日本財団 図書館


《感想文(かんそうぶん)》
「ボタンと風呂敷(ふろしき)の違い(ちがい)」
米田光晴(よねだみつはる)
 
 日本(にほん)はボタンのようにちっぽけな考え方(かんがえかた)である。ちょっとしたことにこだわりすぎる。外(そと)の国(くに)は、風呂敷(ふろしき)である。スケールが大きい(おおきい)。「オラ(挨拶語(あいさつご))」と皆(みな)が挨拶(あいさつ)をする。それは、親しみ(したしみ)から沸く(わく)言葉(ことば)なのか、憎しみ(にくしみ)から沸く(わく)言葉(ことば)なのか。ここで出会った(であった)人(ひと)たちは、皆(みな)親しみ(したしみ)を感じる(かんじる)。日本(にほん)では、僕(ぼく)が倒れて(たおれて)いても、誰かに(だれかに)伝える(つたえる)だけで、見つけた(みつけた)本人(ほんにん)が僕(ぼく)を助けよう(たすけよう)としない。
 
「メキシコに行って(いって)」
小長谷 英高(こながや ひでたか)
 
 教育(きょういく)について・・・、教育(きょういく)はみんな受ける(うける)権利(けんり)があります。教育(きょういく)を受けない(うけない)と社会(しゃかい)のことがわからないから。子ども達(こどもたち)が大きく(おおきく)なった時(とき)に困る(こまる)から。日本(にほん)では、子ども(こども)が1人(ひとり)〜2人(ふたり)くらいなので、みんな教育(きょういく)を受ける(うける)ことができますが、外国(がいこく)では、子ども(こども)が多い(おおい)ので1人(ひとり)くらいしか教育(きょういく)を受ける(うける)ことができません。本当(ほんとう)に可哀想(かわいそう)だと思って(おもって)います。貧困(ひんこん)について・・・、貧困(ひんこん)を撲滅(ぼくめつ)です。排除(はいじょ)は差別(さべつ)です。49%の人(ひと)が栄養不良(えいようふりょう)です。栄養不良(えいようふりょう)で亡くなった(なくなった)人(ひと)がたくさんいます。あらゆる排除(はいじょ)をなくす。パナマの人(ひと)が、11.3%もいる。仕事(しごと)ができる権利(けんり)がない。そうすると貧しい(まずしい)生活(せいかつ)が続く(つづく)。生活(せいかつ)をするお金(かね)が少ない(すくない)。仕事(しごと)も少ない(すくない)ので、生活(せいかつ)も大変(たいへん)な日(ひ)が続く(つづく)。平和(へいわ)について・・・、戦争(せんそう)や争い(あらそい)がないことが平和(へいわ)だと思って(おもって)います。戦争(せんそう)なんかなかったら、世界(せかい)の人(ひと)がみんなが幸せ(しあわせ)だと思い(おもい)ます。平和(へいわ)に暮らす(くらす)ことができます。戦争(せんそう)なんかあったら、毎日(まいにち)そのことでおびえて、大変(たいへん)な毎日(まいにち)を過ごす(すごす)ことになります。観光(かんこう)・・・、メキシコシティで、ピラミッド遺跡(いせき)を見に(みに)行き(いき)ました。ピラミッドでは、頂上(ちょうじょう)まで登り(のぼり)ました。サボテンがたくさんありました。夕方(ゆうがた)はレストランで、夕飯(ゆうはん)を食べ(たべ)ながら、ダンスを見て(みて)、とても楽しい(たのしい)日(ひ)でした。今回(こんかい)の国際育成会連盟(こくさいいくせいかいれんめい)メキシコ大会(たいかい)に参加(さんか)してみて、よかったと思って(おもって)います。4年後(よねんご)のベルリン大会(たいかい)にも参加(さんか)したいと思って(おもって)います。
 
「メキシコの報告(ほうこく)」
増藤 純(ますとう じゅん)
 
