日本財団 図書館


8. 「親が変われば子供は変わる」講演録
講師:長田百合子
師範塾教育フォーラム 第二部 講演
「親が変われば子供は変わる」
塾教育学院メンタルケア部門代表 長田 百合子先生
 皆さんこんにちは、元気な母ちゃんの代表、長田がやって参りました。まず色々な会場でお断りをしているのですが私は大学教授でもなければ医者でも学校の先生でも学者でもない、ただのおばさんですから話の中には高尚な知識や理論というものは全く出てきませんのでご了承下さい。私は学校という機関は教育の中でトップであるべきだと考えていますので学校の先生のお手伝いをさせて頂くという形で進学形態ではない補修学習塾を愛知県内に開設してきたという経験を持っています。もう一つは家庭という現場に自ら出向いていっておよそ二千組の子供の不登校や引きこもり、非行問題を解決してきました。子供の問題は診察室や相談室、フリースクールで起きているのではない、家庭という現場で生々しく重苦しく起こっている訳で、そこへ足しげく通って親心を持って共に動いてやらない限り解決には至らないと考えています。ある日、現場で後ろから物が飛んできたので何かなと思ったら包丁だったとか包丁を振り上げた手を皆で制したといったような修羅場もくぐってきましたので子供を命がけで叱ってきました。何故ならその子がそのままの状態で大人になったら社会は思っているほど甘くない、今ここで教えてあげなければあなたは幸せにはなれないのだと私なりに体当たりでやってきました。子供問題に関する現場の知恵だけは誰にも負けないと思っていますので、その点についてお話をさせて頂きます。それから私も一応、教育者の端くれですから今まで子供達に「嘘だけはつくな」と頼んできました。その手前、自分も嘘がつけませんので今日の話の中には体(てい)のいいものや事なかれなものはありません。それは自分の心に嘘がつけないからで、いい加減な話も適当な話も多分ありません。思ったまま、経験したままですのでこういう会にご参加されている皆さんは良識のある方だと思いますので私が間違った事を申し上げるかも知れませんが、その辺は皆さんの中でご判断頂くとして現場で見てきた経験に基づいてお話を進めさせて頂きます。
 
 最近、人権だの自由だのと騒げば勝つような変な世の中になってしまったような気がします。例えば子供の人権といいますが、ただいたずらに子供に人権を与えれば喜ぶかといえばそれは大きな間違いです。子供というのはさわやかな心で生きられるような、やる気がどんどん出てくるような社会を望んでいるのです。日本人というのは権利をよこせというような民族ではなかった、生活していれば既に「頂いている」という考え方だったはずなのです。自由をよこせなどといったら人間は終わり、結婚一つを取ってみてもどれだけ不自由でしょうか。親が違う、育ってきた環境が違う、性別が違う、そんな男女が好きとか愛しているという理由だけで同じ屋根の下に住むのです。女はいつの間にか召使い扱いですし男は全部給料を使う事が出来たのにほとんど家に取られてしまって、なおかつ日曜日には小さい思いをして遊びに出かけなくてはならない、それでもまだ足らないと子供を生んでしまいます。毎食ご飯を作ってやらないといけないし子供が恥な行動を取れば「親がバカだ」と言われますから、こんな不自由な事はありません。しかし多くの人達が何故そんな生活を求めてやまないのか、それはその不自由な生活の中にこそ人間関係が生まれ幸せがたくさん見つかると知っているからではないでしょうか。とにかくひどい世の中ですから学校の先生はろくに怒る事が出来ません。それは人権、自由、平等とバカな親が騒ぎ訴訟が怖いからです。子供にいつからゴマをするようになったのですか?何故、子供のご機嫌を伺っているのでしょうか?大人というのは子供に尊敬されるべき存在でなくてはならないのに好かれようとしていませんか?ご機嫌を伺うから子供は調子に乗り、ワガママになり自己中心的になる、そして協調性を無くして社会や学校に適応出来なくなって不登校や引きこもり、ニートなどが出来るのです。