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メキシコ大会(たいかい)エピソード集(しゅう)
兄弟姉妹(きょうだいしまい)の会(かい)
林 浩三(はやし こうぞう)
 
●エピソード1: どきどきでした、チューナー交換(こうかん)
 今回(こんかい)のメキシコ国際会議(こくさいかいぎ)は世界的(せかいてき)にも有名(ゆうめい)な観光都市(かんこうとし)アカプルコでの開催(かいさい)でした。途中(とちゅう)アメリカのダラスとメキシコシティでそれぞれ飛行機(ひこうき)を乗り換えた(のりかえた)わけですが、私(わたし)の場合(ばあい)、自宅(じたく)を出て(でて)からアカプルコのホテルまでは実に(じつに)25時間(じかん)を要し(ようし)ました。時差(じさ)も15時間(じかん)ということでホテルに着いた(ついた)ときには時差(じさ)ぼけも手伝い(てつだい)疲れた(つかれた)〜という言葉(ことば)が自然(しぜん)と出て(でて)きました。今(いま)となってはその日(ひ)果たして(はたして)ぐっすり眠れた(ねむれた)のかどうかよく覚えて(おぼえて)ません。
 翌日(よくじつ)からいよいよ世界会議(せかいかいぎ)の始まり(はじまり)です。国際会議(こくさいかいぎ)ということもあり会場(かいじょう)へ入室(にゅうしつ)する前(まえ)には、日本語(にほんご)を聞く(きく)ことができるチャンネルチューナーを借りる(かりる)のですが、これがまた傑作(けっさく)でした。つまりチャンネルチューナーを借りる(かりる)際(さい)には自分(じぶん)の大事(だいじ)なクレジットカード等(とう)をチューナーと交換(こうかん)で一端(いったん)預ける(あずける)システムになっているのです。これは各分科会(かくぶんかかい)毎回同じ(まいかいおなじ)システムです。それだけ受信(じゅしん)チューナーを返さない(かえさない)人(ひと)が多い(おおい)とでもいうのでしょうか?日本(にほん)ではそんなに貴重(きちょう)な機器(きき)に見えない(みえない)のです。どうひいき目(め)に見ても(みても)そのチューナーはこきたない古びた(ふるびた)ラジオといった感じ(かんじ)でした。とにかく、少し(すこし)の不安(ふあん)、いや、すごく不安(ふあん)を抱え(かかえ)ながら(頼む(たのむ)からカードはなくさないでくれよと願い(ねがい)ながら)、クレジットカードとチャンネルチューナーを交換(こうかん)し会場(かいじょう)へ入り(はいり)ました。セレモニーが終わり(おわり)すぐカードを返しに(かえしに)もらいにいったのはもちろんのことでしたが、やはり毎回(まいかい)カードを預ける(あずける)たびに完全(かんぜん)に不安(ふあん)が消える(きえる)ことはありませんでした。今回(こんかい)育成会(いくせいかい)の事務局(じむきょく)をやっていただいた袖山(そでやま)さんからは「まだパスポートを取られる(とられる)よりはいいでしょう」と言われ(いわれ)あ然(あぜん)としたものでした。そんな人(ひと)もいるんだ、かわいそうに。その人(ひと)はどれだけ不安(ふあん)だったことでしょうか?パスポートに何か(なにか)あったら日本(にほん)に帰れなく(かえれなく)なっちゃうではないですか、来場者(らいじょうしゃ)の中(なか)にはきっとカードなんて預け(あずけ)られないと怒り出す(いかりだす)人(ひと)もいるのではないかと思わず(おもわず)想像(そうぞう)を膨らませ(ふくらませ)てしまいました。でも預けない(あずけない)と日本語(にほんご)が聞けない(きけない)訳(わけ)です。感覚(かんかく)・考え方(かんがえかた)の違い(ちがい)といいますか、とにかくこのことなどは日本(にほん)では考え(かんがえ)られないエピソードです。
 
●エピソード2: 開会(かいかい)セレモニー&オバちゃん大活躍(だいかつやく)