 自分(じぶん)は、今回(こんかい)、世界大会(せかいたいかい)に行き(いき)ました。大会(たいかい)では、ハイジーさんの話(はなし)で、暴力(ぼうりょく)・虐待(ぎゃくたい)を受けて(うけて)、教会(きょうかい)に18年間(ねんかん)通った(かよった)話(はなし)を聞いて(きいて)、自分(じぶん)も施設(しせつ)の頃(ころ)を思い出し(おもいだし)ました。午後(ごご)に、本人(ほんにん)の会(かい)に参加(さんか)して自分(じぶん)は発言(はつげん)しました。療育手帳(りょういくてちょう)の話(はなし)をし質問(しつもん)し、メキシコにも手帳(てちょう)があると知り(しり)ました。手帳(てちょう)があることでどこまで援助(えんじょ)があるのかなと思い(おもい)ました。8日(か)は貧困(ひんこん)の話(はなし)がありました。色々(いろいろ)な国(くに)が貧しい(まずしい)との話(はなし)が出ました(でました)。貧しい(まずしい)けど明るい(あかるい)人(ひと)が多かった(おおかった)です。それから、人権(じんけん)の話(はなし)もありました。7日(か)から9日(か)まで日本(にほん)ブースがあり、そこで高知県(こうちけん)の人(ひと)と知り合い(しりあい)になりました。分科会(ぶんかかい)での日本(にほん)の発表(はっぴょう)のステージの話(はなし)と、さをりの会(かい)の発表(はっぴょう)も印象的(いんしょうてき)でした。9日(か)の夜(よる)はメキシコと日本(にほん)の交流会(こうりゅうかい)をしました。日本(にほん)から持って(もって)きたお土産(みやげ)をメキシコの人(ひと)にあげれて、嬉しかった(うれしかった)です。lO日(か)と11日(にち)はメキシコシティーに観光(かんこう)しました。財布(さいふ)をすられたりするそうで、治安(ちあん)が悪かった(わるかった)です。12日(にち)は、朝(あさ)3時(じ)に起き(おき)、帰国(きこく)の準備(じゅんび)でした。まだ、眠かった(ねむかった)です。13日(にち)に、帰国(きこく)し、「やっと日本(にほん)に帰れた(かえれた)」と嬉しかった(うれしかった)です。
 
《4人(にん)のびんぼう体験(たいけん)》
 帰国後(きこくご)に、数日間(すうじつかん)の旅(たび)について、4人(にん)で確認(かくにん)した。それは、4人(にん)とも「貧困(ひんこん)」であったことである。
 一日目(いちにちめ)の夜(よる)の会合(かいごう)以降(いこう)、別行動(べつこうどう)にしたのは、いつも一緒(いっしょ)の顔ぶれ(かおぶれ)じゃ、成長(せいちょう)しないだろうし、自分(じぶん)たちの表現(ひょうげん)を自分(じぶん)で作る(つくる)ためにしようということで、提案(ていあん)されたことでもあるが、行く(いく)ことのプレッシャーや、集団(しゅうだん)でいるから一緒(いっしょ)に行動(こうどう)することに縛られる(しばられる)、縛られる(しばられる)から、イライラしてしまうこともあるのではないか、という意見(いけん)もあったからである。
 Aさんは、帰国後(きこくご)、普段(ふだん)の生活(せいかつ)に戻り(もどり)、「あの時(とき)は、普段(ふだん)と違う(ちがう)環境(かんきょう)に行き(いき)、普段(ふだん)の仲間(なかま)との会話(かいわ)に疑問(ぎもん)を感じて(かんじて)いたことが分かった(わかった)」と言った(いった)。メキシコでは、「貧しい(まずしい)状況(じょうきょう)の話(はなし)をいっぱい聞いた(きいた)けど、その中(なか)の話(はなし)で、貧しい(まずしい)ということだけにとらわれると、人(ひと)に優しく(やさしく)できないのかもしれないとあった」「4人(にん)はそうだったかもね」「だから、疑問(ぎもん)を感じた(かんじた)ことがあったのかもね」と。途上国(とじょうこく)のような物理面(ぶつりめん)においては、私(わたし)たちは貧しさ(まずしさ)はないけれど、精神的(せいしんてき)に貧しかった(まずしかった)、と。でも、帰国後(きこくご)の日本(にほん)で、ありがたみを感じた(かんじた)との話(はなし)もあった。それは、「まず、日本食(にほんしょく)のおいしさを痛感(つうかん)した」「日本(にほん)にいる自分(じぶん)に幸せ(しあわせ)を感じた(かんじた)」と。要(よう)は、ほっとしたということなのだろうが、それが大切(たいせつ)なことだと思って(おもって)いる。
 私(わたし)たちには、ほっとできる場所(ばしょ)があるということを、改めて(あらためて)学んだ(まなんだ)。
 
