8. 「親学を埼玉から全国へ」講演録
講師:高橋史朗
2006年 師範塾親学フォーラム・イン秩父 講演
「親学」を埼玉から全国へ〜家庭からの教育再興〜
師範塾理事長 高橋 史朗先生
私は三十歳の時にアメリカへ留学して二百四十万ページにも及ぶ占領軍資料を読んできました。日本が戦後、何を得て何を失ったのかという勉強をしてきたのですが帰国した翌年に教育審議会に参加させて頂き毎週三時間、教育改革に関しての議論を行ってきました。そこでトップダウンの教育改革で本当に子供は変わっていくのだろうかという疑問を抱くようになり現場主義になりました。大学で授業のない日は学校現場へ赴いて先生方と話をするようになりました。文部科学省のある幹部の方が「百の教育施策よりも一人の教師を変えていく方が大切だという事に気付いた」とおっしゃっていましたが私も同感です。教育基本法を変えようという改正論議が起こりましたが、どんなに愛国心や宗教的情操を基本法の中に盛り込んでも誰がどのように子供達にその心を伝えるのかが大事で全ては人にかかっているのです。まもなく『教師と親が日本を変える』(PHP出版)という本が出版されますが教育が変わるというのは自分が変わる事、親と教師がまず変わる事から教育改革を始めようという思いで今日、ここに臨んでいます。親に対してもっと明確なメッセージを送る必要がある、もっと明確な心、長田先生の話の中にも「親心」という言葉が何度か出てきましたが今、この国の親が肝っ玉母ちゃんのような親心を失っている、それをどう取り戻すかが親学というものだと思っています。親学という言葉を初めて聞いた方も多いと思いますが、この言葉は「親になるための学び」「親としての学び」という二つの意味を持っています。親になるための準備教育と親が親として人間として成長していく親心が成熟していくという意味での親学です。これを家庭からの教育再興という事で大きなうねりを作って行きたいと思います。それでは家庭からの教育再興を誰が担うのか、それは保育所、幼稚園、小中学校の教育機関の教師が要になって今まで教師は子供に対する指導力だけでしたが、これからは親に対する指導力が求められてきます。親は勝手で自分以外の誰かが悪いと文句を言って来ますので先生は引いてしまいます。しかし引いてはいけない、そういう親達にどういうメッセージを伝えるかが今、教師達に問われています。私が埼玉師範塾で是非、講演をして頂きたいと思っている方達はそのメッセージを明確に伝える事の出来る人ばかりです。長田先生、森先生には埼玉師範塾の講師になって頂きたいとお願いしている段階ですし、もう一人は山城先生という広島で半分くらいの生徒が退学している高校の女性校長先生に依頼をしました。この学校は学級崩壊ではなくて学校崩壊、生徒が教室で出前で頼んだ色々なものを食べながら無法地帯と化しているのに先生方は「子供達は学歴社会の犠牲者で教育委員会や文科省の間違った教育施策で、どこにも居場所がないから心の居場所を守ってあげましょう」と何もしていなかったそうです。当時、教頭先生だった山城先生は「あなた方は掃き溜め症候群だ」と言って校門前にテントを張って遅れて登校してきた一人ひとりに丁寧な指導をされたのです。第一番のキーワードとして「真施(しんせ)」という言葉を申し上げたいと思います。この言葉は「心を込めて尽くす」という意味ですが親や教師がどれだけ心を尽くして本気で心を伝えるか、全てこれにかかっていると言っても過言ではないのではないでしょうか。そして「校則を破ってきた子は一日休んだとみなす」と通告したので校内は一気に服装が変わりました。それは上から管理しているのではなくて、ものすごく厳しい先生ですが温かさがあっての事でした。また私が感動したのは半分以上の生徒が退学していた学校であったにもかかわらずイエローハットの鍵山会長が実践しておられる「手でトイレ掃除を行う」という事を先生、親、生徒が行ったという事でした。呼びかけには三百人以上の人が応じたのです。今、荒れている学校で緊急PTA総会をやっても数十人の参加しかないところもあるのに三百人以上も集まるという事は先生が親に対して引かなかったという事なのです。「あなたが悪いといっていては何も変わらない。学校が悪い、教師が悪いと言っていては駄目だ。あなたが変わらないと子供は変わりません」、と訴えそして学校は甦ったのです。これがある意味で教師が親に指導力を持った例です。