 今回(こんかい)のメキシコ世界会議開幕(せかいかいぎかいまく)セレモニーには世界(せかい)57国(こく)から1,400人(にん)以上(いじょう)の人(ひと)たちが参加(さんか)しました。その中(なか)にはアカプルコ市長(しちょう)やゲレロ州(しゅう)の州知事(しゅうちじ)(アカプルコが所属(しょぞく)しています)はもちろんのこと、メキシコ大統領(だいとうりょう)ご夫妻(ふさい)やパナマ大統領(だいとうりょう)ご夫妻(ふさい)等(とう)、それこそ政府要人(せいふようじん)(VIP)もご出席(しゅっせき)されています。それだけに警備(けいび)も厳重(げんじゅう)で物々しく(ものものしく)、参加者(さんかしゃ)は全員(ぜんいん)会場(かいじょう)入り口(いりぐち)で金属探知(きんぞくたんち)ゲート(空港(くうこう)にあるようなもの)をくぐらされました。会場(かいじょう)はそれぞれの通路(つうろ)に警備員(けいびいん)が立ち(たち)、しかもその通路(つうろ)はパイプ式(しき)のバリケードで仕切られて(しきられて)おり、トイレに行く(いく)にも彼ら(かれら)警備員(けいびいん)のチェックを受け(うけ)ました。参加者(さんかしゃ)が席(せき)についた後(あと)、最後(さいご)にメキシコ大統領夫妻(だいとうりょうふさい)、パナマ大統領夫妻(だいとうりょうふさい)が入場(にゅうじょう)し着席(ちゃくせき)しました。私達(わたしたち)が着席(ちゃくせき)した席(せき)は大統領夫妻(だいとうりょうふさい)が帰り(かえり)に通る(とおる)通路(つうろ)のすぐ近く(ちかく)の席(せき)でした。実際(じっさい)私(わたし)の左側(ひだりがわ)にメキシコ人(じん)らしきご婦人(ふじん)が二人(ふたり)ほど座って(すわって)おり、その向こう側(むこうがわ)が通路(つうろ)という位置関係(いちかんけい)でした。
 そして事件(じけん)はそのセレモニーでおきました。開幕(かいまく)セレモニーの途中(とちゅう)、受信(じゅしん)チューナーの日本語(にほんご)が突然(とつぜん)聞こえなく(きこえなく)なったのです。私(わたし)は受信(じゅしん)チューナーを振ったり(ふったり)叩いたり(たたいたり)してみましたが、やはり聞こえ(きこえ)ません。すると私(わたし)の左隣(ひだりどなり)二番目(にばんめ)に座って(すわって)いたご婦人(ふじん)?おばちゃんがそれを見て(みて)いて突然(とつぜん)近く(ちかく)に立って(たって)いる警備員(けいびいん)を捕まえ(つかまえ)(警備員(けいびいん)は要人警護(ようじんけいご)のために見張って(みはって)いるのであって、決して(けっして)そういうことのために立って(たって)いるのではないのですが・・・)「おいお前(まえ)、日本人(にほんじん)が受信(じゅしん)チューナーが聞こえない(きこえない)といっているぞ。何とか(なにとか)しろ」とまるでもめているかのように強く(つよく)言って(いって)くれたのです。もちろん言われた(いわれた)方(ほう)の警備員(けいびいん)は困った(こまった)顔(かお)をしていました。そうこうしているうちに受信(じゅしん)チューナーが回復(かいふく)し、日本語(にほんご)が聞こえ(きこえ)出し(だし)ました。するとそのおばちゃん「おっ、大丈夫(だいじょうぶ)だ。聞こえる(きこえる)ぞ」と私(わたし)に合図(あいず)を送って(おくって)くれました。私(わたし)も指(ゆび)でOKと合図(あいず)してサンキューとお礼(れい)を言い(いい)ました。私(わたし)は残念(ざんねん)ながらスペイン語(ご)がわかりません。そのときそのおばちゃんがなんと言って(いって)いたのか正確(せいかく)なところはわかりませんが、親切(しんせつ)なおばちゃんは世界(せかい)のどの国(くに)に行っても(いっても)いるものなんだなと感じ(かんじ)ました。
 おばちゃんの親切(しんせつ)はそれだけで終わり(おわり)ませんでした。メキシコ・パナマ両大統領夫妻(りょうだいとうりょうふさい)の退場(たいじょう)のとき再び(ふたたび)それはやって来ました(きました)。先(さき)にも書き(かき)ましたが両(りょう)ご夫妻(ふさい)ともそのおばちゃんの隣(となり)の通路(つうろ)を通って(とおって)退場(たいじょう)されます。しかしさすがに大統領(だいとうりょう)の退場(たいじょう)ともなると、その通路(つうろ)はこれ以上(いじょう)近づけない(ちかづけない)ほどの人(ひと)で一杯(いっぱい)になりました。私(わたし)はまだ近かった(ちかかった)のでそこを通って(とおって)退場(たいじょう)するメキシコ大統領(だいとうりょう)やパナマ大統領(だいとうりょう)ご夫妻(ふさい)と幸運(こううん)にも握手(あくしゅ)することができました(メキシコ大統領夫人(だいとうりょうふじん)とは握手(あくしゅ)できませんでしたが)。
