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4. 本人参加(ほんにんさんか):1)世界会議(せかいかいぎ)における本人(ほんにん)の役割(やくわり)
世界会議(せかいかいぎ)における本人(ほんにん)の役割(やくわり)の変遷(へんせん)
ステージ編集委員長(へんしゅういいんちょう)
花崎 三千子(はなざき みちこ)
 
 世界会議(せかいかいぎ)にはたくさんのセルフ・アドボケート(本人(ほんにん))が参加(さんか)していました。実際(じっさい)の数(かず)はわかりませんが、親(おや)や専門家(せんもんか)など全部(ぜんぶ)を合わせた(あわせた)より、もっと多かった(おおかった)ように私(わたし)は感じ(かんじ)ました。そのぐらいエネルギッシュで、そのぐらい重要(じゅうよう)な働き(はたらき)ぶりだったのです。
 育成会(いくせいかい)はどこの国(くに)でも親の会(おやのかい)として出発(しゅっぱつ)しました。その世界会議((せかいかいぎ)が今(いま)どうして本人抜き(ほんにんぬき)では何事(なにごと)も進まない(すすまない)、本人中心(ほんにんちゅうしん)の会議(かいぎ)になったのでしょう。
 
●インクルージョン・インターナショナルと本人活動(ほんにんかつどう)
 本人(ほんにん)の発言(はつげん)は、はじめは親の会大会(おやのかいたいかい)の「意見発表(いけんはっぴょう)」にすぎなかったのです。しかし、そこには「人(ひと)として尊敬(そんけい)されて生きたい(いきたい)」という痛切(つうせつ)で正当(せいとう)な願い(ねがい)がこめられていました。その願い(ねがい)に押される(おされる)ように、70年代(ねんだい)に北欧(ほくおう)でセルフ・アドボカシーの活動(かつどう)(本人活動(ほんにんかつどう))がスタートします。80年(ねん)にはスウェーデン育成会(いくせいかい)(FUB)が本人(ほんにん)を代議員権(だいぎいんけん)をもつ正会員(せいかいいん)として迎え入れ(むかえいれ)、84年(ねん)にはオーケ・ヨハンソンさんがFUB理事(りじ)に選出(せんしゅつ)されます。1990年(ねん)にパリで開かれた(ひらかれた)国際育成会連盟世界会議(こくさいいくせいかいれんめいせかいかいぎ)に参加(さんか)した5名(めい)の日本(にほん)の本人(ほんにん)が、オーケさんを中心(ちゅうしん)としたセルフ・アドボケートが、自分(じぶん)の言葉(ことば)で堂々(どうどう)と自分(じぶん)を語り(かたり)、権利(けんり)を主張(しゅちょう)する姿(すがた)に衝撃(しょうげき)を受け(うけ)、帰国後(きこくご)、日本(にほん)の本人活動(ほんにんかつどう)をスタートさせたのは、有名(ゆうめい)な話(はなし)です。
 1993年(ねん)に国際育成会連盟(こくさいいくせいかいれんめい)は各国(かっこく)の本人(ほんにん)によるセルフ・アドボカシー委員会(いいんかい)を立ち上げ(たちあげ)、94年(ねん)に事務局体制(じむきょくたいせい)を確立(かくりつ)します。常勤(じょうきん)スタッフとして事務局(じむきょく)を担った(になった)のは、ニュージーランドのセルフ・アドボケート、ロバート・マーティンさんと支援者(しえんしゃ)デズモンド・コリガンさんです。この委員会(いいんかい)は、1996年(ねん)に「戦略計画(せんりゃくけいかく)」を作成(さくせい)し、セルフ・アドボカシー運動強化(うんどうきょうか)にむけた具体的(ぐたいてき)な活動(かつどう)を、精力的(せいきょくてき)に開始(かいし)します。アカプルコで彼ら(かれら)が見せた(みせた)活動(かつどう)への自信(じしん)と、会議全体(かいぎぜんたい)に対する(たいする)圧倒的(あっとうてき)な影響力(えいきょうりょく)は、実は(じつは)こうした運動(うんどう)の積み(つみ)かさねの成果(せいか)です。
 
