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3. 会議報告(かいぎほうこく):1)現地(げんち)における大会速報(たいかいそくほう)
★★★メキシコ大会会議短信(たいかいかいぎたんしん)(第(だい)1報(ぽう))11月(がつ)7日(か) プレ会議(かいぎ)★★★
家族(かぞく)と本人(ほんにん)の力(ちから)を重視(じゅうし)しよう
 11月(がつ)7日(か)、会議(かいぎ)に先立つ(さきだつ)「プレ会議(かいぎ)」が盛大(せいだい)に開かれ(ひらかれ)ました。今回(こんかい)の会議(かいぎ)には、57カ国(こく)から1400名(めい)が参加(さんか)しています。午前中(ごぜんちゅう)いっぱい、この会議(かいぎ)の課題(かだい)「なぜ私(わたし)たちはここに集まった(あつまった)のか?」が関係各国(かんけいかっこく)の本人(ほんにん)と親(おや)、そして政治家(せいじか)から報告(ほうこく)され、その力強さ(ちからづよさ)はまさに圧巻(あっかん)でした。すばらしい報告(ほうこく)の一部(いちぶ)をお届け(とどけ)します。
 
●3枚(まい)のアクセシブルカードを使おう(つかおう)!
(ヨーロッパ親(おや)の会(かい))
 長い(ながい)こと、我々(われわれ)は、知的障害(ちてきしょうがいしゃ)の人(ひと)の声(こえ)を聞いて(きいて)もらうように働き(はたらき)かけてきました。
 親(おや)の会(かい)自身(じしん)が実行(じっこう)しようとするとき、それは、いままでと違う(ちがう)努力(どりょく)が必要(ひつよう)であった。会議(かいぎ)のモットーは、ゆっくりと、短い(みじかい)言葉(ことば)で話す(はなす)レッスンが必要(ひつよう)なのです。それを、私(わたし)たちの会議(かいぎ)で実践(じっせん)してきました。
 アクセシブルカードとよぶ3枚(まい)のカードを参加者(さんかしゃ)に配って(くばって)おきます。
■赤(あか)いカード=話す(はなす)人(ひと)が、難しい(むずかしい)言葉(ことば)を使った(つかった)時(とき)に出し(だし)ます。赤(あか)いカードを出され(だされ)たら話す(はなす)人(ひと)は、より優しい(やさしい)言葉(ことば)を探し(さがし)たり、本人(ほんにん)が支援者(しえんしゃ)から説明(せつめい)する時間(じかん)を持て(もて)るように、発言(はつげん)を少し(すこし)の間(あいだ)控え(ひかえ)るようにします。
■黄色(きいろ)いカード=早口(はやくち)でついていけないときに出し(だし)ます。話す(はなす)人(ひと)はスピードを落とし(おとし)て話す(はなす)ことになります。
■緑(みどり)のカード=その話(はなし)に同意(どうい)できる、よく理解(りかい)できるときに出し(だし)ます。緑(みどり)のカードを出され(だされ)たら、話す(はなす)人(ひと)はうれしいですし、ほかの人(ひと)が見習う(みならう)ことができます。
 つまり、このカードは、話す(はなす)人(ひと)を助ける(たすける)カードなのです。そして、同時(どうじ)に会議(かいぎ)に参加(さんか)しているひとりひとりの人(ひと)を助ける(たすける)のです。
 
