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11月(がつ)9日(か) 第(だい)25分科会(ぶんかかい)
脱施設化(だつしせつか)とインクルーシヴ・コミュニティ作り(づくり)の戦略(せんりゃく)
明星大学(めいせいだいがく) 吉川(よしかわ) かおり
 
 この分科会(ぶんかかい)では、カナダ・ノルウェー・アメリカ合衆国(がっしゅうこく)・オーストラリアから、脱施設化(だつしせつか)の状況(じょうきょう)と共生的地域社会作り(きょうせいてきちいきしゃかいづくり)のために必要な(ひつような)方法(ほうほう)について発表(はっぴょう)がありました。
 
●カナダがめざすもの
 カナダでは1970年代(ねんだい)に少しずつ(すこしづつ)施設閉鎖(しせつへいさ)が始まった(はじまった)ものの、現在(げんざい)7つの地方(ちほう)でまだ大人(おとな)の大施設(だいしせつ)が残って(のこって)います。今後(こんご)の方針(ほうしん)として、大施設(だいしせつ)だけでなく不適切(ふてきせつ)な小さな(ちいさな)施設(しせつ)(ナーシングホームなど、ただ規模(きぼ)が小さい(ちいさい)だけの施設(しせつ))にいる人(ひと)も減らして(へらして)いくとのことです。戦略(せんりゃく)としての重要(じゅうよう)な点(てん)は、本人(ほんにん)・家族(かぞく)がどう関わる(かかわる)かで、市民(しみん)の権利(けんり)そのものとして、施設(しせつ)を拒絶(きょぜつ)する方法(ほうほう)を確立(かくりつ)していくこと。また、地域社会(ちいきしゃかい)の成熟(せいじゅく)も重要(じゅうよう)で、自分(じぶん)と違う(ちがう)人々(ひとびと)を受け入れる(うけいれる)のには時間(じかん)がかかるが、自分達(じぶんたち)の活動(かつどう)を通じて(つうじて)少しずつ(すこしづつ)変えて(かえて)いくことも必要(ひつよう)だし、行動障害(こうどうしょうがい)の強い人(つよいひと)にはグループホームも難しい(むずかしい)ので、もっと個人(こじん)に特化(とっか)した住み方(すみかた)と理解(りかい)できる人(ひと)を支援者(しえんしゃ)として用意(ようい)することが必要(ひつよう)というお話(はなし)がありました。
 
●ノルウェーの過去(かこ)の記録(きろく)
 ノルウェーでは1990年(ねん)に知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)の施設(しせつ)はすべて閉鎖(へいさ)されました。以前(いぜん)施設(しせつ)があったところは博物館(はくぶつかん)になり、施設(しせつ)の歴史(れきし)を残す(のこす)ために使われて(つかわれて)います。施設居住者(しせつきょじゅうしゃ)の経験(けいけん)や思い(おもい)をきちんと残して(のこして)おくために、話(はなし)を聞いて(きいて)記録(きろく)するという活動(かつどう)が行われて(おこなわれて)います。面接(めんせつ)の方法(ほうほう)には使って(つかって)いる言葉(ことば)の概念(がいねん)の違(ちがい)があるなど、適切(てきせつ)な方法(ほうほう)を工夫(くふう)する必要(ひつよう)があったそうですが、すでに16人(にん)に面接(めんせつ)を終えた(おえた)そうです。面接(めんせつ)の様子(ようす)を映した(うつした)VTRでは、日課(にっか)、余暇(よか)、食事(しょくじ)、部屋(へや)、職員(しょくいん)のことなどについて、楽しい(たのしい)思い出(おもいで)(乗馬(じょうば)をした)なども話されて(はなされて)いましたが、嫌(いや)だったことの中(なか)に、職員(しょくいん)の言うこと(いうこと)をきかないと罰(ばつ)(食事(しょくじ)ぬき、部屋(へや)に閉じ込め(とじこめ)られる、平手打ち(ひらてうち)される)が与え(あたえ)られたこと、家族(かぞく)への電話(でんわ)を逐一(ちくいち)そばで聞かれた(きかれた)こと、友達(ともだち)ができなかったこと、6人部屋(ろくにんべや)だったことなども挙げ(あげ)られていました。
 また、福祉(ふくし)システムについての説明(せつめい)もありましたが、特(とく)に印象的(いんしょうてき)だったのは、障害者(しょうがいしゃ)はなかなか友達(ともだち)ネットワークが作れず(つくれず)、ケアの提供者(ていきょうしゃ)のみとコンタクトを持って(もって)いることが多く(おおく)、アパートに住んで(すんで)いる人(ひと)のほとんどが、障害者向け(しょうがいしゃむけ)イベントには行く(いく)が、地域(ちいき)の一般向け(いっぱんむけ)のイベントには行けない(いけない)というお話(はなし)でした。自治体(じちたい)も、障害者(しょうがいしゃ)を含めて(ふくめて)参加(さんか)できるイベントをしようとは考え(かんがえ)ないのは問題(もんだい)だと言って(いって)いました。
 
