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3. 会議報告(かいぎほうこく):3)全体会報告(ぜんたいかいほうこく)
開会式(かいかいしき)
堺市(さかいし)障害者更正相談所(しょうがいしゃこうせいそうだんしょ) 森 繁樹(もり しげき)
 
 メキシコ、アカプルコの世界大会(せかいたいかい)に参加(さんか)しようと決めた(きめた)のが遅く(おそく)、育成会(いくせいかい)主催(しゅさい)のツアー募集(ぼしゅう)が締め切られた(しめきられた)後(あと)でした。それでも快く(こころよく)参加(さんか)を受け付けて(うけつけて)頂き(いただき)、感謝(かんしゃ)しています。
 今回(こんかい)の大会(たいかい)の会議場(かいぎじょう)で、また宿泊施設(しゅくはくしせつ)のアカプルコのホテルに着いて(ついて)まず驚いた(おどろいた)のはその警備(けいび)の厳重(げんじゅう)さでした。ホテルに入る(はいる)のに空港(くうこう)と同じ(おなじ)様(よう)な身体検査(しんたいけんさ)が行われて(おこなわれて)います。その後(あと)の参加登録(さんかとうろく)の受付等(うけつけとう)は列(れつ)も適当(てきとう)でその違い(ちがい)にはびっくりです。翌日(よくじつ)の会議場(かいぎじょう)に入る(はいる)際(さい)にも会議場前(かいぎじょうまえ)で昨日以上(さくじついじょう)に厳重(げんじゅう)な身体検査(しんたいけんさ)です。毎日(まいにち)こんな事(こと)をされるとはさすがに世界大会(せかいたいかい)は違う(ちがう)なぁと思い(おもい)ながら、メルボルンではなかったよなぁと疑問(ぎもん)もありました。
 会議(かいぎ)が始まる(はじまる)少し前(すこしまえ)にインクルージョン・ヨーロッパで使って(つかって)いる、ハガキより少し(すこし)小さめ(ちいさめ)の緑(みどり)、黄色(きいろ)、赤(あか)のプラスチックがそれぞれ一枚(いちまい)ずつ配られ(くばられ)ました。その利用(りよう)の仕方(しかた)についての説明(せつめい)がありましたが、インクルージョン・ヨーロッパが行なう(おこなう)あらゆる会議(かいぎ)や、講演(こうえん)の場所(ばしょ)でこのカードが利用(りよう)されているという事(こと)です。参加者全員(さんかしゃぜんいん)がこれら3枚(まい)のカードを持って(もって)います。発表者(はっぴょうしゃ)は今(いま)自分(じぶん)の話して(はなして)いる内容(ないよう)について会場(かいじょう)の参加者(さんかしゃ)が理解(りかい)してくれているのかという不安(ふあん)があります。赤(あか)いカードは発表者(はっぴょうしゃ)の言って(いって)いる事(こと)が理解(りかい)できないという時(とき)に出し(だし)ます。「単語(たんご)がわからない。内容(ないよう)が理解(りかい)できない。解り(わかり)やすい言葉(ことば)に直して(なおして)よ!」などでしょうか。それを見た(みた)発表者(はっぴょうしゃ)は1、2分(ふん)の間(あいだ)、発表(はっぴょう)を止め(やめ)ます。それによって発表者(はっぴょうしゃ)も発表内容(はっぴょうないよう)を改めて(あらためて)整理(せいり)する時間(じかん)が与え(あたえ)られます。
 黄色(きいろ)いカードはどうでしょうか?このカードは発表者(はっぴょうしゃ)のスピードが早い(はやい)時(とき)に使われ(つかわれ)ます。「早口(はやくち)で言って(いって)いる内容(ないよう)に追い(おい)つけない。もう少し(すこし)ゆっくり話(はなし)してよ!」それを見た(みた)発表者(はっぴょうしゃ)は話す(はなす)速度(そくど)が落ち(おち)ます。参加者(さんかしゃ)は発表(はっぴょう)の内容(ないよう)を理解(りかい)する時間(じかん)ができるのです。
 それでは青(あお)いカードは何(なに)のためにあるのでしょうか。「そのままでいいよ。続けて(つづけて)下さい(ください)」という意思表示(いしひょうじ)です。
