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(4)在宅療養を支援する機器の開発・普及の促進について
大分協和病院 副院長(診療部長) 山本 真さん
 
 みなさん始めまして、大分協和病院の山本でございます。
 まず吸引の問題でのシンポジウムですけれども、最初に私たちが今、大分でどういうことをやっているかをご覧になっていただいた上で、吸引問題、それから自動吸引装置についてご説明していきたいと思います。
 まず最初にこのスライドは、今、大分で診させていただいている、呼吸管理を必要とする患者さんたちのリストです。やはり一番多いのはALSですね。ALSの方が大半でございます。大分の中では在宅が主流になっているということで、もう8割以上の方が在宅をされています。(スライド1、2)
 それからここにありますけども、TPPVというのは気管切開で人工呼吸をしている、いわゆる古典的な方法での人工呼吸でございます。あと気切バイレベルっていうのがございます。これは普段鼻マスクに使う呼吸補助装置を、気管切開の方から適用させてやっている、そういうような換気法で、これについては後ほどもう少し説明したいと思います。(スライド3、4、5、6)
 このような形で今、大分市の中では、気管切開、あるいは人工呼吸を必要とする患者さんの約8割が在宅をされています。そしてそのほとんどを私たちが診させていただいているという状況であります。これが大分市の地図ですけれども、広範囲の中に患者さんがいますので、これを例えば一つの病院で全て、訪問介護から看護までやるんだというのは到底不可能でありまして、私達の病院はここなんですけれども、この地域に行くにも片道40分位かかります。そういうこともあり地域の方々は、その地域の訪問看護ステーションやヘルパーステーションの方に看ていただいて、私が週に1回往診をして、その時にそれらの方に現場で会って、1週間の指示をさせて頂くというような形で持たしていただいております。
 これは何年か前に日本ALS協会の事務局長が大分に来られた時に一緒に回った時の写真ですけれども、皆さん人工呼吸器を着けてこのように在宅をしておられるという状況です。
 こちらのDさんは私が最初に診させて頂だいた患者さんですけれども、呼吸管理になって15年という状況であります。こういう講演の中で最初にさせていただくスライドが実はあります。スライドというかビデオなんですが、それは私がこの医療に、ALSの医療というのに関わって、どのようなことをしてきたのか、そのきっかけになる仕事だったなと思いますので、いつも出させていただいております。それをまずお示ししたいと思います。
 
―――ビデオ―――
 
 難病と闘いながら力強く生きております女性が大分市にいます。この女性は周囲の善意で筋萎縮性の難病に合わせた車椅子が出来たことから、入院して初めて家に帰ることが出来ました。彼女の帰宅した時の様子などを取材しました。
 Dさんは一昨年の夏全身が麻痺して動けなくなってしまう、神経の病気に罹り現在ここ大分市の大分協和病院に入院しています。彼女の病気は10万人に2人〜3人の難病ですがDさんは、多くの人に支えられながら懸命に闘病生活を送っています。病気の進行と共に言葉を話せなくなったDさんは、目で打つワープロを使って人とコミュニケーションを図っています。
 このワープロは赤外線センサーを使った物で、画面の上を動くカーソルを瞬きして止め、文字を打ち出す仕組みになっています。使い初めの頃は慣れなくて操作もゆっくりでしたが、今では随分スピードアップしDさんにとってなくてはならない表現手段となっています。
 このファイルはこれまでDさんが書いた手紙を集めた物、中でも介護にあたっている夫のTさんに宛てた励ましの言葉は、Dさんがユニークなタイトルをつけまとめて保存しています。
 Dさん夫婦はお互いに励ましたり励まされたり、時には気持ちの行き違いで喧嘩になることもあるそうですが、2人で心を合わせて病気と向き合っています。この日、Dさんは入院以来初めて自宅に帰ることになりました。Dさんは、人工呼吸器を使って呼吸しています。普通の車椅子では人工呼吸器が積めないために、これまで病院の外に出ることができませんでした。それをたまたま同じ病院に通院していたAさんという、塗装工場を営む患者さんが、車椅子に改造を加え人工呼吸器を積み込めるようにしました。
 Dさんは家に帰れる喜びをワープロで伝えてくれました。夫のTさんや主治医の山本先生らと共にいよいよ出発です。自宅のそばまで福祉タクシーを使い、車から降りたところで近所の人たちから暖かい出迎えを受けました。さて1年半ぶりの我が家、家に戻ることを半ば諦めていたというDさん、喜びもひとしおの様子です。「病気でね、苦しんでいるそういう患者さんをね、なんとかできんやろうかなー思って、それでこういう事したわけです。やっぱし感無量です。本当によかったなー、その気持ちで一杯です」「もう本当に皆様の善意と暖かいお心でこうやって私たち夫婦が思いがけない喜びを味あわして頂いてもう感謝しております」この日の帰宅はわずか30分程でしたが、Dさんにとっても、Dさんを支える人たちにとっても記念すべき日となりました。
 「症状がどんどん悪くなっていって動けなくなって、呼吸が苦しくなっていくときにやっぱり毎晩泣いていたし、もう生きたくないってね。だから一度痰が詰まって実際亡くなりかけたことがあったんだけども、それを蘇生して最初にお会いした時に言われたのは「なんで助けたんだ」って言われたんですよね「死んだ方が良かった」って言われたんだけど、ただその後でああいう状態になって、特にワープロっていうのかな。自分の意思を表現できるという手段を持ってから、どんどん明るくなったんですよね。その明るくなって行かれるのを見ているとね、僕ら自身が逆に教えられているような、そういう人たちの看護っていうのはどうあるべきかというか、そういう彼女と一緒に生きる希望を見つけて一緒にそれをクリアしていくという、そういう形の医療とか看護とか必要なんだっていうのが勉強になったつもりですけれども。」
 突然振りかかった難病を受け止めることが出来るようになるまで、Dさんは計り知れない心の苦しみを経験したに違いありません。ワープロを使って表現すること、そして車椅子で外に出られるようになったこと。希望を一つ一つ積み重ねて力強く生きていこうとするDさんの姿は多くの人に勇気を与えるでしょう。
 