●オーストラリアの経験(けいけん)
 オーストラリアからは、encompass(包含(ほうがん))についての話(はなし)がありました。やはり、施設(しせつ)に入って(はいって)いた時(とき)に本人(ほんにん)が体験(たいけん)した嫌(いや)なこととして、体罰(たいばつ)のことが挙げ(あげ)られていました。食事(しょくじ)の時(とき)に遊んだり(あそんだり)すると、ひざまずいて頭(あたま)に手(て)を当てて(あてて)皆(みな)から見える(みえる)ところにいないとならず、それが嫌(いや)なら、早く(はやく)部屋(へや)に戻って(もどって)食事(しょくじ)を取ら(とら)ないでいるしかなかったこと、トラブルを起こす(おこす)とひもで手(て)を縛られた(しばられた)、などがあったそうです。
 
●アメリカ合衆国(がっしゅうこく)の今(いま)
 アメリカ合衆国(がっしゅうこく)からは、Therapの活動紹介(かつどうしょうかい)がありました。現在(げんざい)、アメリカ合衆国(がっしゅうこく)の25州(しゅう)で家族(かぞく)・NGO・州政府(しゅうせいふ)の機関(きかん)がTherapを使って(つかって)いるそうです。Therapは個別支援(こべつしえん)のためのプログラムで、WEBから利用(りよう)できるとのことです。
 
●貧困地域(ひんこんちいき)での脱施設化(だつしせつか)
 以上(いじょう)の発表(はっぴょう)の後(あと)、質疑応答(しつぎおうとう)がありました。
 脱施設化(だつしせつか)に必要(ひつよう)なものは?という質問(しつもん)に対し(たいし)、
(1)コミュニティを訓練(くんれん)していくことが必要(ひつよう)。
(2)同じ(おなじ)サービス・設備(せつび)を使える(つかえる)ようにシステムを変えて(かえて)いくことが必要(ひつよう)。
(3)様々(さまざま)な人(ひと)の協力(きょうりょく)を得る(える)こと。
(4)脱施設(だつしせつ)は単なる(たんなる)施設閉鎖(しせつへいさ)ではなく、確実(かくじつ)な指標(しひょう)の一つ(ひとつ)は、友達(ともだち)がいるかどうかであり、友達(ともだち)がいるということが地域(ちいき)にとけこんでいるということ。
という考え方(かんがえかた)が示され(しめされ)ました。
 また、貧困地域(ひんこんちいき)(国(くに))での脱施設化(だつしせつか)はありえるのか?という質問(しつもん)に対して(たいして)、
(1)障害者(しょうがいしゃ)がいてもいなくても家族(かぞく)みなが力(ちから)を出し合わないと(だしあわないと)暮らせない(くらせない)状況(じょうきょう)の中(なか)でも、グループホームはありえる。
(2)地元(じもと)のコミュニティで支援(しえん)することは大施設(だいしせつ)を作る(つくる)よりも安く済む(やすくすむ)・支援(しえん)もしやすいのだということを政府(せいふ)に訴える(うったえる)ことが必要(ひつよう)。
という返答(へんとう)がありました。
 
11月(がつ)9日(か) 第(だい)25・40分科会(ぶんかかい)
各国(かっこく)の脱施設(だつしせつ)と地域生活(ちいきせいかつ)への取り組み(とりくみ)
立教大学(りっきょうだいがく) コミュニティー福祉学研究科(ふくしがくけんきゅうか)
社会福祉学専攻博士課程前期課程(しゃかいふくしがくせんこうはくしかていぜんきかてい) 2年(ねん) 中 真宏(なか まさひろ)
 
 約(やく)3時間(じかん)にわたって行われた(おこなわれた)この分科会(ぶんかかい)では、脱施設(だつしせつ)について様々(さまざま)な国(くに)の発表(はっぴょう)を聞く(きく)ことができました。以下(いか)に、発表(はっぴょう)された内容(ないよう)をまとめたいと思い(おもい)ます。
 