この会のテーマを脳科学と親学とした第一の理由は最近、相次ぐ凶悪事件が頻発している事に端を発します。マスコミは「心の闇」とコメントしていますが文科省で脳科学の検討委員をされていたアスペルガー障害の第一人者は「相次ぐ凶悪事件の背景は心の闇ではなく脳の問題だ」とおっしゃいました。森先生が前頭前野についてお話して下さいましたが、この部分の機能低下が最近の凶悪事件の共通背景であるという事を明らかにされたのです。例えば神戸の児童連続殺傷事件、佐世保の同級生殺害事件、愛知県の主婦殺害事件、長崎の男児殺害事件など他にもたくさんありますが、これらは共通の問題が背景にあります。最近ではタリウムという薬物で母親を殺害しようとした高校一年生の女子学生がいました。この子の病名もアスペルガー障害という事が既に報告されています。父親は今まで娘の心を理解する事が出来なかったのですが報告を知って「俺はお前を許す」と面会時に言ったのだそうです。そして「自分の罪を償って障害を治して早く戻って来い」と言ったら今まで容疑を否認していた子は一変して犯行を認めたのだそうです。今、この国の若者達に何が欠けているのか、それは「他者と共に生きる力」なのです。これを支えているのは共感性、社会力、抑制力なのですが共感性と抑制力は何によって育つかというと「父性、母性」で、ここに脳科学と親学が繋がっていくのです。
小沢民主党党首と小泉首相が党首討論を行なった時に小沢さんが「教育の責任はどこにあるか」と尋ねたら小泉さんは「親、家庭にある」と答えました。小沢さんが言って欲しかったのは「教育行政に責任がある」という答えだったのですが小泉さんは意図的にそこを外したようです。また小泉さんは「しっかり抱いて、そっと降ろして歩かせるというのが日本人の大事な知恵だ」とおっしゃいました。これが日本人が大切にしてきた子育ての知恵、脳の発達段階に応じて親が子供にどう関わるかという核心が全て込められているのです。第一の段階はしっかり抱くという「愛着」で佐世保の同級生殺害事件がこの事をよく物語っています。小学校六年生の同級生を殺害した女の子は命を奪ったという事の重大性を実感出来ない、遺族の悲しみを実感出来ないでいました。それなのに思いやりを持ちなさい、自主性を尊重しなさいと教えても無理です。長崎大学佐世保支部の報告書には「小さい時に甘えず依存しなかった」とあり、つまりしっかり抱かれるという愛着のプロセスがすっかり抜け落ちていた訳です。子供はまず一番信頼出来る大人に甘え依存し次は反抗しながらやがて自立していく、これが発達段階というものです。この愛着というプロセスが母性と関わっていて、その特性は「包み込む」というものです。「下へ降ろす」というのは父性で、その働きは「切る」というもので子供のワガママと対峙するものです。私の父は私が中学一年生の時に参加した弁論大会の練習を一緒に山に登ってしてくれ、そして大会の本番には原稿を持って行ってはいけないと言いました。私は必死に抵抗して一応、原稿を持って行かせて欲しいと頼んだのですが駄目でした。今のお父さんなら仕方なく絶対に原稿を見るなよと言って持たせてくれると思うのですが子供の不安に共感するのが父性ではなくて、その不安に対して「絶対に大丈夫」と押しやる信念や情熱が父性で、それによって子供に大丈夫という心が育っていくのです。母性の特徴は「慈愛」、慈しみの愛で父性の特徴は「義愛」、秩序感覚やルール感覚、規範意識や人間としてのマナーというものは教えなければならないのです。太陽の暖かさと北風の厳しさという二つの関わりによって初めて子供は一人で歩く事が出来るのです。今、この国の子供達が何故、自立出来ないのか、それはこの二つのプロセスが欠けているからなのです。つまり子供の問題ではなくて大人の関わり方なのです。そして「三つ子の魂、百までも」と言ってきた一番大事な愛着、その基盤はお母さんが無条件でおっぱいをあげるという信頼関係なのです。人間関係能力や社会性、共感性というのはここが原点なのです。