●ハーグ(1998)「自分(じぶん)たちこそが変革(へんかく)の主役(しゅやく)、そのために連帯(れんたい)しよう」
 1998年(ねん)オランダのハーグで開かれた(ひらかれた)インクルージョン・インターナショナル(II)世界会議(せかいかいぎ)は、親(おや)や専門家(せんもんか)とセルフ・アドボケートが問題(もんだい)を共有(きょうゆう)するために、周到(しゅうとう)なプログラムが用意(ようい)されました。本会議(ほんかいぎ)の前(まえ)にまる2日間(ふつかかん)、本人会議(ほんにんかいぎ)「ともにつよく」が開かれ(ひらかれた)たのです。本会議(ほんかいぎ)と同じ(おなじ)テーマを、本人(ほんにん)たちは自分(じぶん)の言葉(ことば)とペースでゆっくり討議(とうぎ)しました。そして、ここで確認(かくにん)された本人(ほんにん)の意思(いし)を、ロバート・マーティンさんが本会議(ほんかいぎ)に報告(ほうこく)し、全体(ぜんたい)の討議(とうぎ)に反映(はんえい)させました。多く(おおく)の本人(ほんにん)は引き続き(ひきつづき)本会議(ほんかいぎ)の討議(とうぎ)に参加(さんか)しましたが、途中(とちゅう)「わかりにくい」「もっとゆっくり進めて(すすめて)ほしい」と何度(なんど)もクレームが出され(だされ)ました。
 本人会議(ほんにんかいぎ)のあとに本会議(ほんかいぎ)を行う(おこなう)このやり方(やりかた)は、いくつかの課題(かだい)を残し(のこし)ました。しかし大きな(おおきな)収穫(しゅうかく)がありました。それは、本人会議(ほんにんかいぎ)「ともにつよく」の中(なか)で確認(かくにん)された「自分(じぶん)たちこそが変革(へんかく)の主役(しゅやく)」「そのために連帯(れんたい)しよう」という本人(ほんにん)たちのつよい意志(いし)です。
 
●メルボルン(2002)変革(へんかく)を担う(になう)本人(ほんにん)の元気(げんき)な姿(すがた)
 その意志(いし)を受けて(うけて)開かれた(ひらかれた)メルボルン大会(たいかい)は、プログラムの組み立て(くみたて)そのものに「本人(ほんにん)が主役(しゅやく)」の姿勢(しせい)がつらぬかれていました。毎日(まいにち)、一番広くて(いちばんひろくて)同時通訳(どうじつうやく)がつくメイン会場(かいじょう)は、本人活動(ほんにんかつどう)グループの発表(はっぴょう)の舞台(ぶたい)でした。国際(こくさい)ピープルファースト大学(だいがく)の設立(せつりつ)を熱っぽく(ねつっぽく)訴える(うったえる)イギリスの本人(ほんにん)、施設(しせつ)の完全閉鎖(かんぜんへいさ)を求めて(もとめて)デモ行進(こうしん)を繰り返す(くりかえす)ニュージーランドの元気(げんき)な姿(すがた)などなど。1時間(じかん)の会議(かいぎ)の後(あと)には45分(ふん)の休憩(きゅうけい)があり、飲み物(のみもの)や食べ物(たべもの)を手(て)にした本人(ほんにん)たちが、広い(ひろい)会場(かいじょう)を闊歩(かっぽ)していました。メルボルン市(し)ご自慢(じまん)の水族館(すいぞくかん)で、珍しい(めずらしい)魚(さかな)たちに囲まれて(かこまれて)ひらかれた歓迎(かんげい)の夕べ(ゆうべ)。レーザー光線(こうせん)の中(なか)で踊り(おどり)まくったディナーパーティー。会議全体(かいぎぜんたい)にあふれる気取り(きどり)のないおおらかな空気(くうき)の中(なか)で、誰もが(だれもが)自分(じぶん)を発揮(はっき)し、自由(じゆう)に交流(こうりゅう)していました。メルボルン大会(たいかい)は、インクルーシヴ(共生(きょうせい))な社会(しゃかい)のあり方(かた)を理屈(りくつ)をこえて示し(しめし)ました。
 大会後(たいかいご)に開かれた(ひらかれた)II総会(そうかい)で、3名(めい)の本人理事(ほんにんりじ)が選出されました。IIはこの時点(じてん)で理事定数(りじていすう)を減らした(へらした)にもかかわらず、その中(なか)に3名(めい)の本人代表(ほんにんだいひょう)を迎え入れた(むかえいれた)のです。組識(そしき)としてのIIが、「本人中心(ほんにんちゅうしん)」に確実(かくじつ)に舵(かじ)を切った(きった)ことがわかります。2004年(ねん)には本人代表理事(ほんにんだいひょうりじ)は5名(めい)に増員(ぞういん)されます。これでIIの5つの地域(ちいき)(アジア太平洋(たいへいよう)、アメリカ、中東(ちゅうとう)・北(きた)アフリカ、アフリカ、ヨーロッパ)から、地域代表理事(ちいきだいひょうりじ)と本人代表理事(ほんにんだいひょうりじ)がそれぞれ1名(めい)ずつ選ばれる(えらばれる)こととなり、本人(ほんにん)は親(おや)・関係者(かんけいしゃ)と完全(かんぜん)に肩(かた)を並べ(ならべ)ました。
 
