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3. 会議報告(かいぎほうこく):4)分科会報告(ぶんかかいほうこく)
11月(がつ)7日(か) プレ会議(かいぎ) 宗教(しゅうきょう)のはたす役割(やくわり)
共生(きょうせい)(インクルージョン)を進める(すすめる)ために、宗教団体(しゅうきょうだんたい)が果たす(はたす)役割(やくわり)!
東京都(とうきょうと)育成会(いくせいかい)ゆうあい会(かい) 楠 智文(くす ともふみ)
●まざまな信仰(しんこう)、宗教組織(しゅうきょうそしき)における共生(きょうせい)(インクルージョン)のビジョン
 中南米(ちゅうなんべい)やアメリカ・EUの話(はなし)を聞いて(きいて)、大切(たいせつ)なことは宗教団体(しゅうきょうだんたい)が何(なに)をすべきかよりも宗教団体(しゅうきょうだんたい)がともに何(なに)を担う(になう)べきかが、問われて(とわれて)いるものであります。
 この分科会(ぶんかかい)にはイングランド、パナマ、メキシコ、フィリピンなどからの参加(さんか)があり、イスラム教(きょう)、仏教(ぶっきょう)、ヒンズー教(きょう)の人(ひと)とどうやっていくのかも話題(わだい)になりました。パナマの脳性(のうせい)マヒの人(ひと)からの発言(はつげん)では、自分(じぶん)の意見(いけん)を言う(いう)と修道女(しゅうどうじょ)にいじめられたというのもありました。こうしたなかにも差別(さべつ)があるのです。
 
●神道(しんどう)・仏教(ぶっきょう)・キリスト教(きょう)・ユダヤ教(きょう)・ヒンズー教(きょう)・イスラム教徒(きょうと)の共生(きょうせい)
 宗教団体全体(しゅうきょうだんたいぜんたい)の課題(かだい)は、段差(だんさ)の少ない(すくない)神殿(しんでん)・寺院(じいん)・聖堂(せいどう)・教会堂(きょうかいどう)を増やし(ふやし)、車椅子(くるまいす)の人々(ひとびと)でも神社(じんじゃ)への参拝(さんぱい)やお寺(てら)への参詣(さんけい)と聖堂(せいどう)や教会堂(きょうかいどう)への礼拝(れいはい)や神殿(しんでん)へのお参り(まいり)、モスクでメッカヘのお祈り(いのり)ができるようにすることです。
 そのためには、車椅子(くるまいす)の人々(ひとびと)でも入れる(はいれる)トイレや車椅子専用(くるまいすせんよう)のエレベーターと車椅子専用(くるまいすせんよう)の階段(かいだん)の上り(のぼり)下り(くだり)専用(せんよう)リフトを設置(せっち)することや広い(ひろい)入り口(いりぐち)と段差(だんさ)のない床(ゆか)にすることです。
 このように、車椅子(くるまいす)や将来(しょうらい)の高齢者社会(こうれいしゃしゃかい)へ配慮(はいりょ)した、取り組み(とりくみ)を進める(すすめる)ことが共生(きょうせい)(インクルージョン)を進める(すすめる)ために宗教団体(しゅうきょうだんたい)が果たす(はたす)役割(やくわり)であり、実現(じつげん)することができると思う(おもう)ものであります。
 そして、これらを全て(すべて)実現(じつげん)に向け(むけ)解決(かいけつ)したときに初めて(はじめて)ここで、宗教団体(しゅうきょうだんたい)が共生(きょうせい)(インクルージョン)を進める(すすめる)ことができるのです。
 
ポスターを展示(てんじ)する舘森(たてもり)さん(中央(ちゅうおう))と楠(くす)さん(左(ひだり))。相談(そうだん)しながら、どのように展示(てんじ)するか考えて(かんがえて)くれました。
 
11月(がつ)7日(にち) プレ会議(かいぎ) 社会(しゃかい)へのインクルージョン促進(そくしん)における高等教育(こうとうきょういく)の役割(やくわり)
中等教育以降(ちゅとうきょういくいこう)のインクルーシヴな教育(きょういく)について
社会福祉法人(しゃかいふくしほうじん)さざんかの会(かい)
木下 剛(きのした つよし)
 
