第6発表者:長崎県難病医療専門員 前川 巳津代 様
皆さんこんにちは、長崎県の難病ネットワークの難病相談員をしています前川です。先程大分県の方がおっしゃいましたが、難病相談支援センターが無いのが大分県と長崎県だけという事で一応長崎県は10月の設置に向けて県の方が一生懸命頑張っているところですので宜しくお願いします。
長崎県の難病支援ネットワークは、難病医療連絡協議会があって拠点病院と準拠点病院があります。その下に神経内科医師が常勤します基幹病院が14施設あり、そのまた下に一般協力病院と診療所が約30施設あってこれらがネットワークを作って難病患者さんの療養支援に当たっています。難病支援ネットワークの活動概況としては、入院・転院紹介や往診の紹介、療養相談、難病研修会、広報活動を行っています。また入・転院、往診紹介では入院療養環境を調整しています。
急性期の方には短期入院施設、専門医、神経内科の専門医のいる施設。安定期に入りますと、長期入院とか療養施設、在宅になると往診の依頼、訪問看護、訪問介護などの調整をしています。往診紹介の16年度と17年度の数は、入・転院紹介を17年度に9件、レスパイトケア入院病床入院確保は17年度3件、往診紹介は3件となっています。療養相談の窓口は難病専門員で、ほとんど電話が多いです。療養相談の対応回数は16年度17年度に比べて17年度は半数に激減しています。これは実人数も89人と減っているんですけども、ネットワークが整備された事で情報交換がよくいくようになって対応が減っているかと思います。療養相談内容としては療養相談が8件で意思伝達装置が30件あります。これはコミュニュケーション障害というもので結構相談が大きいです。当ネットワークでは長崎コミュニュケーションエイド研究会と連携して患者さんに合った意思伝達装置を検討しています。難病研修会は難病支援の理解を深めるための啓蒙活動として研修会を行っています。平成17年度の研修会の内容はちょっと細かくて判り辛いんですが、難病患者さんに起こる呼吸障害とか在宅支援の現状とか、あとはリハビリテーションとか筋萎縮性側策硬化症の病態とか看護ですね。あとはコミュニュケーションの支援の実際とかを研修会で行っています。
長崎県におけるALSの患者数は去年の4月30日に調査して71名いらっしゃいます。在宅人工呼吸器装着の患者さんは13名ですね。今年になって調べていませんので数の変動はあるかと思います。一般協力病院を対象に患者受入れに関するアンケート調査を行っています。15年から17年あまり数は変わりません、129から130施設です。アンケートの回答は去年が97施設で75%の回答を得ています。入院受け入れ可能期間としては平成15年16年17年の数ですけど、短期間の入院が15年は3ヶ月以内は18あったのが平成17年には11施設に減っています。1年以上入院可能な施設というのは平成15年は13施設で17年は20施設に増えてはいますけどもなかなか入院受入れは厳しい状況です。受け入れ状況、受入れの内容なんですけども、経管栄養とか膀胱内留置カテーテル、胃瘻とか気管切開、人工呼吸器装着、IVHをされてる患者さん結構医療処置をされる患者さんが多いのですが、大体50位ですね。で人工呼吸器装着の患者さんに到っては26施設しかありません。人工呼吸器装着患者の受け入れ可能期間としてはこれも短いんですね、1年以上受入れてくれるという病院は平成17年には10施設が上がってます。レスパイトケア入院なんですけども、在宅の患者さんがどうしてもやっぱり家族の休養とか、色々な行事でレスパイトケア入院をしたいと思ってもなかなか受入れてくれる所が少ないんですけども、平成15年には45で17年も43で少し減ってきています。その中でも人工呼吸器装着患者さんの受け入れは20施設になっています。往診の受け入れは、在宅の方で経管栄養、膀胱内留置カテーテル、胃瘻、気管切開、IVHをされている患者さんを往診の先生が受入れてくれるかというところなんですが、ここもさっきの数と同じくらい50位の施設しか受入れてくれません。この130施設の協力病院の中で往診をします、という施設は平成16年に112施設だったのが17年は98施設に減っています。なかなか往診も厳しい状況になっていますけども、難病以外の患者さんでも医療的処置が増えている現状ですので増えていく事を期待しています。それから4月から診療報酬改定が行われまして24時間在宅療養支援診療所というのが算定出来るようになりました。24時間在宅療養診療所が増えてくれることを期待しています。事例紹介なんですが、私も難病医療専門員になったのがこの4月からで、なかなか患者さんに関わっている事例っていうのがありませんで、この患者さん去年少し関わったので紹介したいと思います。


