年放映のシリーズものテレビドラマ。エドワード・ヤン、柯一正ら、アメリカ留学帰りで何も映画、テレビ業界経験のない監督がここでは大胆にも起用され、監督デビューしたのだが、その企画書もまたシルビア・チャンだったのである。候孝賢は彼女がいなくとも映画監督になっていただろう。だが、彼女がいなければ、僕たちはエドワード・ヤン、柯一正という偉大な才能とその作品を今こうして味わえてはいなかったかもしれない。

 

 

 

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