 この文章(ぶんしょう)は、中等教育以降(ちゅうとうきょういくいこう)の(この中等教育以降(ちゅうとうきょういくいこう)というのは高校卒業後(こうこうそつぎょうご)との意味(いみ)だそうです)インクルーシヴな(共生(きょうせい)、包括的(ほうかつてき)との事(こと)ですが、“だれもが当然(とうぜん)受け(うけ)られるべき”くらいの意味(いみ)だと思い(おもい)ます)教育(きょういく)(Inclusive Post-Secondary Education以下(いか)IPSEと略(りゃく)します)の可能性(かのうせい)についての分科会(ぶんかかい)の報告(ほうこく)です。3組(くみ)のパネラーが発言(はつげん)しそのうち1名(めい)は東京大学(とうきょうだいがく)の長瀬先生(ながせせんせい)によるものです(長瀬先生(ながせせんせい)のご報告(ほうこく)に関して(かんして)は、先生(せんせい)ご自身(じしん)の原稿(げんこう)にてご発表(はっぴょう)とのことですので割愛(かつあい)します)。後(あと)の2人(ふたり)ですが主に(おもに)カナダのアルバータ大学(だいがく)での取り組み(とりくみ)について書き(かき)たいと思い(おもい)ます。実(じつ)はその場(ば)ではわかった気(き)になってうんうん聞いた(きいた)のですが、書く(かく)にあたってうろ覚え(おぼえ)のところがあり、時(とき)には誤解(ごかい)している部分(ぶぶん)もあるかもしれませんが、ご了承(りょうしょう)下さい(ください)。
 カナダではアルバータ大学(だいがく)のほか12の大学(だいがく)でIPSEを20年前(ねんまえ)から導入(どうにゅう)しています。この制度(せいど)は、重度(じゅうど)の障害(しょうがい)(重度(じゅうど)という言葉(ことば)の定義(ていぎ)が各国(かっこく)で違って(ちがって)いるような気(き)がします。確か(たしか)にダウン症(しょう)の方(かた)や車椅子(くるまいす)の学生(がくせい)が活動(かつどう)している映像(えいぞう)が発表(はっぴょう)で流れた(ながれた)のですが、私(わたし)が実際(じっさい)接して(せっして)いる知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)の方々(かたがた)より意思(いし)の伝達(でんたつ)がずっと可能(かのう)な方(かた)だと思われ(おもわれ)ます。重度(じゅうど)とはいっても全て(すべて)の知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)というわけではないようです)を持った(もった)方々(かたがた)にも対応(たいおう)できるようになっているそうです。大学(だいがく)では、通常(つうじょう)の学生同様(がくせいどうよう)普通(ふつう)に授業(じゅぎょう)、試験(しけん)、実習等(じっしゅうとう)に参加(さんか)するのですが、学習(がくしゅう)する際(さい)に必要(ひつよう)に応じた(おうじた)対応(たいおう)・・・教授陣(きょうじゅじん)も分かり(わかり)やすい授業(じゅぎょう)を組み立てる(くみたてる)だけでなく、分かり(わかり)やすい教材(きょうざい)を使用(しよう)し、ピアの方(かた)もしくは卒業生(そつぎょうせい)がサポーターとして学習(がくしゅう)を助けて(たすけて)くれる・・・を採って(とって)います(実例(じつれい)の映像(えいぞう)では、個別(こべつ)に取り組んで(とりくんで)いるケースは先生(せんせい)と障害者(しょうがいしゃ)もしくはピアと障害者(しょうがいしゃ)というパターンでした。50人(にん)くらいのクラスは一般(いっぱん)の人(ひと)に障害者(しょうがいしゃ)が混じって(まじって)いるか、逆(ぎゃく)に上記(じょうき)のようなペアがほとんどなのかは分かり(わかり)ませんでした)。また割合(わりあい)が不明(ふめい)なのですが、一般(いっぱん)の授業(じゅぎょう)に出られる(でられる)人(ひと)もいれば、聴講生(ちょうこうせい)としてもしくは単位(たんい)の付かない(つかない)形(かたち)のみで参加(さんか)している人(ひと)たちも含まれて(ふくまれて)いるようです。多く(おおく)の方々(かたがた)が卒業後(そつぎょうご)就職(しゅうしょく)し、自分(じぶん)が学んだ(まなんだ)ことを活かして(いかして)いるそうです。その他(ほか)授業(じゅぎょう)だけでなく、クラブ・レクリエーション活動(かつどう)や社会参加(しゃかいさんか)を促して(うながして)いて、発表(はっぴょう)の中(なか)での映像(えいぞう)では、ピアの人(ひと)たちもしくは理解(りかい)あるスタッフの手伝い(てつだい)を受け(うけ)ながら、アイスホッケーやバスケットボールで選手(せんしゅ)として活躍(かつやく)する方(かた)、吹奏楽団(すいそうがくだん)に入り(はいり)鐘(かね)をたたいている方等(かたとう)の姿(すがた)が見られ(みられ)、仲間作り(なかまづくり)も含め(ふくめ)実(じつ)に生き生きと(いきいきと)活動(かつどう)を営んで(いとなんで)いました。