メキシコで織り(おり)つながった友好(ゆうこう)とさをりの思い(おもい)
NPO法人(ほうじん)さをりひろば 城(じょう) まどか
 
 私達(わたしたち)さをりひろばからは、本人達(ほんにんたち)による発表(はっぴょう)とさをりワークショップを行い(おこない)ました。
 さをりとは1968年(ねん)創始者(そうししゃ)の城(じょう)みさをが57歳(さい)の時(とき)大阪(おおさか)で、障害(しょうがい)のあるなしに関係(かんけい)なく、一人一人(ひとりひとり)の感性(かんせい)を織り込む(おりこむ)現代(げんだい)の手織り(ており)として生まれ(うまれ)ました。全国(ぜんこく)にlO万人(まんにん)以上(いじょう)の愛好者(あいこうしゃ)がいて、一般(いっぱん)の人(ひと)と障害(しょうがい)のある人(ひと)が共(とも)にさをりを楽しんで(たのしんで)います。障害(しょうがい)のある人(ひと)にとっての社会(しゃかい)との交流(こうりゅう)の場(ば)にもなっています。
 
●さをり織り(おり)企業組合(きぎょうくみあい)についての発表(はっぴょう)とファッションショー・パフォーマンス
 本人発表(ほんにんはっぴょう)ではまず、さをり織り(おり)企業組合(きぎょうくみあい)の藤原香(ふじわらかおり)さん・瀬尾美雪(せおみゆき)さんが自分達(じぶんたち)の活動(かつどう)について発表(はっぴょう)しました。現在(げんざい)さをり大阪(おおさか)のスタッフとして働いて(はたらいて)いる藤原香(ふじわらかおり)さんと、さをり大阪(おおさか)の適塾(てきじゅく)でさをり織り(おり)をしている瀬尾美雪(せおみゆき)さんが「私(わたし)たちの他(ほか)、全員(ぜんいん)で9名(めい)のメンバーで『さをり織り(おり)企業組合(きぎょうくみあい)』をやっています。私達(わたしたち)は主に(おもに)さをり織り(おり)布(ぬの)を作り(つくり)、それをペンケースやポーチなどの小物(こもの)にしています。そしてその商品(しょうひん)を作品展(さくひんてん)などで販売(はんばい)しています。その他(ほか)にも、大学(だいがく)や専門学校(せんもんがっこう)にさをり講師(こうし)として学生達(がくせいたち)に指導(しどう)しています」と話し(はなし)、さをり織(おり)企業組合(きぎょうくみあい)のペンケースなどの商品(しょうひん)や、自分達(じぶんたち)が織った(おった)6mほどの反物(たんもの)のさをり作品(さくひん)を見せ(みせ)ました。作品(さくひん)を見せた(みせた)ときは観客(かんきゃく)から拍手(はくしゅ)が起こり(おこり)ました。
 その後(ご)、伊藤仁絵(いとうひとえ)さん、新田(にった)めいみさんがさをりファッションショー・パフォーマンスを披露(ひろう)しました。伊藤仁絵(いとうひとえ)さん、新田(にった)めいみさんは、一般(いっぱん)の人(ひと)と言葉(ことば)でのコミュニケーションが難しい(むずかしい)のですが、彼女達(かのじょたち)は自分達(じぶんたち)の着ている(きている)服(ふく)を堂々と(どうどうと)観客(かんきゃく)に見せ(みせ)、立派(りっぱ)なパフォーマンスを行い(おこない)ました。彼女達(かのじょたち)のパフォーマンスが観客(かんきゃく)を感動(かんどう)させ、カメラを持った(もった)人(ひと)たちがたくさん舞台(ぶたい)の前(まえ)に集まり(あつまり)、彼女達(かのじょたち)の写真(しゃしん)を撮って(とって)いました。
 その後(ご)、城(じょう)みさをの講演(こうえん)の映像(えいぞう)を流し(ながし)ました。「一般社会(いっぱんしゃかい)ではいわゆるキズものだと思われて(おもわれて)いる作品(さくひん)を、私(わたし)は模様(もよう)だと思い(おもい)、そして、よしそれならとそのキズをもっとたくさん作り(つくり)、自分(じぶん)の美意識(びいしき)を持って(もって)織り上げた(おりあげた)。それがさをりの始まり(はじまり)であった。一人一人(ひとりひとり)の中(なか)には自分自身(じぶんじしん)の美意識(びいしき)を持って(もって)いて、私(わたし)だけではなく誰(だれ)もが面白い(おもしろい)作品(さくひん)を創る(つくる)ことができ、自己表現(じこひょうげん)ができるのだ。特に(とくに)障害(しょうがい)をもった方(かた)たちは世間(せけん)の常識(じょうしき)というものに汚されて(よごされて)なく、純粋(じゅんすい)な美意識(びいしき)で作品(さくひん)を創って(つくって)いる。私(わたし)はそのことに感動(かんどう)した。」という城(じょう)みさをの思い(おもい)は同時通訳(どうじつうやく)で英語(えいご)・スペイン語(ご)に翻訳(ほんやく)され、観客(かんきゃく)の方達(かたたち)により深く(ふかく)さをりの理念(りねん)が理解(りかい)され、最後(さいご)は歓声(かんせい)と拍手(はくしゅ)に包まれ(つつまれ)ました。
 