●アカプルコ(2006)本人中心(ほんにんちゅうしん)から生まれる(うまれる)豊かな(ゆたかな)可能性(かのうせい)を、本人(ほんにん)が証明(しょうめい)した
 アカプルコの世界会議(せかいかいぎ)は、本人(ほんにん)と親(おや)・関係者(かんけいしゃ)がしっかりと肩(かた)を組み(くみ)、「ともに生きる(いきる)未来(みらい)」を目指して(めざして)、あらゆる排除(はいじょ)とたたかうことを明確(めいかく)に示した(しめした)会議(かいぎ)となりました。特徴的(とくちょうてき)だったのは、本人(ほんにん)の力(ちから)が名実(めいじつ)ともに親(おや)・関係者(かんけいしゃ)と互角(ごかく)になり、論議(ろんぎ)の内容(ないよう)、姿勢(しせい)の熱っぽさ(ねつっぽさ)共に(ともに)、親(おや)や関係者(かんけいしゃ)をはるかに上回る(うわまわる)場面(ばめん)がたくさんあったことです。初日(しょにち)には、ダイアン・リッチラーII会長(かいちょう)、フォックスメキシコ大統領(だいとうりょう)(当時(とうじ))、トリュフォスパナマ大統領(だいとうりょう)と並んで(ならんで)、3名(めい)の本人代表理事(ほんにんだいひょうりじ)、クインシー・ミーヤー、ディンカ・ペドロ、ロバート・マーティンが、家族(かぞく)、教育(きょういく)、暴力(ぼうりょく)など会議(かいぎ)の主要(しゅよう)テーマについて感動的(かんどうてき)なスピーチを行い(おこない)、会議(かいぎ)の基調(きちょう)をつくりました。
 本人(ほんにん)だけの集会(しゅうかい)もありました。そこでは各国(かっこく)の本人(ほんにん)が次々(つぎつぎ)と自己紹介(じこしょうかい)し、言語別(げんごべつ)のグループに分かれ(わかれ)て自分(じぶん)たちが直面(ちょくめん)する問題(もんだい)を話し合い(はなしあい)ました。もっと小さな(ちいさな)声(こえ)を拾う(ひろう)ために、簡単(かんたん)に書ける(かける)「意見(いけん)カード」もくばられました。こうして集め(あつめ)られた本人(ほんにん)の声(こえ)は、ロバート・マーティンを中心(ちゅうしん)とする本人実行委員会(ほんにんじっこういいんかい)の手(て)で「本人(ほんにん)からの最も(もっとも)重要(じゅうよう)な提言(ていげん)」にまとめられ、最終日(さいしゅうび)の全体総括会議(ぜんたいそうかつかいぎ)に提出(ていしゅつ)されました。予定(よてい)にはなかったのですが、日本(にほん)もこの作業(さぎょう)に加わって(くわわって)ほしいと言われ(いわれ)、小池美希(こいけみき)さんと赤木祐子(あかきゆうこ)さんが参加(さんか)しました。
 壇上(だんじょう)にずらりと並んだ(ならんだ)各国(かっこく)の本人代表(ほんにんだいひょう)が、会議(かいぎ)の全参加者(ぜんさんかしゃ)の前(まえ)で自分(じぶん)たちの経験(けいけん)や思い(おもい)を率直(そっちょく)に語り(かたり)、IIが今後(こんご)取り組む(とりくむ)べき最重要課題(さいじゅうようかだい)を提言(ていげん)する姿(すがた)は、力(ちから)に満ちて(みちて)いました。彼(かれ)らは「本人中心(ほんにんちゅうしん)」から生まれる(うまれる)豊かな(ゆたかな)可能性(かのうせい)を、自分(じぶん)たちの力(ちから)で見事(みごと)に証明(しょうめい)してみせたのです。
 ここに至る(いたる)までには、各国(かっこく)の本人活動(ほんにんかつどう)の地道な(じみちな)つみかさねと交流(こうりゅう)がありました。その中(なか)で本人(ほんにん)たちは、自分(じぶん)で自分(じぶん)の権利(けんり)を守る(まもる)こと(セルフ・アドボカシー)のすばらしさを実感(じっかん)し、学習(がくしゅう)を重ね(かさね)、力(ちから)をたくわえたのです。そしてその裏(うら)には、本人中心(ほんにんちゅうしん)の価値(かち)を認め(みとめ)、条件(じょうけん)をととのえ、本気(ほんき)でそれを応援(おうえん)したIIの度量(どりょう)の深さ(ふかさ)がありました。IIはそのために必要(ひつよう)な自己変革(じこへんかく)を、勇気(ゆうき)をもってなしとげたのです。
 世界的(せかいてき)に見れば(みれば)、知的障害(ちてきしょうがい)の分野(ぶんや)の本人中心(ほんにんちゅうしん)はまだ一部(いちぶ)に過ぎ(すぎ)ません。しかし、それが十分可能(じゅうぶんかのう)なこと、そして、そこから人(ひと)と人(ひと)との新しい(あたらしい)関係(かんけい)が生まれ(うまれ)、インクルーシヴな社会(しゃかい)の姿(すがた)が見えて(みえて)くることを、II世界会議(せかいかいぎ)の歩み(あゆみ)がはっきり示して(しめして)います。
 