 もちろん日本(にほん)の大学(だいがく)との単純(たんじゅん)な比較等(ひかくとう)はできませんし、この大学(だいがく)のやり方(かた)を手放し(てばなし)で礼賛(らいさん)しているわけではありませんが、試験制度(しけんせいど)を含めて(ふくめて)学力(がくりょく)がないから門前払い(もんぜんばらい)というのとは異なり(ことなり)、希望者(きぼうしゃ)には門戸(もんこ)を広げて(ひろげて)あげる、また門戸(もんこ)を広げる(ひろげる)だけでなく理解(りかい)してもらえるような講義(こうぎ)を行う(おこなう)という姿勢(しせい)は評価(ひょうか)できると思い(おもい)ます。まさに特別支援教育(とくべつしえんきょういく)の大学版(だいがくばん)のようなもので、カナダの取り組み(とりくみ)は日本(にほん)の学校制度(がっこうせいど)にとって参考(さんこう)になると思われ(おもわれ)ます。また大学(だいがく)としての取り組み(とりくみ)としても、少子化(しょうしか)が進み(すすみ)定員割れ(ていいんわれ)などの問題(もんだい)を克服(こくふく)するため、社会人(しゃかいじん)だけでなく障害(しょうがい)を持った(もった)方々(かたがた)への門戸(もんこ)を広げて(ひろげて)いくことを視野(しや)に入れて(いれて)いくことは面白い(おもしろい)試み(こころみ)といえるでしょう。
 リバプール大学(だいがく)の取り組み(とりくみ)として印象(いんしょう)に残って(のこって)いることは、障害(しょうがい)を持った(もった)方々(かたがた)が講義(こうぎ)を行う(おこなう)ことがあるそうで、「障害者(しょうがいしゃ)について語れる(かたれる)のはわたしたち障害者(しょうがいしゃ)だ」という言葉(ことば)は大変説得力(たいへんせっとくりょく)がありました。今回(こんかい)の会議(かいぎ)でも日本(にほん)の本人代表(ほんにんだいひょう)が自分(じぶん)たちの取り組み(とりくみ)について立派(りっぱ)な発表(はっぴょう)をし、他(ほか)の国(くに)の方々(かたがた)からも賞賛(しょうさん)を浴びて(あびて)いました。日本(にほん)でもこのような本人(ほんにん)の発表(はっぴょう)の場(ば)は増えて(ふえて)いると思い(おもい)ますが、本人活動(ほんにんかつどう)の場(ば)を広げて(ひろげて)いく意味(いみ)も含め(ふくめ)様々(さまざま)な場(ば)でこのように発言(はつげん)していくことは非常(ひじょう)に大切(たいせつ)だと思い(おもい)ます(もっとも変(へん)な入れ知恵(いれぢえ)を入れられ(いれられ)極端(きょくたん)な活動(かつどう)になってしまうのは困り(こまり)ますが)。
 最後(さいご)に今回(こんかい)の大会(たいかい)への参加(さんか)を通して(とおして)感じた(かんじた)ことですが、いろいろな原因(げんいん)はあるでしょうが、特に(とくに)日本(にほん)は制度等(せいどとう)が整い(ととのい)すぎていてかえって自由(じゆう)な発想(はっそう)ができなくなり自分(じぶん)たちで可能性(かのうせい)を縛って(しばって)しまっているのではないか、その閉塞性(へいそくせい)のようなものを強く(つよく)感じ(かんじ)ました。もちろん私(わたし)が見た(みた)のはほんの氷山(ひょうざん)の一角(いっかく)で貧困問題等(ひんこんもんだいとう)苦しんで(くるしんで)いる人(ひと)たちは多い(おおい)はずですが、本大会(ほんたいかい)に参加(さんか)したメキシコのご家族(かぞく)の方々(かたがた)は(もちろん国民性(こくみんせい)もあるでしょうが)ホームヘルプのような制度(せいど)はない中(なか)でも、実に(じつに)にたくましく地域(ちいき)で支え(ささえ)あいながら幸せ(しあわせ)そうに暮らして(くらして)います。そのようなことを考える(かんがえる)と、例えば(たとえば)自立支援法(じりつしえんほう)で助成金(じょせいきん)が減った(へった)としても別(べつ)の可能性(かのうせい)がいっぱいありえるのではないでしょうか。私(わたし)にとってはそのような自由(じゆう)な発想(はっそう)を考えて(かんがえて)いく機会(きかい)とやる気(き)を与えて(あたえて)くれる大会(たいかい)でした。
 