●カナダ
 現在(げんざい)は7つの州(しゅう)に施設(しせつ)が残って(のこって)いますが、他(ほか)はすべて閉鎖(へいさ)されました。カナダでは、しょうがいのある人(ひと)は、“ケアされる(守られる(まもられる))べき存在(そんざい)”として考えられ(かんがえられ)、施設(しせつ)に入れる(いれる)のが一番(いちばん)よいとされてきました。しかし、それは間違い(まちがい)でした。そもそも“しょうがい”というのは、本人以外(ほんにんいがい)の第三者(だいさんしゃ)がそう呼んで(よんで)きたのです。施設生活(しせつせいかつ)は本人(ほんにん)の人権(じんけん)や自由(じゆう)を無視(むし)し、いろいろな権利(けんり)を奪って(うばって)きました。
 カナダの施設閉鎖(しせつへいさ)の特徴(とくちょう)は、裁判所(さいばんしょ)を通さなかった(とおさなかった)ということです。法律(ほうりつ)の枠組み(わくぐみ)で進めて(すすめて)いくのではなく、親の会(おやのかい)が“戦って(たたかって)”、各州政府(かくしゅうせいふ)(3つあります)へ働き(はたらき)かけることによって1970年代(ねんだい)から閉鎖(へいさ)が始まり(はじまり)ました。そして、同時(どうじ)にコミュニティ・サービス(地域(ちいき)での支援(しえん))をつくっていきました。
 今後(こんご)の目標(もくひょう)は、大きな(おおきな)施設(しせつ)で新たに(あらたに)受け入れ(うけいれ)をしないことです。また、小さな(ちいさな)施設(しせつ)にいる人(ひと)は、2013年(ねん)までに半分(はんぶん)にしようという目標(もくひょう)があります。最後(さいご)に、カナダで脱施設(だつしせつ)が成功(せいこう)した秘訣(ひけつ)は次(つぎ)のとおりです。
・本人(ほんにん)、親(おや)の積極的(せっきょくてき)な参加(さんか)があったこと
・国際機関(こくさいきかん)と連携(れんけい)をとったこと
・一人(ひとり)ひとりの人権(じんけん)の問題(もんだい)として捉えた(とらえた)こと
・本人(ほんにん)や家族(かぞく)をエキスパートとして見た(みた)こと
・しょうがい者(しゃ)だけの問題(もんだい)ではないと考えた(かんがえた)こと
 
●ノルウェー
 ノルウェーの施設(しせつ)は、「TRASTAD(トラスタッド)」という一番(いちばん)大きな(おおきな)施設(しせつ)を含めて(ふくめて)、1995年(ねん)にすべて閉鎖(へいさ)されました。「施設(しせつ)という文化(ぶんか)を打ち破る(うちやぶる)ことは難しい(むずかしい)」という言葉(ことば)を聞いた(きいた)ことがありますが、脱施設(だつしせつ)の推進(すいしん)は本人(ほんにん)の“経験(けいけん)”から学ぶ(まなぶ)ことが重要(じゅうよう)です。そこで、1954年(ねん)から1990年(ねん)まで、施設生活者(しせつせいかつしゃ)16人(にん)に聞き(きき)とりを行い(おこない)ました(ここでその模様(もよう)がビデオ上映(じょうえい)されました)。その結果(けっか)、施設(しせつ)に帰りたい(かえりたい)という人(ひと)は0人(にん)でした。しかし、そのように施設生活(しせつせいかつ)を語って(かたって)くれる人(ひと)は、高齢化(こうれいか)によって年々減って(ねんねんへって)きています。
 ところで、ノルウェーの福祉政策(ふくしせいさく)はよくなりましたが、まだまだやるべきことは残って(のこって)います。それは、例えば(たとえば)すべての人(ひと)の機会(きかい)の均等化(きんとうか)などです。脱施設(だつしせつ)は、本人(ほんにん)の社会生活(しゃかいせいかつ)をよく知る(しる)べきであるということ、インクルージョン(一般的(いっぱんてきに)に「包み込む(つつみこむ)」、しょうがいのある人(ひと)もない人(ひと)も一緒(いっしょ)にという意味(いみ))の具体的(ぐたいてき)なあり方(かた)を考えて(かんがえて)いくことなど、公共政策(こうきょうせいさく)に変化(へんか)をもたらしました。しかし、“当然の権利(とうぜんのけんり)”の獲得(かくとく)のために、何(なに)が壁(かべ)となっているのかをもっと知らなくては(しらなくては)いけません。
 1994年(ねん)のサラマンカ宣言(せんげん)では、人権(じんけん)の強調(きょうちょう)、差別(さべつ)からインクルーシヴな社会(しゃかい)へ、コミュニティ(地域(ちいき))への参加(さんか)、多様性(たようせい)を認め合う(みとめあう)ことなどが打ち出され(うちだされ)ました。しょうがいのある人(ひと)は、しばしばノンバーバル(言葉(ことば)ではない方法(ほうほう))で何(なに)かを伝えよう(つたえよう)としていることがあります。それは理解(りかい)することが難しい時(むずかしいとき)もありますが、ネットワーク(人(ひと)と人(ひと)とのつながり)があれば問題(もんだい)はありません。
 ノルウェーでは、1969年(ねん)に特殊教育法(とくしゅきょういくほう)という法律(ほうりつ)ができました。それは、特殊学級(とくしゅがっきゅう)(しょうがいのある人(ひと)だけを集めた(あつめた)学級(がっきゅう))をつくるというもので、しょうがいのある人(ひと)もない人(ひと)も一緒(いっしょ)に勉強(べんきょう)するということを実現(じつげん)させるものではありませんでした。このことと関連(かんれん)して、文化的(ぶんかてき)イベント(お祭り(まつり)など)への参加(さんか)などはとても重要(じゅうよう)です。しょうがいのある人(ひと)を対象(たいしょう)としたイベントヘの参加(さんか)は多く(おおく)見られ(みられ)ますが、そこにとどまっていてはいけません。
 インクルージョンを達成(たっせい)するためには、お互い(たがい)の歩み寄り(あゆみより)が必要(ひつよう)です。単(たん)にコミュニティに戻す(もどす)ということではなく、職場(しょくば)の人間関係(にんげんかんけい)など人(ひと)と人(ひと)とのつながりを考える(かんがえる)ことがとても大切(たいせつ)です。
 