4. 本人参加(ほんにんさんか):2)日本(にほん)からの参加者(さんかしゃ)の感想(かんそう)
メキシコ大会(たいかい)をおえて
東京都育成会(とうきょうといくせいかい)ゆうあい会(かい) 
館森久秋(たてもりひさあき)
 
 国際育成会連盟(こくさいいくせいかいれんめい)・第(だい)14回(かい)世界会議(せかいかいぎ)を、おえて私(わたし)は今回(こんかい)の大会(たいかい)に出て(でて)貧困(ひんこん)とは何か(なにか)考え(かんがえ)させられるものがありました。
 テーマ(共(とも)に生きる(いきる)未来(みらい)を創ろう(つくろう)・公平(こうへい)な世界(せかい)をめざして)自分自身(じぶんじしん)の地域(ちいき)で生活(せいかつ)し、その地域(ちいき)に所属(しょぞく)して参加(さんか)することが、大切(たいせつ)だと思い(おもい)ます。
 大人(おとな)になっても、子供扱い(こどもあつかい)されて居る(いる)。
 どんな人(ひと)にも、出来る事(できること)があります。自分(じぶん)の身(み)を守る(まもる)教育(きょういく)と支援(しえん)をして欲しい(ほしい)。
 メキシコの大統領夫妻(だいとうりょうふさい)が大会(たいかい)にこられて、握手(あくしゅ)しました。
 日本(にほん)からもっていった物(もの)を展示(てんじ)しました。
 メキシコの親の会(おやのかい)との親睦会(しんぼくかい)で、(ウェルカム・パーティー)であった人(ひと)とまた会い(あい)、日本(にほん)の作業所(さぎょうじょ)で作った(つくった)物(もの)あげました。
 会議(かいぎ)がみな終わって(おわって)ビーチパーティー(海岸(かいがん)にステージを作り(つくり)ました。)みんなで楽しみ(たのしみ)ました。
 
ピラミッドの前(まえ)で
 
セルフ・アドボカシーの分科会会場(ぶんかかいかいじょう)にて


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