11月(がつ)8日(にち) 第(だい)8分科会(ぶんかかい) セルフ・アドボケート支援(しえん)の実践的戦略(じっせんてきせんりゃく)
インクルーシヴな地域(ちいき)の構築(こうちく)
堺市(さかいし)障害者(しょうがいしゃ)更生相談所(こうせいそうだんじょ) 森 繁樹(もり しげき)
 
 地域社会(ちいきしゃかい)で生活(せいかつ)する中(なか)でどのような資源(しげん)があればより豊か(ゆたか)な生活(せいかつ)を送る(おくる)事(こと)ができるのかについて、メキシコやスウェーデン、ニュージランド、イギリスと4カ国(かこく)の発表(はっぴょう)がありました。報告(ほうこく)では自分(じぶん)の意見(いけん)を書く(かく)のはおかしい事(こと)なのでしょうが、あっちこっちにはいっていることをお断(ことわり)りしておきます。最初(さいしょ)にイギリスの発表(はっぴょう)について報告(ほうこく)したいと思(おも)います。
 本人(ほんにん)が自分(じぶん)の気持ち(きもち)も含めて(ふくめて)今(いま)の状況(じょうきょう)や環境等(かんきょうとう)をできるだけ正確(せいかく)に知り(しり)、その中(なか)でどのように行動(こうどう)する事(こと)がいいのか、どのように行動(こうどう)する事(こと)が良かった(よかった)のかをしっかりと理解(りかい)する事(こと)が地域(ちいき)で生活(せいかつ)するには大切(たいせつ)です。しかし、経験(けいけん)した色々(いろいろ)な出来事(できごと)に対する(たいする)気持ち(きもち)や思い(おもい)を自分以外(じぶんいがい)の人(ひと)に事前(じぜん)、事後(じご)を問わず(とわず)うまく説明(せつめい)する事(こと)は難しい(むずかしい)ところです。またその思い(おもい)がとても深く(ふかく)重く(おもく)、どうすればいいのかが分からない(わからない)場合(ばあい)には、生活(せいかつ)にも強い(つよい)影響(えいきょう)が出て(でて)きます。自分(じぶん)の思い(おもい)をうまく伝え(つたえ)られなかったり、なぜ自分(じぶん)が思って(おもって)いる通り(とおり)に事(こと)が進まない(すすまない)のかという、もどかしさから自分(じぶん)がそれに対して(たいして)どう対応(たいおう)したらいいのか分からない(わからない)時(とき)には問題(もんだい)はさらに深刻(しんこく)なものになってきます。例えば(たとえば)、公園(こうえん)でいろんな人(ひと)たちと仲良く(なかよく)したいのにみんなに怒られた(おこられた)。なぜだろう。私(わたし)は仲良く(なかよく)したいだけなのに。
 父(ちち)や母(はは)が亡くなった(なくなった)悲しみ(かなしみ)、癌(がん)になったとしたら、などなどです。その気持ち(きもち)をうまく説明(せつめい)するには言葉(ことば)よりは、絵(え)で伝える(つたえる)メッセージの方(ほう)が解り(わかり)やすいのではないでしょうか。
 大切(たいせつ)な事(こと)は伝えたい(つたえたい)事(こと)が正確(せいかく)に伝わる(つたわる)かという事(こと)です。育成会(いくせいかい)が発行(はっこう)しているなかにも写真(しゃしん)だけの料理本(りょうりぼん)やイラストを多く(おおく)使った(つかった)ものもあります。しかし、ストーリーのあるものになるとどうしても枚数(まいすう)が多く(おおく)なってしまいます。それはもう1冊(さつ)の本(ほん)です。イラストも何十枚(なんじゅうまい)にもなりますが、イギリスではそのイラストについて多く(おおく)の当事者(とうじしゃ)にチェックしてもらっています。多く(おおく)の当事者(とうじしゃ)がチェックする事(こと)で伝えたい(つたえたい)内容(ないよう)がきちんと伝わって(つたわって)いるのかがわかります。当然(とうぜん)分かり(わかり)にくいという事(こと)になれば書き直し(かきなおし)は当たり前(あたりまえ)です。場合(ばあい)によっては何十回(なんじゅっかい)も書き直し(かきなおし)をする事(こと)もあるそうです。インクルーシヴな地域社会(ちいきしゃかい)を作る(つくる)には、地域(ちいき)で理解(りかい)してもらう事(こと)も大切(たいせつ)ですが、社会(しゃかい)の中(なか)で生活(せいかつ)するには何(なに)が大切(たいせつ)かを頭(あたま)ごなしに覚え(おぼえ)させようとするのではなくて本人(ほんにん)が理解(りかい)する事(こと)が大切(たいせつ)で、理解(りかい)するためには何(なに)をしなければならないかを考える(かんがえる)事(こと)だと思い(おもい)ました。どんな内容(ないよう)の本(ほん)があるのかはインターネットで30数種類(すうしゅるい)の表紙(ひょうし)を見る(みる)ことができます。2種類(しゅるい)はすべて見る(みる)事(こと)ができるので是非(ぜひ)覗いて(のぞいて)みて下さい(ください)。アドレスはこちらです。
