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11月(がつ)9日(にち) 第(だい)24・34分科会(ぶんかかい)
複雑(ふくざつ)なニーズのある人(ひと)たちを支える(ささえる)
―自己決定(じこけってい)の支援(しえん)と代替(だいたい)コミュニケーション手段(しゅだん)の意味(いみ)するところ
有馬靖子(ありまやすこ)(きょうだい)
 
 この分科会(ぶんかかい)での発表者(はっぴょうしゃ)はプログラムには5名(めい)の名前(なまえ)が出て(でて)いますが、実際(じっさい)にはカナダ人2名(めい)は参加(さんか)せず、スウェーデン人(じん)1名(めい)、メキシコ人(じん)2名(めい)の計(けい)3名(めい)だけでした。司会者(しかいしゃ)はコスタリカのジェラルド(Gerardo)さんで、進行(しんこう)とメキシコ人(じん)の発表(はっぴょう)はスペイン語(ご)でした。そのため英語(えいご)のハンドアウトをもらうことができたスウェーデン人(じん)のエレインさんの話(はなし)の内容(ないよう)が大半(たいはん)を占める(しめる)ことをご了承(りょうしょう)ください。
 
●エレインさんは障害者(しょうがいしゃ)の母(はは)でもある
 講演(こうえん)のタイトルは「高度(こうど)な支援(しえん)を必要(ひつよう)とする人(ひと)のよい生活条件(せいかつじょうけん)」でした。エレインさんは重度(*)の知的障害(ちてきしょうがい)の人(ひと)たちのためのセンターでどんな活動(かつどう)を行う(おこなう)かなどを考える(かんがえる)仕事をしていますが、36歳(さい)になる娘(むすめ)さんに重度重複(じゅうどちょうふく)の知的障害(ちてきしょうがい)があるお母さん(かあさん)でもあります。
*英語(えいご)ではsevere(病状(びょうじょう)が深刻(しんこく)なというニュアンス)とprofound(重度(じゅうど))の両方(りょうほう)の形容詞(けいようし)を使って(つかって)いますが、日本話(にほんご)では単(たん)に重度(じゅうど)とします。
 
●スウェーデンはやっぱり進んで(すすんで)いる?
 スウェーデンでは障害(しょうがい)のあるなしにかかわらず、子(こ)どもはすべて家族(かぞく)の元(もと)で育て(そだて)られます。生物学的(せいぶつがくてき)な家族(かぞく)が子(こ)どもの面倒(めんどう)を見る(みる)ことができないときは、里親(さとおや)が選ばれ(えらばれ)ます。これはすべての子(こ)どもが家族(かぞく)を持つ(もつ)権利(けんり)を持ち(もち)、知的障害(ちてきしょうがい)の程度(ていど)にかかわらず教育(きょういく)の権利(けんり)を持つ(もつ)ということを意味(いみ)します。
 知的障害(ちてきしょうがい)のあるおとなの人(ひと)たちもよい生活条件(せいかつじょうけん)で暮らす(くらす)権利(けんり)があります。たとえば、エレインさんの娘(むすめ)さんは、24時間(じかん)援助者(えんじょしゃ)がつくアパートにひとりで12年以上(ねんいじょう)住んで(すんで)います。社会保険(しゃかいほけん)システムからの経済的援助(けいざいてきえんじょ)の下(もと)、3家族(かぞく)でそのアパートを運営(うんえい)しているそうです。
 
●「健常(けんじょう)」人(じん)の役割(やくわり)
 知的障害(ちてきしょうがい)のあるおとなの人(ひと)たちには、デイケアセンターでの毎日(まいにち)の活動(かつどう)に参加(さんか)する権利(けんり)もあります。重度重複障害(じゅうどちょうふくしょうがい)のある人(ひと)たちは多く(おおく)の困難(こんなん)を抱えて(かかえて)いますが、多く(おおく)の可能性(かのうせい)も持って(もって)います。その可能性(かのうせい)を作り出す(つくりだす)のは、周り(まわり)にいる健常人(けんじょうじん)がやるべきことです。言葉(ことば)を話せない(はなせない)人(ひと)たちが必要(ひつよう)としていることを察知(さっち)するためには、人間(にんげん)の感覚(かんかく)についての深い(ふかい)理解(りかい)が必要不可欠(ひつようふかけつ)です。それらは、視覚(しかく)、聴覚(ちょうかく)、嗅覚(きゅうかく)、味覚(みかく)、触覚(しょっかく)ですが、触覚(しょっかく)は3つに分け(わけ)られます。温度(おんど)、痛み(いたみ)、接触(せっしょく)を感じる(かんじる)感覚(かんかく)です。さらに、私(わたし)たちには筋肉(きんにく)を動かす(うごかす)感覚(かんかく)、平衡感覚(へいこうかんかく)があります。つまり、人間(にんげん)には9つの感覚(かんかく)があると考える(かんがえる)べきで、言葉(ことば)を話せない(はなせない)重度重複障害(じゅうどちょうふくしょうがい)の人(ひと)たちを支援(しえん)するにあたっては、どの感覚(かんかく)が残って(のこって)いてどれを刺激(しげき)してあげればよいかを考え(かんがえ)なくてはならないのです。
 