 その後(ご)各分科会(かくぶんかかい)ではそれらのカードが実際(じっさい)によく利用(りよう)されているのを目(め)にしました。発表者(はっぴょうしゃ)が早口(はやくち)で通訳者(つうやくしゃ)の通訳(つうやく)がついていけないだけではなく、母国語(ぼこくご)でも早すぎて(はやすぎて)理解(りかい)できないような時(とき)には、当然(とうぜん)のように会場全体(かいじょうぜんたい)から黄色(きいろ)いカードが出され(だされ)ます。確かに(たしかに)しばらくはゆっくりしたペースになるのですが、すぐにまた早く(はやく)なってしまうとまた黄色(きいろ)いカードがだされます。中(なか)には赤(あか)いカードを出して(だして)いる人(ひと)もいました。
 当然(とうぜん)参加者(さんかしゃ)の中(なか)からは青(あお)や、黄色(きいろ)や赤(あか)が混じる(まじる)事(こと)もよくあります。それは仕方がない(しかたがない)事(こと)だと思い(おもい)ますが、全員(ぜんいん)に解って(わかって)もらうように努力(どりょく)する心構え(こころがまえ)は必要(ひつよう)でしょうし、なかなか自分(じぶん)の意見(いけん)を発表(はっぴょう)しにくい人(ひと)でもカードを出す(だす)のであれば抵抗(ていこう)が少ない(すくない)のではないでしょうか。私見(しけん)ですが自分(じぶん)の意見(いけん)をみんなが聞いて(きいて)くれるというささやかな経験(けいけん)が今後(こんご)の自己選択(じこせんたく)や自己決定(じこけってい)においての自信(じしん)につながるのではないかと思い(おもい)、これからの会議運用(かいぎうんよう)を始め(はじめ)これは使える(つかえる)なぁと感心(かんしん)しきりでした。
 プレ会議(かいぎ)では最初(さいしょ)から世界各国(せかいかっこく)の当事者(とうじしゃ)による意見発表(いけんはっぴょう)がありました。その中(なか)には「家族(かぞく)の運動(うんどう)の将来(しょうらい)と兄弟姉妹(きょうだいしまい)の役割(やくわり)」についての発表(はっぴょう)もありました。発表者(はっぴょうしゃ)はザンビアの人(ひと)でしたが、ザンビアでは大家族(だいかぞく)で生活(せいかつ)しており両親(りょうしん)、兄弟(きょうだい)、叔父(おじ)、叔母(おば)までも含む(ふくむ)事(こと)から家族(かぞく)の役割(やくわり)も当然(とうぜん)日本(にほん)とは変わって(かわって)きます。
 意見発表(いけんはっぴょう)が終わった(おわった)後(あと)で、なぜそれほどまでに警戒(けいかい)が厳重(げんじゅう)であったのかが解り(わかり)ました。
 開会式(かいかいしき)にメキシコ大統領夫妻(だいとうりょうふさい)とパナマ大統領夫妻(だいとうりょうふさい)がこられたからでした。メキシコ大統領(だいとうりょう)の挨拶(あいさつ)は障害者(しょうがいしゃ)、女性(じょせい)、先住民等(せんじゅうみんとう)のあらゆる差別(さべつ)を撤廃(てっぱい)する措置(そち)をとった事(こと)にとどまらず、移動(いどう)や、就労(しゅうろう)、学校(がっこう)に行く(いく)ため、学ぶ(まなぶ)ためなど色々(いろいろ)な偏見(へんけん)と戦う(たたかう)努力(どりょく)をすることで平等(びょうどう)な世界(せかい)を作って(つくって)いこうという内容(ないよう)でした。
 まだまだ排除(はいじょ)はあり無くなった(なくなった)わけではないが、排除(はいじょ)をなくしていこうと努力(どりょく)しなくてはいつまでたっても無くなる(なくなる)わけではないし、嘆いて(なげいて)いるだけでは何も(なにも)進まない(すすまない)という事(こと)です。
 メキシコ大統領(だいとうりょう)一行(いっこう)が出て(でて)行く(いく)際(さい)には会場(かいじょう)はすごい熱気(ねっき)で、カメラや握手攻め(あくしゅぜめ)でした。私事(わたくしごと)ですが、私(わたし)も近く(ちかく)で見よう(みよう)と通路(つうろ)の側(がわ)に立ち(たち)、目の前(めのまえ)を通り過ぎて(とおりすぎて)いく大統領(だいとうりょう)一行(いっこう)を見て(みて)いました。その時(とき)に隣(となり)にいたメキシコ人(じん)の女性(じょせい)が「日本(にほん)からも来て(きて)いるよ。」と大統領(だいとうりょう)に大声(おおごえ)で声(こえ)をかけてくれたから、わざわざ戻って(もどって)来て(きて)くれ、握手(あくしゅ)することができました。たまたま隣(となり)に座って(すわって)、片言(かたこと)の話(はなし)をしただけなのにその心遣い(こころづかい)を本当(ほんとう)に嬉しく(うれしく)思い(おもい)ました。そして大統領(だいとうりょう)だけでなく大統領夫人(だいとうりょうふじん)やパナマ大統領夫妻(だいとうりょうふさい)とも握手(あくしゅ)するという、素晴らしい(すばらしい)体験(たいけん)ができた開会式(かいかいしき)でした。