二十歳になっても働かないで暴れまくるニートに人権があるなどと言う人がいるのですからおしまいです。厚生労働省のHPには「心療内科や精神科で病名が付いた人に関しては生活保護を受ける権利があります」と書いてあるので一度ご覧になってみて下さい。困った事に大方、そういった病院へ行けば病名が付くようになっているのです。例えばうつ病の症状として「最近、肩が凝る」「毎朝、起きるのがつらい」「毎日、仕事に行くのが嫌だ」などがありますが私も化粧を落として髪の毛を振り乱して精神科に行けば多分、人格障害という名前が付くと思います。また、ひきこもりが作っているサイトには「病院で診断書を書いてもらって役所に手続きに行くと色々言われるからバタリと倒れればいい、救急車でも呼んでもらえれば最高。後日、あなたが責めたから僕は倒れたと言えば一発で申請が降りるよ」というような書き込みもあり、このような「生活保護の楽な受け方」というサイトは他にもたくさんあります。その生活保護に払うお金を稼ぐのは誰ですか?私達の子供が払う事になるのです。子供達を自立させるのはどんな動物でも親となれば当たり前の責任なのに、それを果たせなかった親の尻拭いを子供がしなくてはならないなんてバカバカしい、やる気を出せという方が無理ではないでしょうか。やる気の無い子供を作っているのはやる気の無い大人で今の大人は事なかれで体がよくていい加減で適当、ここ一番に関わりを持たなくてはならないという時に優しく「がんばれよ」と言ってしまって答えにならない答えを出して平気で後ろ姿を見せて逃げてしまいます。人情や親心は死語になっている、子供は白黒を付けたがる者ですから尋ねられれば昔の大人はきちんと示しましていましたし、そんなのは自分で決めろとハッキリ言っていました。それなのにあいまいな返事しかしないから子供達は正しい事と悪い事の区別が付かなくなった、子供だって一生懸命に解ろうとしているのですからやる気が出ないのは当たり前なのです。
 今の大人は皆、子供を「お子さま」扱いしています。そうすると色々な事で無理が出てきます。当たり前の事が出来る子は序列の中で育つのが当たり前なのです。昔の母ちゃんは利口で子供の生活する家、社会、学校とそれぞれに尊敬する人をちゃんと作って教え込んだのです。私にも息子が二人いますので当然、尊敬する人間を作っておきました。家の中では主人、私は三つ指を付くような性格ではありませんが子供の前で絶対に旦那の悪口は言いませんでした。例えば子供がプラモデルを買ってとねだって来たら心の中では「誰が買ってやるものか」と思っていましたが、わざと「父ちゃんに聞かないと分からない」と言いました。実際には聞く訳はないのですが翌日、父ちゃんが何と言っていたか尋ねられると「何でそんなものを買ってやらないといけないのか、バカ野郎!」と言っていたと答えました。私は余分なものを買わなくて済みますし嫌われなくて済みます。主人は数年前に長男の名前を忘れたと言った男ですからそういう事を言えば忘れかけた父親の存在が子供達に蘇ってくる訳で、しかも格好良ければこんなにいい事はないはずです。そして子供は「親は子供の言う事を全て聞いてくれる訳ではないのだ」と「親しき仲にも礼儀あり」、遠慮して我慢する事を覚えるのです。もちろん弱い人、女癖の悪い人と色々なタイプの男性がいます。酒癖が悪くて大暴れする人がいたら当然、子供は怒って母親にどうにかしろと言うでしょうから母親はその時、どう答えれば得でしょうか?「お前だって良いところもいっぱいあるけど悪いところもあるよね。父ちゃんは昼間、良い奴で仕事も出来るし友達もいっぱいいる。だけどお酒を飲むと変身する、それが悪いところだよ。私はあの親父に惚れてお前を生んだのだからそのお前に悪口を言われるほどムカつく事はない。だから二度と言うな、以上」と言えば子供はそれ以後、何も言いません。そういう風に育った子供は社会に出ると人の悪口をやすやすと言わない、良いところを認めて我慢しながら付き合う事が出来ます。だから家の中に「お父様」というものを立てておけばこんなに楽な事はないのです。朝、ご主人を「あなた、行ってらっしゃい」とニコッと笑って送り出してやればいい、その後に化粧をして良い服を着て高級ホテルに行って五千円くらいのランチを食べて友達と悪口を言いあって、すっきりしたところで魚屋に行って四匹六百円くらいのサンマを買って帰って家族の帰りを待てばいいのです。