●家族(かぞく)は社会参加(しゃかいさんか)を助けて(たすけて)くれた
クインシー・ムィア(本人(ほんにん)、ザンビア)
 おはようございます。ザンビアから来ました(きました)。私(わたし)は、家族(かぞく)とコミュニティでくらしています。家族(かぞく)の役割(やくわり)を話し(はなし)ます。家族(かぞく)とは何(なに)でしょうか?アフリカでは家族(かぞく)とは、両親(りょうしん)、子ども(こども)以外(いがい)に、おじ、おいも家族(かぞく)です。私(わたし)は、その家族(かぞく)のさまざまな人(ひと)からサポートを得て(えて)います。それは私(わたし)の社会参加(しゃかいさんか)のサポートであり、私(わたし)がコミュニティで何(なに)ができるかを、考え(かんがえ)てくれるものです。自分(じぶん)が働け(はたらけ)るのは、家族(かぞく)が私(わたし)にできる仕事(しごと)を見つけ(みつけ)てきてくれたからです。私(わたし)がほかの人(ひと)たちと交流(こうりゅう)するためには、家族(かぞく)が必要(ひつよう)です。私(わたし)が生まれ(うまれ)たとき、一番最初(いちばんさいしょ)に両親(りょうしん)が私(わたし)を受け止め(うけとめ)てくれました。家族(かぞく)・コミュニティが私(わたし)たちを私(わたし)たちのままで受け止め(うけとめ)てくれる必要(ひつよう)があります。ここにいるのは、そのおかげです。ザンビア政府(せいふ)の仕事(しごと)も、兄弟(きょうだい)の紹介(しょうかい)のおかげです。レストランの仕事(しごと)、掃除(そうじ)の仕事(しごと)も家族(かぞく)の紹介(しょうかい)とサポートですることができました。
 ザンビアは、貧困(ひんこん)が深刻(しんこく)な国(くに)です。5人(にん)の子(こ)のうち2人(ふたり)しか学校(がっこう)にいけない家族(かぞく)があたりまえです。障害児(しょうがいじ)がいる場合(ばあい)、親(おや)の手(て)は足りなく(たりなく)なります。エイズの問題(もんだい)もあります。家族(かぞく)が病気(びょうき)になり、両親(りょうしん)が育児(いくじ)ができなくなることもあります。貧困(ひんこん)は、健康(けんこう)や教育(きょういく)など重要(じゅうよう)な事柄(ことがら)でさまざまな問題(もんだい)を生む(うむ)素(もと)になります。
 
●フェアな教育(きょういく)を!
ディンカ・ペドロ(本人(ほんにん)、クロアチア)
 すべての人(ひと)に教育権(きょういくけん)があるが、知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)は、無視(むし)されやすいのです。
 しかし、それはフェアではありません。
 私(わたし)たちもほかの人(ひと)と同じ(おなじ)ように学校(がっこう)にいきたいのです。
 特殊学校(とくしゅがっこう)は閉鎖(へいさ)されるべきです。
 すべての人(ひと)が一般(いっぱん)の学校(がっこう)にいくべきです。
 学校(がっこう)はすべての人(ひと)に重要(じゅうよう)です。
 読み書き(よみかき)ができるようになって、人は仕事(しごと)につけるからです。
 大人(おとな)にも学校(がっこう)が必要(ひつよう)です。子ども(こども)のときいけなかった人(ひと)もいるからです。
 先生(せんせい)は重要(じゅうよう)な存在(そんざい)です。
 先生(せんせい)にはすべての子ども(こども)をうけいれてほしいのです。
 
●暴力(ぼうりょく)からの自由(じゆう)について
ロバート・マーティン(本人(ほんにん)、ニュージーランド)
 多く(おおく)の人(ひと)が「すばらしい所(ところ)」といわれて施設(しせつ)に入って(はいって)いるが、実際(じっさい)はそうではありません。
 家(いえ)にいても、家族(かぞく)から暴力(ぼうりょく)を受けて(うけて)いる人(ひと)もいます。
 社会(しゃかい)にでれば、偏見(へんけん)という暴力(ぼうりょく)にも出会い(であい)ます。
 知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)には、発言(はつげん)ができないゆえの弱さ(よわさ)があります。
 さらに、知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)を虐待(ぎゃくたい)してもかまわないという考え(かんがえ)もあります。
 支配(しはい)できると思って(おもって)いる人(ひと)からの暴力(ぼうりょく)を受ける(うける)こともあります。
 しかし、障害(しょうがい)は、人生(じんせい)の一部(いちぶ)でしかないです。
 誰か(だれか)から暴力(ぼうりょく)を受けた(うけた)とき、特別(とくべつ)のプログラムに入れられる(いれられる)のは、私(わたし)たちであるということも問題(もんだい)にしなければなりません。
 