●オーストラリア
 ここでは、本人(ほんにん)が発表者(はっぴょうしゃ)として登場(とうじょう)しました。そこでは「私(わたし)は何(なに)も決める(きめる)ことができなかった」という言葉(ことば)がありました。
 
●アメリカ
 ここでは、「Therap(テラップ)」という会社(かいしゃ)の紹介(しょうかい)がありました。この会社(かいしゃ)は、コミュニティ(人(ひと)と人(ひと)とのつながり)づくりにインターネットを使って(つかって)います。「インクルーシヴ・コミュニティ(いろいろな人(ひと)がつながった社会(しゃかい)や空間(くうかん))」をつくることを助ける(たすける)仕事(しごと)です。すべての人(ひと)に情報(じょうほう)へのアクセスを保障(ほしょう)すること、例えば(たとえば)個人(こじん)や家族(かぞく)を対象(たいしょう)に災害時(さいがいじ)の支援(しえん)などを行って(おこなって)います。「インフォメーション・テクノロジー(情報技術(じょうほうぎじゅつ))」は支援(しえん)の一環(いっかん)なのです。
 
 以上(いじょう)、各国(かっこく)の発表(はっぴょう)の簡単(かんたん)なまとめでした。脱施設(だつしせつ)が進んで(すすんで)いる国(くに)は、国(くに)や政府(せいふ)と“戦って(たたかって)”地域(ちいき)での生活(せいかつ)を実現(じつげん)させています。また、「私(わたし)は何も(なにも)決める(きめる)ことができなかった」というオーストラリアの本人(ほんにん)の言葉(ことば)がありました。よって、施設(しせつ)を閉鎖(へいさ)して“当然の権利(とうぜんのけんり)”を勝ち取る(かちとる)ためには、ノンバーバルな表現(ひょうげん)も含めて(ふくめて)、本人(ほんにん)の思い(おもい)や主張(しゅちょう)に耳(みみ)を傾ける(かたむける)ことが出発点(しゅっぱつてん)になると感じ(かんじ)ました。
 
セルフ・アドボカシーの分科会での話し合いの方法
順番とながれ:
1.全体をその場に即して半分にし、さらに各々10人程度の小グループに分ける。
2.グループ内で自己紹介をする。
3.グループ内で記録係を決める。
4.各グループに話し合うポイントが伝えられる。
5.まず内容1.について各グループでひとりひとり順番に話をする。
6.それを各グループでまとめる。
7.グループの代表者として発表する人を決める。
8.発表者が全体に発表する。
 
ルール:
1.会場にファシリテーター(本人1、支援者1)と進行を助ける複数の支援者が配置される。
2.ながれの4番からは、一つ一つの内容について、同じ順序で繰り返す。
3.それぞれの話し合いの内容発表ではなるべく別の発表者を決め、より多くの人に発言の機会がまわるようにする。
 
内容:
1.あなたの夢は何ですか。
2.夢を達成するためにはどうしたらよいですか。
3.あなたは何をすべきですか。
4.何を変えるべきですか。
5.誰があなたを助けることができますか。
 
 これはインクルージョン・ヨーロッパのセルフ・アドボケートの話し合いの方法のようで、会場には100人規模のセルフ・アドボケートが集まっていましたが、10人位の小グループでの活発な話し合いのあと、次々に全体で発表が行われ、有効な話し合いの手段であることがわかりました。


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