司会: 原田先生、PTAを活用して新たな地域社会の組織を作ったり子供の教育や地域全体の活性化というものをやったりしたケースはありますか?
原田: 小学校のスポーツクラブを社会体育としてやりました。公立の中学校には子供達が集まってきていませんでしたので待っているだけでは人材確保が出来ませんでした。そこで小学校一年生から六年生までの子達に社会体育として陸上クラブを開設しました。そこへ保護者を入れて主にお母さん方に練習の手伝いをして頂き試合へも連れて行って会場設営などをお願いし、最後はお母さん方に審判免許を取らせてストップウォッチの計り方などを学んで頂き自分達だけで練習が出来るようにしました。最初は嫌がるかなと思ったのですがスポーツを通じて我が子を教育する機会に巡り会って、しかも正しいスキルで子供が育っていくという点でものすごく喜びを感じたようで思った以上に人員が殺到しました。親は子供をよくしたい、先生も生徒をよくしたい、地域は地域の子供達をよくしたいと思っているのは絶対に間違いないので私の場合は接点をスポーツ教育、社会体育という形でやったというだけの話で想像よりもたくさんの方が賛同されました。現在、私はそのクラブからは手を引いていますが未だに自治的に運営していますので一つのモデルではないでしょうか。
長田: 子供達や親達がやるようになる裏の原田先生の努力はとてつもなく大きなものだったと思います。苦しい人達を助けるという事はおぼれる人達を助けるのと同じ事で引きずり込まれる可能性が高いからです。普通の人だったら係わりを嫌うのは当たり前ですが私も怖いけれど入っていくのです。毎晩、お父さんとお母さんに四百字以上六百字以内の作文を書かせて私も一生懸命に読みます。そしてメンタルケアに行く前に「ここだけは親に直してもらわなければ困る」というところを電話したり手紙を送ったり、実際に訪ねていくという事をします。そうすると親は「今までここまでやってくれた人はいない」と私を信頼してくれて一つになる、父母と一つにやるためにはこちらから動いて行かないと駄目なのです。どんな親でも子供はかわいいのですから親身におせっかいになって「誰かがこの子のために」とやれば、どんな親でもいい奴になろうと努力し始めるのです。今の大人は体のいい優しい言葉ばかりを使います。優しく静かに穏やかに過ごしていたら子供達は簡単に育ってくれると思ってしまっているようでびっくりします。先生方に一つヒントを申しますと偉そうな事は言えませんが、私は「お前らの親は素晴らしい、お前らの親ほどお前を大事にしている親はおらん、間違いないぞ」と教えます。同じように先生が毎日子供達に言えば家へ帰って何だか妙に親の言う事を聞くようになってくる、特に幼い子であれば効果は抜群です。そこで親が「最近、何か変だけど何かあったか?」と尋ねれば子供は「先生が親は間違いない、親を大事にしろと教えてくれた」と答えるでしょうから「いい先生じゃないか、その先生を信じろ」という事になるのです。与えられたものはそのまま与えられるだけの話で、どんなに荒んだ親であっても子供がかわいいのは間違いないのです。今は親が動くという事を忘れてしまっていますので話になりません。私は「教育再興プロジェクト」においても動きます。綺麗な言葉だけで動かなかったために潰れた会は世の中に腐るほどあると知っているからです。
司会: その会はPTAのところでも講演をされるのですか。また連合会のようなところでこういう会を作るという事もあり得るのでしょうか?それから父親教育の場というものはないように思うのですが。
長田: その辺は臨機応変に使って頂いて、私が出来る事は母親教育一本ですから他にも男の人の力とか政治の力もあるでしょうからやって頂ければと思います。お父さん方は私が男を立てて上手く使えと言っていますので話を聞いて「女房に聞かせたかった」とおっしゃいます。
司会: 川口先生、父親教育みたいなものを何か行なった事はありますか。
川口: 山口県で県立高校の教員をやっている時、夏休みに担任している子の家を全て訪問していました。同じ子を二年くらい担任しましたら今度は夜に来いと親父さんから誘いがあっていましたのでほぼ毎晩、飲みでした。その方達は今、ほとんどが退職をされているのですが二十何年が経った今も付き合いがあります。家庭訪問して気付いたのはお母さんも子供も家では学校で見せる顔とは違うのだという事です。もう一つ思い出したのは私は昭和五十五年に大学を卒業して教員になったのですが昭和六十年代の頃から親の学歴が上がっているなと感じました。私の同僚がある親に言われたらしいのですが「どうせ学校の教員というのは教育学部という一番バカが行く学部を出ているのだからあんな奴の言う事を聞いていたらとんでもない事になるぞ」、やはり基本は家庭教育だと思います。私が最後に赴任したのは山口高校でしたが、その時も随分といい大学を出た親御さんが多くてきちんとした家庭では「先生のおっしゃる事を聞きなさい」と教えられていましたが中には「あんなバカの言う事を聞いていたら・・・」というような事を言っているのではないかなという家庭もありましたし、今はもっと進んでいると思います。