●社会(しゃかい)は知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)のことを忘れて(わすれて)いる
ダイアン・リッチラー(親(おや)、カナダ、国際育成会連盟会長(こくさいいくせいかいれんめいかいちょう)
 57国(こく)から1400人(にん)がここに集まり(あつまり)ました。ここにいる人(ひと)は、みんなにとって生き(いき)やすい社会(しゃかい)を作り(つくり)たいと思って(おもって)います。我々(われわれ)は排除(はいじょ)の中(なか)で暮らして(くらして)います。
 貧困(ひんこん)を撲滅(ぼくめつ)するプランの多く(おおく)は、知的障害者(ちてきしょいがいしゃ)のことを忘れて(わすれて)います。
 そのたびに「われわれの居場所(いばしょ)はどこ?」と聞いて(きいて)きました。
 今(いま)こそ、世界(せかい)のすべての人(ひと)が、知的障害者(ちてきしょうがいしゃ)とその家族(かぞく)のしている挑戦(ちょうせん)を知って(しって)ほしいのです。有名(ゆうめい)な経済学者(けいざいがくしゃ)は経済発展(けいざいはってん)を階段(かいだん)を登る(のぼる)ことにたとえましたが、いまのままでは、その階段(かいだん)の一段(いちだん)も登れ(のぼれ)ない人(ひと)がいることを知って(しって)ほしいのです。
 この会議(かいぎ)にメキシコ大統領(だいとうりょう)がきていることは、重要(じゅうよう)です。
 私(わたし)たちだけでは、世界(せかい)は変え(かえ)られないし、政府(せいふ)も市民社会(しみんしゃかい)の協力(きょうりょく)が必要(ひつよう)だからです。
 私(わたし)たちの力(ちから)とメキシコ大統領(だいとうりょう)の力(ちから)は、国連(こくれん)にとっても重要(じゅうよう)でした。
 今日(きょう)は国連障害者権利条約(こくれんしょうがいしゃけんりじょうやく)を提言(ていげん)し、まとめてくれたヴィセンテ・フォックス・メキシコ大統領(だいとうりょう)をたたえたいのです。
 
●平和(へいわ)とは、個人(こじん)を尊重(そんちょう)する哲学(てつがく)から始まる(はじまる)
(メキシコ親(おや)の会(かい)代表(だいひょう))
 2000年(ねん)にフォックス大統領(だいとうりょう)になり、彼(かれ)のこの6年間(ねんかん)の政権(せいけん)のなかで常(つね)に障害者(しょうがいしゃ)の問題(もんだい)に焦点(しょうてん)を当て(あて)続け(つづけ)、この会議(かいぎ)で引退(いんたい)することになりました。
 「本当(ほんとう)に重要(じゅうよう)なことは目(め)に見え(みえ)ない」とサン・テグジュペリはいっています。
 いま我々(われわれ)は、心(こころ)でみるという能力(のうりょく)でひとつになっています。
 この会議(かいぎ)は、多く(おおく)の国(くに)でなされてきた努力(どりょく)の結集(けっしゅう)です。
 発展(はってん)の段階(だんかい)は国(くに)によって違い(ちがい)ます。
 オクタビオ・パスは「他人(たにん)をみて自分(じぶん)を知る(しる)」といいました。我々(われわれ)は現実(げんじつ)から逃れ(のがれ)られないが、自分(じぶん)を知る(しる)ことから挑戦(ちょうせん)がはじまるのです。たとえば、欧州(おうしゅう)は戦争(せんそう)を経て(へて)、ひとつになりました。平和(へいわ)は、個人(こじん)を尊重(そんちょう)することから始まり(はじまり)ます。どのような行動(こうどう)、判断(はんだん)にも哲学(てつがく)があるのです。それがインクルーシヴな社会(しゃかい)をつくることの第一歩(だいいっぽ)になると信じて(しんじて)います。
 