●権利(けんり)を守る(まもる)ための闘い(たたかい)は続く(つづく)
 最後(さいご)にエレインさんがおっしゃったのは次(つぎ)の言葉(ことば)でした。「重度(じゅうど)の知的障害(ちてきしょうがい)のある人(ひと)たちの親(おや)であることは、娘(むすめ)や息子(むすこ)のためのよい生活条件(せいかつじょうけん)のために常(つね)に闘い(たたかい)続け(つづけ)なければならないということです」
 
●インクルージョン・ヨーロッパの資料(しりょう)
 メキシコ人(じん)2名(めい)の発表(はっぴょう)はスペイン語(ご)で、ほとんど内容(ないよう)はわかりませんでしたが、ベロニカさんの発表(はっぴょう)はコンピュータなどテクノロジーを使った(つかった)コミュニケーション支援(しえん)の語(はなし)でした(写真(しゃしん))。私(わたし)の関心事(かんしんじ)は、言葉(ことば)を話せず(はなせず)文字(もじ)も理解(りかい)できない重度(じゅうど)の人(ひと)たちのコミュニケーション支援(しえん)なので物足りない(ものたりない)と感じて(かんじて)帰国(きこく)しました。しかし、帰国後(きこくご)袖山(そでやま)さんが、重度(じゅうど)の人(ひと)たちもインクルージョンの波(なみ)に取り込まなくては(とりこまなくては)ならないと作成(さくせい)されたインクルージョン・ヨーロッパの資料(しりょう)を教えて(おしえて)くださり、私(わたし)にとってはそれが今回(こんかい)のアカプルコ行き(ゆき)の最高(さいこう)の成果(せいか)となりました。なぜなら、日本(にほん)の現状(げんじょう)はそうなっていないからです。
 
メキシコ人(じん)のベロニカさんのパワーポイント、テクノロジーという単語(たんご)がある。
 
 どういうことかと言う(いう)と、全国重症心身障害児(ぜんこくじゅうしょうしんしんしょうがいじ)(者(しゃ))を守る(まもる)会(かい)の機関誌(きかんし)第(だい)599号(ごう)で、北浦雅子(きたうらまさこ)会長(かいちょう)が「障害者基本計画(しょうがいしゃきほんけいかく)に関する(かんする)懇談会(こんだんかい)などで、厚労省(こうろうしょう)の幹部(かんぶ)と7団体(だんたい)ぐらいとで話(はなし)をする機会(きかい)があったが、医療(いりょう)も必要(ひつよう)としている重症心身障害児(じゅうしょうしんしんしょうがいじ)(者(しゃ))には施設(しせつ)が必要(ひつよう)だという立場(たちば)は他(ほか)の団体(だんたい)からは理解(りかい)されず(厚労省(こうろうしょう)は入所施設(にゅうしょしせつ)については真に(しんに)必要(ひつよう)なものに限定(げんてい)するという一文(いちぶん)を追加(ついか))、批判(ひはん)が出た(でた)」と書かれて(かかれて)いるのです。
 今後(こんご)の日本(にほん)のインクルージョン活動(かつどう)がヨーロッパ並み(なみ)になることを期待(きたい)して、私(わたし)の報告(ほうこく)を終わり(おわり)ます。
 
11月(がつ)9日(か) 第(だい)25分科会(ぶんかかい) 脱施設(だつしせつ)と共生社会(きょうせいしゃかい)の構築(こうちく)の方策(ほうさく)
「インクルージョンはすべての人(ひと)に」
尚恵学園(しょうけいがくえん) 小野澤 秀人(おのざわ ひでと)
 