母子関係が崩壊してしまえばどんなに思いやりや共感性を持ちなさいと言っても、あるいは社会力というのは人間を構成して繋がっていく力ですが他者と共に生きる力が欠けている根本にある問題は共感性、抑制力の欠如です。今、中学生の六割に反抗期がなくなったそうですが、それは厳しいお父さんがいなくなったからです。昔は元服というものが存在しましたし厳しいお父さんを乗り越えようとしていましたが今はそんな親はほとんどいなくなり「厳母に甘父」が圧倒的に多くなったのです。ある地域で親に関する標語を集めたら「父よ何か言ってくれ、母よ何も言わないでくれ」というものが出てきたそうです。お父さんは職場では存在感があるけれども家ではない、もっと家庭で存在感を発揮してもらわないとこの国の未来はない、父親も変わらないと教育再生は出来ないと思っています。
私は不登校、学級崩壊、高校中退などの問題で各地を回ってきましたが十年ほど前からもう間に合わないと感じていました。NHKの『おはよう日本』では七百件近い相談を受けました。小学校一年生が学級崩壊しているのは小学校の問題ではなくて小学校に入る前の教育と小学校に入ってからの教育に断絶があるからです。入学前の教育で自由は放任と間違われていて学校に入ってから躾を問われても急には無理なのです。もう対処療法では間に合わない、根本療法は家庭の教育力を高める事なのです。親が変わるというところに本格的に力を入れないと、どんなに先生方ががんばっても駄目なのです。あるいは子供が大きく変わったというのは言う必要がないくらい皆さん方もご承知の事だと思いますが、その背景には先ほどから申し上げている事や睡眠不足の問題があります。二〇〇〇年に午後十一時以降に就床していた一歳児は五十四パーセント、その十年前は三十五パーセント、更に十年前の一九八十年には二十六パーセントで子供の睡眠がドンドンと夜型化してきて睡眠障害が増えています。『脳内汚染』という本にあるように内なる自然破壊が起こっているのです。外なる自然破壊は大気汚染やオゾン層破壊など分かりやすいものですが脳は機械を使って働きが映像化出来るようになったとはいえ、その深刻さに親は気付いていないのです。その原因の一つがゲームのような環境の変化、そして食生活の問題で栄養の偏りや間食の増加、柔らかい物ばかりを食べるといった変化が子供に影響を与えているという事に親はもっと耳を傾けなければならないのです。あるいは朝、食べない小中学生が二割くらいいるのですが、それは学力低下に繋がっているという報告もあります。広島県の小学五年生の調査では朝食を食べている子と食べていない子では国語の成績が十五パーセントも違うというデーターが上がってきました。それからコンビニ弁当、インスタント食品に違和感を覚えていないお母さんも増えてきています。私達は合理化と効率化で経済成長を遂げました。私は二十数年間、合宿を行っているのですがその施設で多動や情緒不安定の子が多くなってきました。何が原因か分からなかったのですが若い先生が機械の導入が原因ではないか、確かにそれしか思い当たる節がないので機械を止めてみると見事に奇声や多動が止まりました。この話を聞いた時に「育む」という言葉を思い出しました。この言葉の語源は羽で含む、親鳥が子供を抱きしめる愛着なのです。心が育つというのは一対一の心の温もりなのです。神戸の児童連続殺傷事件を起こした少年には特別プロジェクトチームが作られて七年の歳月をかけて訓練が行われました。お父さん役、お母さん役というようにして一対一の心のこもった教育をして人間的な心を取り戻したのです。心が育つというのは一対一の手間隙かける手作りの関わり方でしか成り立たないもので合理化や効率化は出来ないのです。経済を成功に導いてきた原因が実は子供達の心、親心の崩壊に繋がったのだという事を知らなければならないのです。今、子供達の教育という事を考えた時に手作りの教育というものをどう取り戻すのか、手間隙かけるというプロセスをどう回復するかが鍵になると思います。千利休は「聞く作法、守り尽くして破るとも離るるとても元を忘るな」と言いましたが「守破離(しゅはり)」の精神は教育の原点とは基本の型を守り継承させるところから、これは強制ですがそこから始まるのです。