●大好評(だいこうひょう)!さをり体験(たいけん)ワークショップ
 さをりワークショップでは「教え(おしえ)こむのではなく、引き出して(ひきだして)いく」という今(いま)までとは全く(まったく)逆(ぎゃく)の発想(はっそう)であるさをりの指導方法(しどうほうほう)を実践(じっせん)していきました。藤原香(ふじわらかおり)さん、瀬尾美雪(せおみゆき)さん、伊藤仁絵(いとうひとえ)さん、新田(にった)めいみさんたちが主(しゅ)となって、体験(たいけん)に来た(きた)人(ひと)たちに接して(せっして)いきました。ふと見る(みる)と、瀬尾美雪(せおみゆき)さんは、言葉(ことば)は通じて(つうじて)いないのに何かが(なにかが)現地(げんち)の人(ひと)たちに伝わって(つたわって)いて、彼ら(かれら)に抜群(ばつぐん)のサポートを行って(おこなって)いました。
 さをり織(おり)体験(たいけん)をしたメキシコのダウン症(しょう)の男性(だんせい)は、さをりをすぐマスターし、「自由(じゆう)に好きに(すきに)好きに(すきに)織って(おって)良い(よい)」ということもすぐに理解(りかい)しました。そうすると、彼(かれ)はとても楽しく(たのしく)なってなかなかやめられず、最後(さいご)には自分(じぶん)の友達(ともだち)を連れて(つれて)きて、さをりを教える(おしえる)ようになりました。その顔(かお)は自信(じしん)に満ちて(みちて)晴れやか(はれやか)になり、自分(じぶん)を指差して(ゆびさして)「マエストロ!」とはしゃいでいました。
 インクルージョン世界大会(せかいたいかい)に参加(さんか)し、さをりを通じて(つうじて)国(くに)や人種(じんしゅ)は違っても(ちがっても)、言葉以上(ことばいじょう)に理解(りかい)しあうことができ、楽しい(たのしい)交流(こうりゅう)ができたことはこれからもずっと心(こころ)に残って(のこって)いくでしょう。そしてこの先(さき)も活動(かつどう)を続けて(つづけて)いき、交流(こうりゅう)をはかっていきたいと思い(おもい)ます。
 
さをり体験(たいけん)ワークショップで、メキシコの人(ひと)たちにさをり指導(しどう)をする瀬尾美雪(せおみゆき)さん(中央(ちゅうおう))
 
さをり体験(たいけん)ワークショップで、マエストロとその友達(ともだち)と一緒(いっしょ)に記念撮影(きねんさつえい)


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