 ノルウェーではNPOのアドボカシー団体(だんたい)が支援者(しえんしゃ)についてくれます。その目的(もくてき)はセルフ・アドボケート、自分(じぶん)でしっかりと自分(じぶん)を守る(まもる)ことができるようになることです。本人(ほんにん)にしっかりと寄り添った(よりそった)支援(しえん)でなければ実現(じつげん)できないのではと思い(おもい)ます。日本(にほん)では相談支援(そうだんしえん)を行って(おこなって)いる人(ひと)は果たして(はたして)一人(ひとり)で何人(なんにん)を支援(しえん)しているのでしょうか?その援助者(えんじょしゃ)に対して(たいして)の費用(ひよう)は誰(だれ)が負担(ふたん)しているのでしょうか?
 地域(ちいき)で生活(せいかつ)をするという事(こと)は色々(いろいろ)な場面(ばめん)に出会う(であう)という事(こと)です。時(とき)には失敗(しっぱい)する時(とき)もあります。その時(とき)に適切(てきせつ)な助言(じょげん)や援助(えんじょ)ができるという体勢(たいせい)を作って(つくって)おく必要(ひつよう)があります。援助者(えんじょしゃ)も個人(こじん)ではなくチームであたるべきです。地域生活(ちいきせいかつ)をより豊か(ゆたか)にするにはまず、本人(ほんにん)に対する(たいする)権利(けんり)とそれを保証(ほしょう)する財政的(ざいせいてき)な援助(えんじょ)がないとできない事(こと)だと思い(おもい)ました。
 メキシコにも32州(しゅう)、162団体(だんたい)が加入(かにゅう)している大きな(おおきな)団体(だんたい)があります。入所施設利用者(にゅうしょしせつりようしゃ)でも本人(ほんにん)が希望(きぼう)すれば地域社会(ちいきしゃかい)への移行(いこう)に向けて(むけて)支援者(しえんしゃ)がつきます。地域生活(ちいきせいかつ)を送ろう(おくろう)とする人(ひと)の中(なか)にはまだ施設入所(しせつにゅしょ)している人(ひと)も多く(おおく)います。地域生活(ちいきせいかつ)に移行(いこう)しようとする時(とき)に出た(でた)後(あと)の自分(じぶん)の生活(せいかつ)を実感(じっかん)したり、予測(よそく)できないと地域(ちいき)に出よう(でよう)とはしないものです。
 そのためには入所中(にゅうしょちゅう)からしっかりと相談(そうだん)できる団体(だんたい)があり、どこの地域(ちいき)に住む(すむ)事(こと)になっても同じ(おなじ)支援(しえん)ができるように、多く(おおく)の団体(だんたい)が加入(かにゅう)しているという事(こと)はとても安心(あんしん)です。
 日本(にほん)でも施設(しせつ)から地域(ちいき)へと言われて(いわれて)いますが、施設(しせつ)から出る(でる)事(こと)が目的(もくてき)ではなく、地域(ちいき)で本人(ほんにん)が望む(のぞむ)生活(せいかつ)を送る(おくる)事(こと)が大切(たいせつ)で、自分(じぶん)が暮らし(くらし)たい場所(ばしょ)はどこなのかという、より基本的(きほんてき)な問題(もんだい)から考える(かんがえる)必要(ひつよう)があるのではないでしょうか。どの地域(ちいき)で住む(すむ)のかは、決して(けっして)援助者(えんじょしゃ)や支援者(しえんしゃ)が決める(きめる)事(こと)ではないと思い(おもい)ます。その時(とき)に十分(じゅうぶん)な情報提供(じょうほうていきょう)を本人(ほんにん)に対して(たいして)行う(おこなう)事(こと)は当たり前(あたりまえ)の事(こと)ですが。
 地域(ちいき)で生活(せいかつ)するとはどういう事(こと)かを改めて(あらためて)考え(かんがえ)させられた分科会(ぶんかかい)でした。


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