(拡大画面:144KB) |
 |
|
A氏59歳、男性で平成13年10月にALSと診断され、14年10月にはもう人工呼吸器を付けられています。というのは9月24日に呼吸機能が低下してきたためにバイパップ導入目的で入院されたんですが、入院中に急変して家族の同意の下で人工呼吸器を付けられました。主治医がこのA氏と人工呼吸器をつけるかどうかについて詳しい話をしていませんでした。このことがA氏の療養生活に大きな影響がありました。経過としては15年3月31日に退院して在宅療養を開始しています。9月からレスパイトケア入院、その年10月に経口摂取が出来ていたのですが、やっぱり食事量が少なくなって誤嚥しそうという事で胃瘻を増設、16年11月8日から12月6日は肺炎で入院、17年10月25日に呼吸不全が悪くなってきたので人工呼吸器をちょっと変えようということで入院、12月6日に急変して亡くなられました。
これは前の難病専門員が関わって退院までの経過です。この方が退院する時は人工呼吸器を付けた方を受入れるのが始めていう町でしたしケアマネージャーさんも始めてでした。それで色々役場に行ったり病院で情報収集したり、後は在宅スタッフに人工呼吸器の説明会などをし、試験外泊とか退院前のチームカンファレンスを行って退院に向けています。支援体制とコーディネートを専門員がしています。患者さん家族には支援体制の受入れとか吸引とか人工呼吸器の取扱い方の指導を行ったり、専門職としては在宅受け入れ体制作りと在宅療養のための勉強会をしたり、ケアプランを立案検討したりしています。その他の機関としては家屋チェックをしたり、車椅子を検討したり単一カンファレンスに入ってもらったりとか停電時の対応、緊急時の対応とかを検討しました。この患者さんの在宅での問題点は、人工呼吸器を装着した後コミュニュケーション手段として意志伝達装置「伝の心」を持っておられたのですがあまり積極的には使っていませんでした。というのもまだ指が動いて指文字が出来たという事と、まあ瞬きと頷きでは簡単な会話イエス・ノー表情は出来ていましたので、それでコミュニュケーションを取ってました。しかし四肢の筋力低下が進行して指も動きが悪くなって入力スイッチの変更とかが必要になってもなかなか受入れが難しかったです。レスパイトケアは先程定期的に行ったと言いましたが、本人はあまり気が進まなくて病院よりも家の方が良いということで進まなかったんですが説得して利用してもらっていました。病状の進行により外出などが難しくなった事です。事例の振り返りとして、A氏の死亡を後にこの方に関わった人たちが参加して振り返りをしました。在宅以降後は週2回のドライブをする事が楽しみでした。外出をする事で社会とのつながりを図りました。胃瘻増設で栄養管理は図られました。リハビリは現状維持の為に意欲的でした。しかしコミュニュケーションはずっと指文字と瞬き表示でした。レスパイト入院による介護負担の軽減を図りましたが、病状が進行してきますと、首の固定が悪くなってドライブも出来なくなりました。ほとんど寝たきりになって、訪問リハビリは現状を維持するということと、筋力を少しでも低下したくないという希望を持って続けられました。だけどコミュニュケーションは最後までですね「伝の心」の使用を拒否して最後まで指文字と瞬き表示でした。ここでコミュニュケーション手段を色々検討するんですけども、なかなか受入れが得られませんでした。妻はA氏とのコミュニュケーションが取り辛く、その為のストレスと介護疲労が蓄積していきました。外来に来たときなどは人工呼吸器装着をした事を後悔するような言葉を吐く事もありました。そういう状況でケアマネージャーが合同カンファレンスを開いて検討会を数回行いました。その後、なんとか生きがいを持って療養生活を送って欲しいという事で病棟師長の方から心理的介入をしてもらい、A氏も生きがいを新たに持つ事の大切さを再認識されまして、妻もその生きがいを共有することで新たな療養生活を始めていたんですけども患者様が急変して亡くなられました。この患者さんに対してですけども在宅療養をされており病院は短期間の入院という事で、精神的ケアの継続をしなくちゃいけないのになかなか出来なかったというのが大きな問題と、コミュニュケーションの大事さですね。だけど判っているんですけどそれを納得させるだけ踏み込めなかったというのがありました。やっぱり心を寄せて信頼関係を作って患者さんをよく観察する事が大事だなと感じます。ご清聴ありがとうございます。



|