 メキシコ大会(たいかい)3日目(みっかめ)は、脱施設分科会(だつしせつぶんかかい):テーマ「脱施設(だつしせつ)と共生社会(きょうせいしゃかい)の構築(こうちく)の方策(ほうさく)パート1」に出席(しゅっせき)しました。今回(こんかい)はカナダ・ノルウェー・オーストラリアからの3つのレポートがありましたが、特(とく)に当事者(とうじしゃ)の生(なま)の声(こえ)を聞けた(きけた)のが、印象的(いんしょうてき)でした。
 
●カナダからの報告(ほうこく):「すべての人(ひと)に地域生活(ちいきせいかつ)を」
 カナダでは70年代後半(ねんだいこうはん)に脱施設化(だつしせつか)の取組み(とりくみ)が始まって(はじまって)いますが、特に(とくに)家族(かぞく)とセルフ・アドボケートadvocatesの両者(りょうしゃ)が、施設(しせつ)ケアは不適切(ふてきせつ)であることを強力(きょうりょく)に訴える(うったえる)運動(うんどう)を地方行政(ちほうぎょうせい)に働き(はたらき)かけてきています。この点(てん)は、脱施設化(だつしせつか)には法的枠組み(ほうてきわくぐみ)で対応(たいおう)した米国(べいこく)とは違う(ちがう)取組み(とりくみ)であると、発表者(はっぴょうしゃ)は触れて(ふれて)いました。現在(げんざい)は12,000人(にん)が施設入所中(しせつにゅうしょちゅう)だが、脱施設化(だつしせつか)には多く(おおく)の州(しゅう)・準州(じゅんしゅう)が動いて(うごいて)います。知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)の施設入所(しせつにゅうしょ)は、彼(かれ)らの基本的人権(きほんてきじんけん)と地域社会参加(ちいきしゃかいさんか)を否定(ひてい)することであり、これは、国家(こっか)の恥(はじ)とまで言及(げんきゅう)していました。
 カナダの目標(もくひょう)は、2007年(ねん)までには大施設(だいしせつ)への新入所(しんにゅうしょ)は受け(うけ)ない、10年(ねん)までに大施設(だいしせつ)を閉鎖(へいさ)し、15年(ねん)までに知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)は自分(じぶん)で必要(ひつよう)な支援(しえん)を選択(せんたく)し、地域生活(ちいきせいかつ)へ移行(いこう)できるようにするとしています。そのための具体的方策(ぐたいてきほうさく)の紹介(しょうかい)がありました。
 
●ノルウェーからの報告(ほうこく)
 ノルウェーでは、知的障害(ちてきしょうがい)の施設(しせつ)ケアは1990年(ねん)に終了(しゅうりょう)しており、その施設(しせつ)は今(いま)は博物館(はくぶつかん)になっているそうです。北(きた)ノルウェーに開設(かいせつ)された最初(さいしょ)で最大規模(さいだいきぼ)の施設(しせつ)Trastad Gardの入所体験者(にゅうしょたいけんしゃ)から、当時(とうじ)の施設処遇(しせつしょぐう)の実態(じったい)をインタビューして聴き(きき)、それをビデオに記録(きろく)したもの(2005年(ねん))が会場(かいじょう)で上映(じょうえい)されました。
 これはHARSTAD大学(だいがく)の企画(きかく)によるもので、今回(こんかい)は54年(ねん)〜90年(ねん)の間(あいだ)に入所(にゅうしょ)していた当事者(とうじしゃ)16名(めい)に具体的(ぐたいてき)な質問(しつもん)(入所(にゅうしょ)を決めた(きめた)のは誰(だれ)か、食事(しょくじ)・排泄(はいせつ)・外出(がいしゅつ)・就労(しゅうろう)・書簡(しょかん)・余暇(よか)・入所後(にゅうしょご)繰り返された(くりかえされた)入居寮(にゅうきょりょう)の移動(いどう)は誰(だれ)が決めて(きめて)いたかなど)をしてのインタビューが上映(じょうえい)されました。自由(じゆう)な選択(せんたく)・意思決定(いしけってい)が認め(みとめ)られず、いつも職員(しょくいん)の監視(かんし)の下(もと)にあって(トイレで用便中(ようべんちゅう)も誰(だれ)かに見られて(みられて)いたなど)、指示(しじ)に従わない(したがわない)と罰(ばつ)として部屋(へや)に閉じ込められたり(とじこめられたり)、凍結(とうけつ)した山道(やまみち)を歩かされ(あるかされ)たりと、自由(じゆう)の全く(まったく)ない生活(せいかつ)を強制(きょうせい)されていたとのこと、正に(まさに)非人道的(ひじんどうてき)な収容施設(しゅうようしせつ)であったことがリアルに伝わって(つたわって)きて、ショッキングでした。しかし、今(いま)では地域社会(ちいきしゃかい)の支援(しえん)を受け(うけ)ながら、自由(じゆう)に安心(あんしん)して町(まち)で暮して(くらして)いるとのことです。
 
