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5. 参加者(さんかしゃ)の声(こえ)
さらに進む(すすむ)本人意思(ほんにんいし)の確認(かくにん)と尊重(そんちょう)
(社(しゃ))発達協会(はったつきょうかい) 常務理事(じょうむりじ)
言語聴覚士(げんごちょうかくし)/精神保健福祉士(せいしんほけんふくしし) 湯汲英史(ゆくみえいし)
 
●内戦状態(ないせんじょうたい)イラクからの参加(さんか)も
 2006年(ねん)11月(がつ)7日(にち)からlO日(にち)まで、メキシコのアカプルコで、第(だい)14回(かい)国際育成会連盟大会(こくさいいくせいかいれんめいたいかい)が開催(かいさい)されました。家族(かぞく)や本人(ほんにん)が集う(つどう)、四年(よねん)に一度(いちど)の世界大会(せかいたいかい)です。筆者(ひっしゃ)は、第(だい)12回(かい)のハーグ大会(たいかい)、第(だい)13回(かい)のメルボルン大会(たいかい)に続き(つづき)、三回目(さんかいめ)の参加(さんか)となりました。
 アカプルコ大会(たいかい)の参加国(さんかこく)は六十国(ろくじゅっこく)弱(じゃく)、参加者(さんかしゃ)は千七百名余(せんななひゃくめいあまり)、イラクからの参加者(さんかしゃ)もあることがアナウンスされました。内戦状態(ないせんじょうたい)の国(くに)からの参加(さんか)に、会場(かいじょう)から拍手(はくしゅ)が起こり(おこり)ました。喜び(よろこび)の拍手(はくしゅ)もそうですが、世界大会(せかいたいかい)にはどこか家族(かぞく)のような暖かさ(あたたかさ)があります。知的障害(ちてきしょうがい)を持つ(もつ)人々(ひとびと)を持つ(もつ)家族同士(かぞくどうし)としての、深い(ふかい)共感(きょうかん)があるからでしょう。
 
●さらに増える(ふえる)か、本人参加(ほんにんさんか)
 今回(こんかい)参加(さんか)の、日本(にほん)からの団体(だんたい)ツアーですが、50名(めい)余(あまり)のうち20名(めい)を越える(こえる)人たち(ひとたち)が本人(ほんにん)でした。本人(ほんにん)が4割(わり)を占めた(しめた)ツアーは、初めて(はじめて)だったのではないかと思い(おもい)ます。その本人(ほんにん)ですが、家族(かぞく)と一緒(いっしょ)だけではありません。自分(じぶん)たちで支援者(しえんしゃ)を雇い(やとい)、ガイドヘルプさせている人(ひと)たちがいました。こういう方法(ほうほう)ならば、大人(おとな)になっての海外旅行(かいがいりょこう)も夢(ゆめ)ではありません。飛行機(ひこうき)の中(なか)で思った(おもった)のは、じっと座って(すわって)いられて、トイレさえ自立(じりつ)していれば大丈夫(だいじょうぶ)ということです。まずは国内線(こくないせん)で練習(れんしゅう)しておけば、長時間(ちょうじかん)の飛行機(ひこうき)の旅(たび)も可能(かのう)でしょう。困った(こまった)のはことばです。メキシコはスペイン語(ご)圏(けん)で、ホテルの中(なか)でも英語(えいご)が通じ(つうじ)なかったりします。食事(しょくじ)の注文(ちゅうもん)にも困る(こまる)ような毎日(まいにち)でした。一方(いっぽう)で本人(ほんにん)たちは、案外(あんがい)と平気(へいき)なようでした。誰(だれ)が本人(ほんにん)かわからないねと、参加者同士(さんかしゃどうし)で笑い(わらい)あったりしました。
 