―――ビデオ終―――
 
 これ原点なんです。ここにありますけれども1992年です。1990年に初めてこの患者さんにお会いして、91年に気管切開、人工呼吸ということになりました。それから1年経ってそれまでALSの患者さんが外に出るとかいうのは、僕らのイメージの中ではほとんど無くて、それこそ病室の中だけでお風呂にも入らないというようなイメージだったんです。
 けれども、本人が積極的に出たいということを申されて、それに付き合いながらやってきたという状況です。先ほど20数名のALS患者のリストがございましたけれども、この90年の段階ではまだ1人ですね。それがこの15年間の中で、ああいう20数人のリストになっていったということでございます。私は神経内科医ではなくて呼吸器科医なもんですから、このALSの医療に関して呼吸管理の点からどういうふうにやっていくか、という事ばかりずっと考えて参りました。
 最初の仕事は長期の人工呼吸管理っていうのはいかにあるべきか、ということでございました。というのは、先ほどのDさんを人工呼吸管理したんですけれども、毎月のように肺炎を起こすという状況が当初ありました。それを克服する為に通常考えられている1回換気量400ccでは、こういう長期の呼吸管理は出来ないのではないか、というふうに徐々に自覚していきまして今、大体最低600ccは要るだろうと。但し呼吸回数は減らしていこうと。そういうことによって無気肺を作らない、痰を溜めない、痰を積極的に気管チューブの方に送り出していくような換気が、基本的には長持ちする感じだろうと。Dさんは当初毎月のように肺炎を起こされていましたけれども、このような換気量に変えてから年に1回も起こさない、数年以上起こさないというのが普通という状況になりました。もちろん普通の私たちは、数年以上肺炎を起こさないというのが全く当たり前のことでありますから、彼らは別に神経筋の疾患であっても肺の疾患ではないわけですから、それでもまだ多いといえるかもしれません。では、いかに普段の排痰のコントロールをしていくか、体位交換等の援助をしていくかといことが問われている、そういうことになるだろうと思います。
 勿論こういう管理、換気量を多めの管理をしますと一番問題なのは気道内圧でありまして、普段観察するときに一番大事なのは気道内圧だよ、ということをケアに携わる皆さんにいつもお話しています。
 気道内圧が必ず20cmH2O以下になることを確認しようと。それがもし上がっている場合には、すでに肺に何か起こっているから、それを放置すると一気に肺が真っ白になることがあるんだ、というようなことをお話ししながら、皆さんに気道内圧ということが大事だということを知っていただいて、在宅の管理、あるいは援助をしていただくというふうにしております。
 それからもう一つは、最近の仕事ということになりますけれども、昔は気管切開での人工呼吸というのが当たり前でした。鼻から或いは口から酸素を入れての自発呼吸、それが限界に達したら喉に穴を開けて人工呼吸器を着けるという、これが当たり前だったんですけれども、今はこういうバイパップという器械を使います。鼻マスクによって、呼吸補助をするというのが主流になってまいりました。で、この器械のいいところは喋れるんですね。呼吸補助をされるけれども喋ることが出来ると。そういう利点があるのである意味で受け入れがいいと。やはり気管切開をして人工呼吸器を着けるというのは大変な葛藤を伴います。これを着けることによって、肺活量が3%〜5%というレベルでも、気管切開をせずに十分に換気が可能です。ただ他の問題が起こってきます。それは何かといいますと、痰が出しきれないという問題です。皆さんは痰を出す時に何をするかというと、咳払い、咳をしますね。咳をすることによって痰を出すのですが、ALSの患者さん達は呼吸筋麻痺を起こしていきますとその咳が出来ない。