子供には自己決定権があると言う親がいますがそれは発達段階というものを分かっていないのです。まず基本の型をきちんと継承させる事が大切で柔道や剣道などの「道」の文化を考えると分かりやすいのですが基礎を学ばなければ応用を学ぶ事が出来ません。子供には個性があるのだから押し付けるのは嫌だ、我が家には我が家の方針があるなどと言う親もいますが子供の脳の発達段階において三歳で七割以上出来上がる、そして臨界期というものがあると理解しておかなければならないのです。日本学術会議が昨年の六月に「子供の心 特別委員会報告書」というものを出していますが簡単に言えば臨界期というのは「その時期を逸すればそれ以上は育たない」という事なのです。これに関しては「狼に育てられた少女カマラ」という有名な話があります。彼女は小さい頃に狼の中で育ったために後からどんなに教えても四十語以上の言葉を習得する事が出来ませんでした。またユニセフは子供白書に「三歳までにどう関わるかが子供達に消す事の出来ない刻印を押す事になる」と書いています。文科省の情動の科学的体系と教育等の応用に関する検討会では六つの提言がなされました。第一は「社会的適応能力、人間関係能力形成のためには愛着形成が重要である」、第二は「乳幼児期の教育」で一番大事な情動というものは五歳くらいまでに原型が形成されるという事だからです。教育基本法改正論議で政府案と野党案の両方に入っていた条文は「家庭養育」、もう一つは「幼児期の教育」でした。双方は協議してから案を出した訳ではなかったのですが共通の問題意識があって親に教育の大きな責任があり親の教育が大事だというメッセージを代弁しているのです。それから幼児期にどう関わるかが大切で日本人の「三つ子の魂、百までも」という子育ての知恵を最先端の脳科学が見事に証明している事でも明らかです。
親学はどこから生まれたかというとトーマスという学長が今から五年前に世界学長会議で「親に一番足りないのは親学である」という発言をして五年前の三月に「親学会」というものが発足しました。先ほども申しましたが「親が親になるための学び」という大切なポイントがあるのです。タリウムで母親を殺そうとした高校一年生の女子生徒の日記にはたった一日だけ人間的な記述がありました。それは幼稚園児と触れ合った時の事で自分を必要としている子達と過ごした事で存在価値を感じ癒されたというものでした。幼児の世話をする事で前頭前野が活性化して人間性というものを獲得していく訳ですが、この一番大事な時期に子育ての害があります。生まれてすぐに子供を保育器に入れてしまい新生児室に離されてしまいます。また生後、間もない子を預けて働きに出たお母さんに何故すぐに保育所に預けたのかを尋ねると「愛着心が湧かないうちに預けた方がいいと思ったのです」とおっしゃいました。今、親の都合に対して保育サービスの充実という言葉は向けられていますが本来は子供に向けられなければならないのです。少子化が起きている最大の理由は未婚化、晩婚化で結婚して子供を産み育てたいという想いが段々と希薄になっている女性にどう働きかけるかが一番の核心なのです。ところがこの国は働いている女性、労働者しての親を支援するという事に偏っています。もちろんそれも大切ですが外国の子育て支援には「教育者としての親を支援する」という柱があるのです。親を教育するというのは親になるための学び、子供を育てる事の喜びや意義というものをもっと実感出来るような場を作ったり保育所や幼稚園に小中学生が行って赤ちゃんを抱いたり保育士が働いている姿を見ながら子供を育てる事の素晴らしさをもっと実感する必要があると思います。厚生労働省の若い人の意識調査では四分の三が「子育てに不安を持っている」という回答がありました。そして何故イライラするかという理由は「自分の自由時間が奪われる」からだそうです。つまり子供を育てるという事は自由時間を奪われる事だと考えるようになったのです。しかしメイヤーは著書の中で「自分の自由が奪われるというのは自分の存在価値を感じて幸せになる事ではないだろうか」というような事を記しています。自由というのは自分を必要としている人と接する事、つまり時間は不自由になるけれども心は幸せに喜び溢れるのだと言っているのです。
|