●オーストラリアからの報告(ほうこく)
 30年間(ねんかん)の施設入所後(しせつにゅうしょご)、地域移行(ちいきいこう)して自分名義(じぶんめいぎ)でアパートを借り(かり)、町(まち)で生活(せいかつ)しているセルフ・アドボケートの意見発表(いけんはっぴょう)。
・地域(ちいき)のネットワークが生活(せいかつ)には大切(たいせつ)(友達(ともだち)を必要(ひつよう)としている。地域(ちいき)の文化的(ぶんかてき)イベントに参加(さんか)したのに、自治体(じちたい)の人(ひと)はそれを重視(じゅうし)していない、普通(ふつう)に社会参加(しゃかいさんか)ができていない)
・祉会資源(しゃかいしげん)も大切(たいせつ)
・特殊学校(とくしゅがっこう)ができて、これはインクルージョンではない
・単純(たんじゅん)に地域(ちいき)に戻す(もどす)のではダメ。ロマンチックな現実(げんじつ)を見る(みる)のでなく、実際(じっさい)には摩擦(まさつ)は起こす(おこす)ことがある、彼(かれ)らだけでサブカルチャーを作る(つくる)事(こと)だってあるから、知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)へのサービスを変えて(かえて)いくことで、他(ほか)の苦しむ(くるしむ)人(ひと)たちを助ける(たすける)ことができる。
 後半(こうはん)の質疑応答(しつぎおうとう)では、
 (1)日本(にほん)からの参加者(さんかしゃ):35年(ねん)施設入所(しせつにゅうしょ)して、5年前(ねんまえ)に地域移行(ちいきいこう)した。「施設(しせつ)はあった方(ほう)がいいか」と聞かれる(きかれる)が、地域(ちいき)で支援(しえん)があれば、どんな人(ひと)でもできるんだということを体験(たいけん)した。施設(しせつ)には戻りたく(もどりたく)ない。手(て)で触って(さわって)熱い(あつい)冷たい(つめたい)が分かる(わかる)ようであれば、十分(じゅうぶん)で、社会(しゃかい)の人(ひと)がどれだけ受け容れて(うけいれて)くれるかが鍵(かぎ)である。
 (2)中南米(ちゅうなんべい)からの参加者(さんかしゃ)からは、中南米(ちゅうなんべい)では5〜6人(にん)で地域(ちいき)に住む(すむ)ということは難しい(むずかしい)。社会的(しゃかいてき)サポートがまだ出来上がって(できあがって)いないからとのことであった。
 (3)当事者(とうじしゃ)からの異議申立て(いぎもうしたて):精神遅滞(せいしんちたい)という用語(ようご)は不愉快(ふゆかい)な用語(ようご)で、知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)と言って(いって)欲しい(ほしい)⇒ノルウェー助教授(じょきょうじゅ):すみません、これからは気を(きを)つけますと、謝罪(しゃざい)する場面(ばめん)あったのが印象的(いんしょうてき)。時代(じだい)の変遷(へんせん)を痛感(つうかん)。年配(ねんぱい)の研究者(けんきゅうしゃ)には健常者意識(けんじょうしゃいしき)が知らず(しらず)知らず(しらず)のうちに出て(でて)いるのだと感じ(かんじ)ました。
 このように発表後(はっぴょうご)の質疑応答(しつぎおうとう)でも、施設人所体験者(しせつにゅうしょたいけんしゃ)や国連(こくれん)のプロジェクト会議(かいぎ)にも参加(さんか)している当事者代表(とうじしゃだいひょう)の方(かた)などが積極的(せっきょくてき)に意見(いけん)を述べて(のべて)おられ、私(わたし)がよく参加(さんか)する施設職員(しせつしょくいん)の研究協議会(けんきゅうきょうぎかい)とは違う(ちがう)収穫(しゅうかく)を得(え)ました。


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