 ところが私(わたし)より右側(みぎがわ)に座って(すわって)いた大阪(おおさか)から来た(きた)森(もり)さんは人ごみ(ひとごみ)で近づく(ちかづく)ことができずにいました。その時(とき)です。あのおばちゃんが通り過ぎた(とおりすぎた)大統領(だいとうりょう)を呼び(よび)とめてくれ(どう見ても(みても)大統領(だいとうりょう)の知り合い(しりあい)には見えない(みえない)のですが)さらに森(もり)さんに向かって(むかって)「ジャポネ、ジャポネ」と手招き(てまねき)してくれたのです。おかげで森(もり)さんもきちんとメキシコ大統領(だいとうりょう)と握手(あくしゅ)することができました。全く(まったく)このおばちゃんの大活躍(だいかつやく)のおかげです。
 そのとき感じ(かんじ)ました。おばちゃんは世界中(せかいじゅう)どこへ行っても(いっても)強い(つよい)と・・・。
 
●エピソード3: 時間通り(じかんどおり)に始まり(はじまり)ません
 メキシコ会議(かいぎ)のというより、メキシコの国民性(こくみんせい)を表して(あらわして)いるのかもしれませんが、今回(こんかい)の会議(かいぎ)でおもしろかったのが、各(かく)セッションともなかなか時間通り(じかんどおり)に始まらない(はじまらない)ということでした。それでいてほぼ決められた(きめられた)時間通り(じかんどおり)に終わる(おわる)のです。いいかげんというよりは時間(じかん)にとらわれないメキシコ人(じん)のおおらかさと理解(りかい)した方(ほう)がいいと思い(おもい)ます。私達(わたしたち)が参加(さんか)したセッションの中(なか)には話(はなし)が一区切り(ひとくぎり)ついたため20分(にじゅっぷん)も早く(はやく)終了(しゅうりょう)したセッションもありました。今回(こんかい)ホテルで同室(どうしつ)になった武藤(むとう)さんはメキシコヘ来て(きて)10ヶ月(じゅっかげつ)、メキシコの大学(だいがく)で日本語(にほんご)を教えて(おしえて)いるそうなのですが、彼(かれ)が言う(いう)には「だいたいそうなんですよ。それでもたまにバスなんか時間通り(じかんどおり)に出発(しゅっぱつ)するものだから油断(ゆだん)できないんです」とのこと
でした。
 それでも人間(にんげん)、私(わたし)も本来(ほんらい)怠け者(なまけもの)だからでしょう。3日(みっか)もいるとそんなぺースに慣れて(なれて)きて、セッションの開始時間(かいしじかん)がきてもまだいいやと少し(すこし)遅れて(おくれて)いくようになりました。3目目(みっかめ)のお昼(ひる)からのセッションの時(とき)です。アメリカで個別教育(こべつきょういく)プログラム(IEP)の勉強(べんきょう)をしてきた確か(たしか)DPIのグループだったと思い(おもい)ますが遅れて(おくれて)参加(さんか)してきました。昼食(ちゅうしょく)が一緒(いっしょ)になり、彼ら(かれら)はセッションの開始時間(かいしじかん)1時(じ)30分(ぷん)が近づく(ちかづく)と「そろそろ行かなくちゃ(いかなくちゃ)」とそそくさとレストランを出て行き(でていき)ました。私(わたし)と森(もり)さん(大阪(おおさか)から参加(さんか))はそれを尻目(しりめ)に「ぼくらはこれを食べて(たべて)から行き(いき)ます」と悠々(ゆうゆう)食事(しょくじ)を取り(とり)ました。きっとメキシコに住んだら(すんだら)すぐ順応(じゅんのう)するだろうな、そう思い(おもい)ました。15分(ふん)ほどでしょうか、遅れて(おくれて)参加(さんか)しました。それでもきちんと最初(さいしょ)から参加(さんか)することができたのです。
 そんなメキシコの何と(なんと)言ったら(いったら)いいでしょうか、そう“おおらかさ”のようなものは私達日本人(わたしたちにほんじん)が忘れ(わすれ)かけていたものを思い出させて(おもいださせて)くれます。毎日毎日(まいにちまいにち)時間(じかん)に追われ(おわれ)、自分(じぶん)にも他人(たにん)にも口(くち)うるさく規則(きそく)・決まり(きまり)などを押し付けて(おしつけて)はいないでしょうか?特に(とくに)福祉(ふくし)に従事(じゅうじ)する私達(わたしたち)にはこのおおらかさは特に(とくに)大事(だいじ)なような気(き)がします。知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)の行動障害(こうどうしょうがい)はある意味(いみ)周囲(しゅうい)の関係者(かんけいしゃ)のおおらかさのなさが作り出して(つくりだして)いると言える(いえる)からです。
 