●兄弟姉妹(きょうだいしまい)のシンポジウム
 メキシコはラテン民族(みんぞく)ですが、その傾向(けいこう)なのでしょう、ホテルのロビーでは夜遅く(よるおそく)まで歌い(うたい)踊る(おどる)本人(ほんにん)たちの姿(すがた)がありました。その光景(こうけい)に違和感(いわかん)がないのが何とも(なにとも)愉快(ゆかい)でした。各(かく)シンポジウムでは、本人(ほんにん)が発言(はつげん)する場面(ばめん)がしばしば見られ(みられ)ました。育成会大会(いくせいかいたいかい)は、本人(ほんにん)のための会議(かいぎ)になってきているのは確か(たしか)です。
 今回(こんかい)は特に(とくに)、兄弟姉妹(きょうだいしまい)のシンポジウムが開かれ(ひらかれ)ました。日本(にほん)からも複数(ふくすう)の方々(かたがた)が参加(さんか)され、活発(かっぱつ)な発言(はつげん)が会場(かいじょう)の注目(ちゅうもく)を集め(あつめ)ました。
 メキシコは、9割(わり)を越える(こえる)人(ひと)たちがカソリック信徒(しんと)だそうです。それもあってか、障害(しょうがい)を持つ(もつ)兄弟姉妹(きょうだいしまい)を、「受容(じゅよう)する」ことが強調(きょうちょう)されていました。個人(こじん)の心(こころ)のありようが語られて(かたられて)いたといえます。一方(いっぽう)で、日本(にほん)のシンポジストは兄弟姉妹(きょうだいしまい)の苦悩(くのう)とともに、社会的支援(しゃかいてきしえん)の必要性(ひつようせい)を訴えて(うったえて)いました。その違い(ちがい)を思い(おもい)つつ、両方(りょうほう)とも必要(ひつよう)だとも感じ(かんじ)ました。
 
●親善(しんぜん)・交流(こうりゅう)で盛り上がる(もりあがる)
 今回(こんかい)の大会(たいかい)で、日本人(にほんじん)の参加者(さんかしゃ)が最も(もっとも)盛り上がった(もりあがった)のは、日本(にほん)とメキシコの本人(ほんにん)、家族(かぞく)との交流会(こうりゅうかい)です。全日本(ぜんにほん)手(て)をつなぐ育成会(いくせいかい)の藤原理事長(ふじわらりじちょう)が「日本(にほん)のパパ」として挨拶(あいさつ)され、また本人(ほんにん)どうしの意見交流(いけんこうりゅう)もありました。日本語(にほんご)とスペイン語(ご)という言葉(ことば)の違い(ちがい)を越えて(こえて)の熱い(あつい)交流会(こうりゅうかい)、企画(きかく)された委員(いいん)の方々(かたがた)に感謝(かんしゃ)いたします。
 
会議(かいぎ)第一日目(だいいちにちめ)の朝(あさ)の食事(しょくじ)
 
●日本(にほん)でも進む(すすむ)本人参加(ほんにんさんか)
 アカプルコ大会(たいかい)では、ハーグ、メルボルン大会(たいかい)についで、さらに本人意見(ほんにんいけん)の重視(じゅうし)、意思(いし)の尊重(そんちょう)が確認(かくにん)されました。
 同じ(おなじ)11月(がつ)に千葉(ちば)で開かれた(ひらかれた)、第五十五回(だいごじゅうごかい)全日本(ぜんにほん)手(て)をつなぐ育成会全国大会(いくせいかいぜんこくたいかい)では、八つ(やっつ)の分科会(ぶんかかい)の全て(すべて)で本人(ほんにん)がシンポジストとして発言(はつげん)しました。本人(ほんにん)の発言(はつげん)は、自分(じぶん)の体験(たいけん)をもとにしたものだけに、胸(むね)を打つ(うつ)ものがあります。世界(せかい)の流れ(ながれ)を確かに(たしかに)取り込む(とりこむ)日本(にほん)の親の会(おやのかい)です。
 
●平和(へいわ)を求める(もとめる)もう一つ(ひとつ)の世界(せかい)
 アカプルコのホテルのテレビには、イラクやパレスチナでの紛争(ふんそう)、核兵器(かくへいき)のニュースが繰り返し(くりかえし)流れて(ながれて)いました。大会(たいかい)では、戦争(せんそう)も核兵器(かくへいき)の話(はなし)もありません。そこには、人間(にんげん)が人(ひと)としての理想(りそう)を求める(もとめる)、もう一つ(ひとつ)の世界(せかい)がありました。そのことを心強く(こころづよく)思った(おもった)4日間(よっかかん)でもありました。


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