●障害者(しょうがいしゃ)を脅かす(おびやかす)ものとの闘い(たたかい)
(パナマ大統領(だいとうりょう))
 私(わたし)は障害児(しょうがいじ)の家族(かぞく)として、メキシコ大統領(だいとうりょう)に感謝(かんしゃ)したいと思い(おもい)ます。
 私(わたし)が大統領(だいとうりょう)になる前(まえ)にメキシコにきたとき、この会議(かいぎ)の予定(よてい)をしりました。
 そして、インクルーシヴ社会(しゃかい)になるよう、失敗(しっぱい)した国(くに)と同じ(おなじ)にならないように、注意(ちゅうい)して進めて(すすめて)きました。フォックス大統領(だいとうりょう)とともに差別排斥(さべつはいせき)と戦う(たたかう)ことを誓い合った(ちかいあった)のです。
 本人(ほんにん)と家族(かぞく)が、より参加(さんか)していくことが必要(ひつよう)だと思い(おもい)ます。
 排斥(はいせき)に直面(ちょくめん)しているのは本人(ほんにん)と家族(かぞく)ですが、これは人間(にんげん)を脅かす(おびやかす)ものです。私(わたし)たちは、適切(てきせつ)な提案(ていあん)をしなければならないし、社会的(しゃかいてき)にフェアな環境(かんきょう)を作らな(つくらな)くてはならない。これは難しい(むずかしい)ゴールだが、排斥(はいせき)のない社会(しゃかい)にむけて脅かす(おびやかす)ものと戦って(たたかって)行かな(いかな)ければならない。
 社会(しゃかい)の弱点(じゃくてん)をよく理解(りかい)し、社会(しゃかい)プログラムを促進(そくしん)しなければなりません。
 それはコンセンサスを作って(つくって))いくことであり、権利擁護(けんりようご)をする行動(こうどう)が重要(じゅうよう)です。
 政府(せいふ)は、常(つね)にインクルージョンのスタンダードを守らな(まもらな)ければならないのです。
 
開会式(かいかいしき)に出席(しゅっせき)する近藤(こんどう)さん親子(おやこ)、規夫(のりお)さんは4年(ねん)に1度(ど)の世界大会(せかいたいかい)を楽しみ(たのしみ)にしています
 
●インクルージョンとは「愛情深い(あいじょうぶかい)文化(ぶんか)」である
(メキシコ大統領(だいとうりょう))
 今週(こんしゅう)、国連全体会議(こくれんぜんたいかいぎ)で先住民人権宣言(せんじゅうみんじんけんせんげん)がおこなわれます。今世紀初(こんせいきはつ)のすばらしい宣言(せんげん)になります。この宣言(せんげん)作成(さくせい)には、パナマの大統領(だいとうりょう)とともに関わり(かかわり)ました。
 私(わたし)たちはいろいろな不平等(ふびょうどう)や障壁(しょうへき)、偏見(へんけん)と戦わねば(たたかわねば)なりません。
 そして、いろいろな困難(こんなん)を乗り越え(のりこえ)なければなりません。
 インクルージョンとは文化(ぶんか)であると思い(おもい)ます。愛情(あいじょう)ぶかいこと、公平(こうへい)な社会(しゃかい)のことです。そういう社会(しゃかい)を作らな(つくらな)ければなりません。
 メキシコは、長い(ながい)排除(はいじょ)と戦い(たたかい)の歴史(れきし)を経て(へて)きました。
 ですから私(わたし)は個人(こじん)としても、この活動(かつどう)に強い(つよい)使命感(しめいかん)を感じ(かんじ)てきました。
 私(わたし)は、大統領(だいとうりょう)になる前(まえ)もなってからも、障害者(しょうがいしゃ)が不当(ふとう)に扱われ(あつかわれ)ることを受け入れ(うけいれ)ることができる人間(にんげん)ではありません。政権中(せいけんちゅう)は、家族(かぞく)の取り組み(とりくみ)、親(おや)の会(かい)の取り組み(とりくみ)を支え(ささえ)てきました。なぜなら、本人(ほんにん)や家族(かぞく)が前進(ぜんしん)していこうという姿勢(しせい)は、我々(われわれ)の励み(はげみ)であり、手本(てほん)になるからです。彼(かれ)らは、人生(じんせい)の本当(ほんとう)の価値(かち)を教えて(おしえて)くれるし、隣人愛(りんじんあい)についても教えて(おしえて)くれるからです。みなさんこそが社会(しゃかい)を変える(かえる)原動力(げんどうりょく)であるのです。
(11月(がつ)7日(か)、プレ会議(かいぎ)・午前中(ごぜんちゅう)・全体集会(ぜんたいしゅうかい)より)


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