初めて(はじめて)国際育成会連盟(こくさいいくせいかいれんめい)世界大会(せかいたいかい)に参加(さんか)して
パナマ大統領夫人(だいとうりょうふじん)の講演(こうえん)から考えた(かんがえた)こと
社会福祉法人(しゃかいふくしほうじん) 麦の子会(むぎのこかい) 古家好恵(ふるやよしえ)
 
 11月(がつ)に行われた(おこなわれた)第(だい)14回(かい)世界会議(せかいかいぎ)メキシコ大会(たいかい)に三塚勇太(みつづかゆうた)さんと共(とも)に参加(さんか)しました。
 三塚(みつづか)さんは知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)通所更正施設(つうしょこうせいしせつ)ジャンプレッツに通所(つうしょ)していましたが、2年前(ねんまえ)からジャンプレッツの就労支援(しゅうろうしえん)の店(みせ)のスワンカフェ&ベーカリーでパートで働き(はたらき)、同じ(おなじ)社会福祉法人(しゃかいふくしほうじん)麦の子会(むぎのこかい)の知的障害児(ちてきしょうがいじ)通所施設(つうしょしせつ)むぎのこで用務(ようむ)の仕事(しごと)やホームヘルパーとして障害児(しょうがいじ)の入浴(にゅうよく)などの介助(かいじょ)をしています。4年前(ねんまえ)オーストリア・メルボルンでの第(だい)13回(かい)大会(たいかい)に参加(さんか)した北川(きたがわ)総合施設長(そうごうしせつちょう)から本人参加(ほんにんさんか)として三塚(みつづか)さんに声(こえ)がかかり彼(かれ)は真面目(まじめ)に働いて(はたらいて)貯金(ちょきん)をして参加(さんか)しました。三塚(みつづか)さんは3年前(ねんまえ)にお母さん(かあさん)を亡くし(なくし)ました。弟(おとうと)は同じ(おなじ)法人(ほうじん)のグループホームを利用(りよう)して日中(にっちゅう)はジャンプレッツで過ごして(すごして)います。そして妹(いもうと)は総合施設長(そうごうしせつちょう)の里子(さとご)になり、むぎのこデイサービスを利用(りよう)しています。2人(ふたり)の弟妹(きょうだい)の兄(あに)としても明るく(あかるく)頑張って(がんばって)いる三塚(みつづか)さんです。そして、花崎(はなざき)さんのご尽力(じんりょく)により三塚(みつづか)さんのパネル写真(しゃしん)を会場(かいじょう)に展示(てんじ)させていただきました。わたしははじめての参加(さんか)で、本人(ほんにん)の方々(かたがた)が積極的(せっきょくてき)に参加(さんか)していることに感動(かんどう)しました。又(また)今回(こんかい)の参加(さんか)を通して(とおして)、国際育成会連盟(こくさいいくせいかいれんめい)が、国連(こくれん)が認める(みとめる)障害分野(しょうがいぶんや)の最大(さいだい)のNGO(非政府組織(ひせいふそしき))と知り(しり)ました。8日(か)の初め(はじめ)のプログラムは親(おや)であり、今大会(こんたいかい)の名誉会長(めいよかいちょう)でもあるパナマ大統領夫人(だいとうりょうふじん)の基調講演(きちょうこうえん)『貧困(ひんこん)、排除(はいじょ)、平和(へいわ)』でした。要旨(ようし)をまとめますと次(つぎ)のようなことだと思い(おもい)ます。【この世の中(よのなか)で、技術的(ぎじゅつてき)な革新(かくしん)がある中(なか)で、何(なに)も解決(かいけつ)されていないのが、貧困(ひんこん)です。少数(しょうすう)の人(ひと)があまりある贅沢(ぜいたく)にいて多く(おおく)の人(ひと)が極貧(ごくひん)にいます。