従って痰が気管の中に上がって来るんだけども、そこからどうしても外に出せないという状況が起こります。実はこれが大変苦しいんですね。このような換気の補助をしてもなかなか痰を出すまでには至らない。それで結局体交させてタッピングしたりとか、いろんな事をしたりして痰を出すのに3、40分位かかってしまう。痰はそこでようやく取れるけれども、2時間位したらまたそれが起こってくる。そういう状況になると、もちろん在宅でも看れませんし、病院に入っても看護師さんが困りきってしまいます。他の方のケアが全くできないということになってしまいますから。それで、それを止めよう、本人も苦しいし、周りも大変なんだからそれは止めよう。それは何か、ということで僕らがやってきたのは、鼻マスクはするけれども気管切開もしましょうということなのです。この時の気管切開の穴は普段はフタで閉めております。痰が出た時だけ蓋を開けてここから吸引しようということですね。そのことによって、これで鼻マスクをしていても喋れるとか、そういうQOLを確保した生活が長引くんだよということをお話しして、気管切開に対するマイナスのイメージを患者さんに取り払っていただくということであります。
 それともう一つのケースは、ALSの中には球麻痺といいまして、これは神経内科の先生方が専門なのですが、呼吸する力は結構残っているのだけれども、喉の力が抜けてしまって喋れない、或いは誤嚥してしまう。そういう状況が起こってくることがあります。そういう方には人工呼吸器を気管切開でつないでも、まだ呼吸をする力が残っていますので、ファイティングと言って呼吸が合わないと、苦しまれる患者さんがいらっしゃいます。そういう場合に呼吸補助装置を、気管切開に着けていくという方法があります。
 さらに次は、これバイパップ・シンクロニーという器械ですけれども、気管切開に適応できます。こういう器械を人工呼吸に使う場合に、実は普通の人工呼吸器と違って、少々空気が漏れてもかまわない、という設計に実はなっているんですね。それを利用して喋ることが可能です。気管切開は声を失うことではない、ということを皆で認識しようということをやってまいりました。どんなのかちょっとお見せしたいと思います。
 
―――ビデオ―――
 
 この患者さんには普通のタイプの気管カニューレを使われています。これでカフ・エアーを膨らませてる状態では喋ることはできないですね。これを今8cc入っているのを半分の4cc抜くと喋れるということで今からちょっとやります。
 どうですか声出ます?「出ますねー。」
 これで今息苦しいということはないですか? 「ないです。」
聞こえましたか?声があんまりおおきくなかったですね。もう一例
 しゃべれますか?・「しゃべれます」
 お盆は帰られます?・・「帰りたい」今わりと普通に声がでますか?・・「出ます」
 今息苦しさはない?・・「ないですね」
 もう一例、これは最近の方なのですが、78歳の女性で、呼吸筋麻痺の方が強くて手足はまだ結構動くという方です。したがって球麻痺のほうはわりと無くて、そういう意味ではQOLはいいのだけれども、鼻マスクでは苦しくて仕方ないという方でした。夜は顔マスク、昼間は鼻マスクで呼吸補助をやっていましたけれど常に肩呼吸という状態でした。それでご本人に以前、気切呼吸補助をやった患者さん達に会って頂いて喋れるんだったらと、気管切開バイレベルというのを選ばれました。どんな感じかというのをお見せしたいと思います。
 
Bさん・・「ハイ」
 今、気管切開してしゃべれますけど、どうですか今のしゃべりは?・・「今、いいです」
 今いいですか、さっきまでEPAPを下げていたけど途切れ途切れになっていましたね。
 この状態だったらしゃべりやすい?・・「そうですか」
 こっちのほうがいい?・・「いいです」
 
―――ビデオ終―――


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