司会: 先ほどの長田さんの話と同じように飲んだくれの父親だけど父親を立てるのと同じように駄目な先生かも知れないけれど先生を立てるという事を絶対に母親がやらなくてはならないのでしょう。学歴や教え方など色々とあるでしょうが先生にもいいところはあるし、しっかりと教えてくれているのだから悪口を言っては駄目だと親の学歴が高くても教える事は非常に大切だと思います。企業でも上司に対して悪口を言った瞬間に周りの人間が言う事を聞かなくなります。
残りの時間は学校教育に関して、学校は最後の砦で家庭の問題と社会の問題を全部背負って先生は忙しいと伺っています。授業が六十パーセント、生活指導が二十パーセント、研究と事務が二十パーセントというのが学校の先生における全国平均の値だそうです。最近は生活指導と事務、研究も増えていて授業に関わる時間が非常に減っているというのが悲鳴として聞こえてくるというのが実感としてあると思います。マスコミも含めて学校のせいだと言っていて親が駄目だというよりも学校が悪い、校長先生も何かあったらすぐに謝罪してマスコミも殺到するというパターンが出来ていてドンドン学校が腐ってくるという構図ではないでしょうか。学校の先生に対して気持ちの切り替え方や親への対処方法があればお願いします。
原田: あまりにも無理難題を持ってくるので、どこかで一線を引かなくてはならない時代になってきたと思います。給食費未納の問題にしても先生が親に催促してお金を払いなさいと言うのは一番やりたくない、それは生徒との関係がありますので辛いのです。それから最近のバカな話で親が「娘が学校で蚊に刺された、どうしてくれる」と訴えてきて、学校も帰れと言えばいいのにまともに反応して「除草して殺虫剤をクラスに一本ずつ置きます」と答えたという事例がありました。そんなモンスターペアレンツという訳の分からない事を言ってくる親がいますので、それに対して先生方は一線を引いて助けてあげられるようなものをしなければならないと思います。アメリカの場合は「ゼロトレランス方式」と言って授業崩壊させてどうしようもない時は別の機関に行って教育が出来ない事情を説明し、親が文句を言ってきたらその第三者が調停機関として正しい判断を行い、この子が秩序崩壊させて学校が荒れる原因を作っているという事になればオルタナティブスクールというところへ入れて普通の生活が出来るようになるまで躾教育を施し学校へ戻すというような事をやっていますので、もうそこまでやる時代になってきていると思います。日本では私立高校や学校単体でやられている事はありますが都道府県単位でやっている事はありません。二年前に文科省がこの事について言った時には現場の反応は冷たかったのですが、わずか二年で賛成意見が増えてきていますので大変だという現状が見えてきます。
司会: 今の事例は担任一人が対応するような話ではないと思うのですが対応するチームというものを作りやすい環境にあるのでしょうか。現実的にモンスターペアレンツへの対応は何をやればよいでしょうか?
原田: 先ほども申しましたように学校の指導力には三原則あって「厳しさ、優しさ、楽しさ」ですが父性的な厳しい指導が出来る先生が圧倒的に減ったと思います。小学校の先生は女の先生が多いので父性的な厳しい指導というものが劣っているのです。きちんとけじめをつける生活指導の出来る先生が多くいればいいのですが、その人達がいない学校というのは後から当然シワ寄せが来るのです。一人の先生に肩代わりさせると現場は崩壊すると思います。我々は法的な知識がありませんので内容証明郵便やマスコミなどが来ましたら混乱します。そういう事に対して素人の私達を助けてくれる専門家の弁護士や教育委員会が守っていかないと先生達は精神的に崩壊してしまいます。私も戦線離脱した先生をたくさん見てきました。
司会: 現段階は制度的に教育委員会を中心にしたものというのは未成熟ですから身近な弁護士にお願いするしかないのですね。
原田: 教師が訴えられてから初めて教育委員会付の弁護士が出てくれます。私達は訴えられる前、事件が発生する未然の状態で相談して法的対応もしたいのに現状はそれが出来ていませんので制度が後手に回っています。個別に校長先生が自腹を切って弁護士のところへ行っています。
長田: 今は陥れといって例えば「この先生、大嫌い!」という先生がいたら女の子が五、六人組んで触られたとかエッチされたと騒ぐのです。そうすればクビになって五年後くらいに「嘘でした」という事例もあります。また、実際にあった話で校長先生が小学校五年生のクラスで学級崩壊があった時に「女の子は女の子らしくしなくちゃ駄目よ」と言ったらその言葉で次の日から言われた子が学校に出てこなくなって「不登校になったのはお前の責任だ」と訴えられ、教育委員会の方にも何で不登校にするような校長を使うのだと市会議員や県会議員が行く、弁護士も含めて言っていた全ての人が不登校の親だったという事例がありました。先ほども申しましたが都内の四分の一の教師は訴訟保険に入っている現状もありますので原田先生がおっしゃられた弁護士の手続きに関しては積極的にやるべきだと思います。それから保育園の三分の一の家庭は母子家庭ですので発達障害も一割くらいは占めてくるでしょう。発達障害はある日、突然とんでもない事をやりますので怖いです。私は学校現場というものはよく分かりませんが普通の利口なお母さん達が先生を応援出来るような母ちゃんを作れればと思っています。今のお母さん方は組まないので先生が孤独に戦わなくてはならないからかわいそうです。子供が世話になっているのだから先生を守ってあげなさいという教育が出来たらいいなと思います。
司会: 先生にとってみると今すぐ出来るのは教育委員会を中心とした形の体制が出来ていないから訴訟保険に入るのも手ですがPTAの中で人物の人達と何かあった時にスクラムを組んで守るという体制を作る事が大切ですね。
原田: それを「教師の政治力」と言っています。地域を動かして保護者を説得して教育の側に立って戦っていけなければ教育崩壊するのです。目の前にいる子供達に勉強を教えるだけではなくて地域を巻き込んで守っていく事の出来る政治家のような力が求められています。今まではそういう資質や能力のある先生がいる場合は上手くいったのですが、いないところはボロボロにやられていますので「どういう危機管理をやったか」という事案を教師同士が学習、共有すべきだと思います。先週、大阪で発表されたのは生活指導のプロフェッショナル五十人を育成して、その人達は学校を越えて指導出来るというものです。三つくらいの学校がまとまって生活指導に対してやるというものを大阪市はお金をつけてやると発表しました。その後ろには弁護士や当然、チームを組んで警察や関係諸機関も含んだところで行います。但しこれは地域によって格差がありますからピンとこない方もいらっしゃると思いますが一番大変なところの話をしています。
川口: 政治力という言葉が出ましたが私は先ほども申しましたが地道な家庭訪問、先生方はお分かりになると思うのですが四十人の生徒の家を夏休み中に回るというのは相手の都合もありますので大変な事です。高校の教師だった時は野球部の生徒を随分と殴りましたが一度も親から怒られた事はありませんでした。謝られた事があって逆に感動しました。私は実は暴力教師で今も大学で時々、学生を授業中に殴ります。二年前も授業中にガムを噛んでいた生徒を殴りました。彼は名古屋の窯元のお孫さんで夏休みにおじいちゃんに殴られた事を話したらしく、おじいちゃんはとても感動してくれて「いい大学に行ったなあ」と思われたようで私は焼き物を頂きました。今の子は「生まれて初めて殴られました」と言います。殴った子は今でも部屋に来ますが我々の本気度というものは言葉などではない雰囲気で分かるものなのではないでしょうか。また一年生に「大学に入るまでに担任をしてもらった先生の名前を全部書け」というアンケートを取って、どの先生が一番好きか丸を付けさせるのですが好きな理由は「自分の事を本気で考えてくれた」と書きます。しかし情けない話ですが一番好きな先生は幼稚園から小学校の先生なのです。中学校や高校の教師は反省しないといけない、一番すごいのは進学校から来た子が高三の担任名が書けない、三月まで担任をしてもらっていたのに顔は覚えているけど名前は分からないと言った、つまり受験以外のふれあいがないのです。
司会: 「骨太の先生作り」というものを原田先生はずっとやっていらっしゃいますが、なかなかタフになりにくい環境があると思います。そこで普通の先生が骨太になる秘訣のようなものがあれば教えて下さい。
原田: まだ研究途中ですし分からない事もたくさんあるのですが一つはモデリング、骨太の先生を紹介して実践を間近で経験させる事が大切だと思います。もう一つは例えば新任の先生で頼りないなと思う先生が一年間、いじめや不登校、問題ゼロで方や管理職志望のベテランですごいと言われている先生のクラスではいじめが山ほど出て来るという事があります。生徒に教えるスキルは二十年教師の方が持っているのですが頼りない先生の方はいじめ、不登校は出したくないという生徒に対しての強い思いがあるからです。そういう人が今の現場で結果を出すという事を見てきましたので教師のスキルや方法論も大事ですが、その前の「何のために教師をやっているのか」という教育理念というものを問いかけてしっかり作らせて教育現場へ行けば軸がぶれないと考えています。教師養成塾ではスキル・ノウハウ論は教えて教え方を高めて現場に出すようにしています。しかし心のコップが塞がっていたら崩壊しますので必要なのは理念、思いという教育に対する自分の軸だと思います。研修をやってそれを作らせ骨太にしたら効果があったように感じました。
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