政府(せいふ)は、貧困(ひんこん)の為(ため)の計画(けいかく)を立て(たて)ましたが、目の前(めのまえ)の貧困(ひんこん)と戦う(たたかう)ばかりで構造的問題(こうぞうてきもんだい)に充分(じゅうぶん)に迫る(せまる)ことが出来(でき)ませんでした。貧困(ひんこん)は排除(はいじょ)の結果(けっか)です。家庭(かてい)の中(なか)にも排除(はいじょ)(エクスクルージョン)があります。排除(はいじょ)は家庭(かてい)の中(なか)にある、障害(しょうがい)のある子(こ)どもを家族(かぞく)が排除(はいじょ)してしまう、だから家庭(かてい)の中(なか)からインクルージョンしていかなければなりません。(親(おや)としての言葉(ことば)の重み(おもみ)を感じ(かんじ)ました。)それから、取り組み(とりくみ)が報告(ほうこく)されました。障害者(しょうがいしゃ)は、社会的(しゃかいてき)に貧困(ひんこん)におかれている。障害者(しょうがいしゃ)の方(かた)に支援(しえん)することを全て(すべて)の政府機関(せいふきかん)に義務付け(ぎむづけ)ます。全面的(ぜんめんてき)に法規(ほうき)にのっとって障害者(しょうがいしゃ)の権利(けんり)を保障(ほしょう)します。プライマリーケアの提供(ていきょう)をします。政府機関(せいふきかん)から障害者(しょうがいしゃ)に対する(たいする)総合的(そうごうてき)なケアを通じて(つうじて)、社会(しゃかい)のあらゆる面(めん)で便宜(べんぎ)を図る(はかる)ことを推進(すいしん)してきました。障害者(しょうがいしゃ)に対する(たいする)偏見(へんけん)、悪い(わるい)イメージを取り除いて(とりのぞいて)いきます。かわいそうという慈善的(じぜんてき)な施し(ほどこし)の態度(たいど)を拒否(きょひ)して、自分(じぶん)たちの権利(けんり)を獲得(かくとく)して推進(すいしん)します。役人(やくにん)の偏見(へんけん)や官僚的機構(かんりょうてききこう)に抵抗(ていこう)し、何十年(なんじゅうねん)も続いた(つづいた)偏見(へんけん)を取り除く(とりのぞく)ためには公務員(こうむいん)の教育(きょういく)が必要(ひつよう)です。】以上(いじょう)の報告(ほうこく)を聞いて(きいて)、家族(かぞく)の中(なか)にエクスクルージョンがあるとの親(おや)としての発言(はつげん)に胸(むね)が熱く(あつく)なりました。わたしは社会福祉法人(しゃかいふくしほうじん)麦の子会(むぎのこかい)の統括部長(とうかつぶちょう)をしています。知的障害児(ちてきしょうがいじ)の家族支援(かぞくしえん)を行って(おこなって)います。帰国(きこく)してから、家族(かぞく)のかたを見る目(みるめ)が柔らかく(やわらかく)なってきたと思い(おもい)ます。それは、日本(にほん)から一緒(いっしょ)に大会(たいかい)に参加(さんか)されたご家族(かぞく)の方(かた)がいらっしゃって、真剣(しんけん)に向き合って(むきあって)いる方々(かたがた)とご一緒(いっしょ)させていただいたことによると思い(おもい)ます。パナマのこれからに期待(きたい)すると共に(ともに)国連(こくれん)への発言力(はつげんりょく)を持つ(もつ)ことの大切さ(たいせつさ)を感じ(かんじ)ました。そして今後(こんご)障害者(しょうがいしゃ)の権利(けんり)を守る(まもる)ことに目(め)を向け(むけ)なければならないと思い(おもい)ました。日本(にほん)からご一緒(いっしょ)させていただいた皆様(みなさま)本当(ほんとう)にお世話(せわ)になりました。藤原理事長(ふじわらりじちょう)を初め(はじめ)、事務局(じむきょく)の皆様(みなさま)お世話(せわ)になりました。ありがとうございました。特(とく)に札幌(さっぽろ)からご一緒(いっしょ)してお世話(せわ)下さった(くださった)皆様(みなさま)本当(ほんとう)にありがとうございました。
 
メキシコとの交流会(こうりゅうかい)にて
自己紹介(じこしょうかい)カードを持つ(もつ)三塚(みつづか)さんとメキシコ在住(ざいじゅう)で通訳(つうやく)を手伝って(てつだって)くれた古家(ふるや)さんの娘(むすめ)さん(左(ひだり)から4人目(にんめ))


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