 先生に対しても昔の母ちゃんは「先生様」と子供に教えていました。そう教えておけば学校では最低限の勉強と規則を教えてくれます。私の子供は中学二年生の時に「今年一年、最悪」と帰ってきました。聞くと学校で一番評判の悪い爬虫類みたいな顔をした先生が担任になった、私も不運だなとは思いましたが「絶対に逆らうんじゃない。尊敬出来ないところがあったらお前よりも十年、二十年余分に生きただけの知恵は必ず持っているという点を尊敬しろ。先生の事は母ちゃんに任せなさい」と言いました。そして三者面談の時に先生が色々と無感情で話をされ終わった後に私が「実は私、前から先生の隠れファンなんですよ。今年一年、息子の担任に先生がなると聞いて人生バラ色です。うちの子を刺身にするなり煮込むなり好きなようにして下さい、心から信頼しています。今年は全ての授業参観に出ます、だって先生に会えますもの」と言うと先生の眼が話を聞いている内にピンクになってきました。嫌われている先生というのは感動も大きいようで「教師生活何十年、嫌われているという僕だったがこんな隠れファンがいたのか」と、どれだけ勇気と希望に繋がった事でしょう。私が授業参観に行ったのはうちの子をいじめていないだろうかという監視のためですが先生は何度もピンクの光線を私に送ってきましたので困りました。先生は心燃えて幸せな一年間が私という隠れファンの存在で過ごせたのです。そして隠れファンの息子に嫌がらせをする訳がありませんから私は一年間、自分の息子だけは守れた、息子は私を見て「女は怖い」という事が嫌というほど解ったと思います。世の中の渡り方が勉強出来た、女は強かに生きているのです。先生だってクチャクチャ文句を言う母親の子供など育てませんしゴマをすって頭のてっぺんからつま先まで全て信じていますと言えば燃えますから得です。
 それから「人様」、親よりも人様に迷惑をかけるな、友達を大事にしろと言うのが母ちゃんです。二人の息子は色々な友達を家に連れて来ていたのですが高校生くらいになると親もあまり心配しませんからなかなか帰ってくれませんでした。私は七時半には食事をさせたいのに皆は帰らない、でもかわいそうで帰れとは言えないので息子の部屋をノックして「ご飯食べるか?」と聞くと「ハーイ!」と言う、多い時には七、八人のご飯を作ってあげた事もありました。しかし人様の子供をかわいがれば自分の子供はその子達にかわいがってもらえるという話になって「こんなバカ息子に付き合ってくれてありがとう、たんと食べろ」と言えばいいのです。人様というものは素晴らしいもので親というのは子育てを十分にする事は出来ません。慣れや甘えがありますし親に叱られると子供はとてもムカつきますしベタベタまとわりつかれると気持ち悪がられます。どんな親も半端で社会に出す事になりますが一人前にして下さるのが「人様」なのです。子供は面白いもので他人様に叱られると素直に冷静に聞いて反省して努力するものなのです。他人、年上の方々にかわいがってもらおうとするから不思議なのです。そういうところで一人前に育てて頂ける、だから昔の母ちゃんは「人様、お父様、先生様」といって子供の行動するところ、生きるところ全てに尊敬する人を作っておいた、尊敬するから怖いのです。暴力で怖いのではなくて「この人に軽蔑されると怖い」と思うからこそ変な事をしなくなるのです。ところが今は「お子さま」ですから子供が中心のとんでもない世の中になってしまいました。戦国時代に今川義元という武将がいましたが幼少時代の徳川家康を人質に取った時の有名な話があります。義元は家康の養育係に「むごい教育をしろ」と命令しました。これはいじめろ、ひもじい思いをさせろという事ではなくて家康が欲しいという物、やりたいと言う事は全て与え、そして片時も側から離れず上げ奉って便利で豊かな暮らしをさせろという命令でした。