●エピソード4: 二枚(にまい)の参加証明書(さんかしょうめいしょ)
 今回(こんかい)の世界大会(せかいたいかい)は参加(さんか)すると最終日(さいしゅうび)に参加証明書(さんかしょうめいしょ)がもらえます。これも係り(かかり)の人(ひと)たちが印刷(いんさつ)された証書(しょうしょ)の名前(なまえ)の欄(らん)にその場(ば)でテプラで名前(なまえ)を打ち出し(うちだし)貼り付け(はりつけ)ます。私(わたし)の名前(なまえ)は英語表記(えいごひょうき)で『KOZO HAYASHI』となりますので、最初(さいしょ)頭文字(かしらもじ)『K』とまとめられているところを探して(さがして)もらいました。ところが見つからず(みつからず)名前(なまえ)がないというのです。仕方なく(しかたなく)新しく(あたらしく)作って(つくって)もらうことにして、作成依頼(さくせいいらい)しました。すると近く(ちかく)で見て(みて)いた育成会(いくせいかい)の袖山(そでやま)さんが林(はやし)さんの名前(なまえ)さっき見た(みた)ような気がする(きがする)と言って(いって)探して(さがして)くれました。そしてその証書(しょうしょ)は見つかり(みつかり)ました。
 何と(なんと)『H』のところから『HAYASHI KOZO』と書いて(かいて)ある証書(しょうしょ)が出て(でて)きたのでした。そんなことで新しく(あたらしく)出来上がって(できあがって)きた証書(しょうしょ)と併せ(あわせ)、私(わたし)は2枚(まい)の証書(しょうしょ)を持ち帰る(もちかえる)こととなりました。考えて(かんがえて)みれば、確かに(たしかに)メキシコの人(ひと)たちから見れば(みれば)『HAYASHI』と『KOZO』は、どちらが苗字(みょうじ)でどちらが名前(なまえ)だか、わかりづらいんですよね、きっと。
 
●エピソード5: 参加記念品(さんかきねんひん) 二個(にこ)いただきました
 世界会議(せかいかいぎ)へ参加登録(さんかとうろく)した際(さい)、麻(あさ)のバックとメモ用紙(ようし)、ファイル等(とう)がセットになっている記念品(きねんひん)をもらえるのですが、疲れて(つかれて)ソファーに座って(すわって)しまいもらい忘れて(わすれて)しまいました。それに気づいた(きづいた)のが3日目(みっかめ)です。それも大阪(おおさか)の森(もり)さんと東京(とうきょう)の寺本(てらもと)さんが同じ(おなじ)ような麻(あさ)のバックを持って(もって)いたのを見て(みて)、また二人(ふたり)で俺(おれ)に内緒(ないしょ)でお揃い(おそろい)のものを買った(かった)と思い込んで(おもいこんで)「どこで買ったん(かったん)?」と大阪弁(おおさかべん)でふてくされたように聞いて(きいて)発覚(はっかく)したのです。2人(ふたり)とも今頃(いまごろ)何言ってる(なにいってる)の?とあ然(あぜん)とした顔(かお)をしていました。さらに同室(どうしつ)の武藤(むとう)さんは「えー(かなり大きな声(おおきなこえ))林(はやし)さんもらわなかったんですか」とかなりあきれ顔(がお)。それでも翌日(よくじつ)大会本部(たいかいほんぶ)に掛け合って(かけあって)くれ、翌日(よくじつ)にも言って(いって)くれ、つまり合計(ごうけい)二回(にかい)掛け合って(かけあって)くれたのですが、最終日(さいしゅうび)に違う人(ちがうひと)がそれぞれ違う(ちがう)ときに記念品(きねんひん)をそれぞれワンセットずつ持って来て(もってきて)くれました。
 いろいろな形(かたち)でいろいろな方(かた)たちにご迷惑(めいわく)をかけ、私(わたし)は参加記念品(さんかきねんひん)を二(に)セット持ち帰って(もちかえって)きました。


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