そうすれば「うつけ者」になりますので社会に適応出来なくさせる狙いからむごい教育と言ったのです。今、社会は正に子供にむごい教育をしています。社会には確かな序列があって日本は社長がベンツに乗ったら部長はベンツに乗れない、物においてもすごい序列がある訳でその中で生きていかなくてはならないのです。それを教えるのが家庭の中の序列であり、学校の先生を尊敬させる教育であるのに今の母ちゃんは父ちゃんの悪口を子供の前でも平気で言う、そうすると子供は吠え出します。一族に百獣の王であるライオンのような存在は必ず一人はいます。そのライオンが経験も知恵もあり目的を持って吠えるのは素晴らしくいい事ですが、ワガママだけで知恵も経験もないライオンが吠えてしまったら最後には若いライオンが勝ってしまうのは当たり前で、そうすると女の子は自虐行為(リストカット、摂食障害、不純性行為)に至り、男の子は家庭内暴力を始める、殴られるのは父親ではなくて母親です。親は「社会が悪い、先生が悪い」と人のせいにしますが、かわいそうに最後は「お前が悪い」と言われるのです。丸い器に水をいっぱい張ってその中心に小石を落とすと波紋が広がって壁にぶつかって再び中心に波紋が戻ってきます。人の心はこの現象にそっくりだと本にも書きましたが優しい波紋を落とすとやはり波紋は広がって壁にぶつかりますが弱い力ですので吸収されてほとんど戻ってくる事はありません。でも何度も落としてあげると相手の心が満たされて必ず戻ってくるのです。嫌な心を落とすと嫌な波紋が広がって壁にはぶつかりますが吸収したくないからそのまま戻ってくるのです。だから子供の問題ではなくて親の問題、きっかけは外で出来ますが親、特に母ちゃんの問題です。私が長年関わった問題の九十八パーセントは母ちゃんの問題で「母ちゃんがさらっとあっさりしていて肝っ玉であれば問題は起こりません」と言い切る事が出来ます。母ちゃんが「世間が悪い、旦那が悪い」と言って母ちゃん自身が社会や学校に適応していないのに子供が適応するはずはないのではないでしょうか。旦那や先生、社会の人達を立てまくって尊敬しまくれば子供を委ねる事が出来ますから母ちゃんはその間に手を抜く事が出来る、サボれるのです。学校の先生に「いつもうちのバカな息子を預かって下さってありがとうございます。先生がどちらに住んでいるかは分かりませんが足を向けて寝ていませんから」と言えば気分を悪くする方はいらっしゃらないでしょう。立てておけばサボれるし立てなければあなたが最後に捕まるよ、という事なのです。「強か」というそんな簡単な事を分かっていない、「薫陶(くんとう)」という言葉がありますが薫は香(こう)を焚いて香りをゆっくりじっくりしみこませる様子、陶は土を練って形を丁寧に整えながら器を作るがごとく教育しようとする人間自らが徳を積んで見せる事を言います。例えば玄関を開けると床が見えなくなるほど物が散乱していたり下駄箱の上に一輪挿しがあるけれどドライフラワーになっていたりするようなところから出てくる母ちゃんはだらしない、そしてその後ろから出てくる子供もだらしない顔です。だから人を責めるとか子供を責めるのではなくて怒りたかったら自分自身の心に怒れ、叩くなら自分を叩けと言いたいのです。問題を持っている家庭の全ては「お子さま、お母様、父ちゃん」であると言えます。母性で大きく偏っていてどうにもならないのです。それを「父ちゃん、母ちゃん、子供」とすれば全て直った、だから子供の問題は簡単なのです。序列が変われば直るのに薬物や色々なものを入れて混乱させていますが中には病気の人もいるでしょうが簡単に心療内科に行けとは言わないで下さい。睡眠薬と精神安定剤は覚せい剤と一緒で飲むのは簡単ですが止めるのはとても難しいのです。家族の愛情がないと止められないものを今の小学生がどれだけ飲んでいるかご存知ですか?


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION