師範塾は五年前にスタートました。それから杉並師範課を四月にスタートしました。九月には埼玉師範塾を開設します。私は一年半前に教育委員に就任させて頂き、親と教師の意識改革が一番大切な課題だと考えるようになりました。そしてキーワードは「主体変容」、要するに教育の主体が変わる事ですが子供を変えようとしてもなかなか変わらないけれど親が親心を、教師が教師心を取り戻し真施に徹する事しか子供が変わる道はないのではないでしょうか。スキルではなくてどうやって子供達に熱い心を伝える事が出来るのか、私は学級崩壊をした現場を数多く訪問しましたが学校が回復した理由は技術ではなくて先生方が必死になって席に着かない子供達に真施の心をぶつけたから、その熱意に打たれた子供達が席に着くようになったという事だけなのです。ところが一人の力だけでは駄目で全職員が一致団結して親と協調して大人が連合戦線を組んでいかないといじめも不登校も学級崩壊もなかなか減らないのです。「親が変われば子は変わる」と私が言うと「先生、親はなかなか変わらないから子供が変われば親が変わる方が大事です」と言う人がいました。松山青年会議所が「親の○○コンテスト」というものをやりまして作品が千点集まりました。二年目は松山市内の全小中学生が親に対する思いを書いてきたのですが子供が求めているのは本当に素朴なのですが「親と心のふれあいがしたい。日常のささやかな中で温もりを確認したい」という願いが共通していました。
外国には今、親教育プログラムというものがドンドン広がっています。アメリカは五十州で「教師としての親プログラム」というものがあります。EUとオーストラリアでは「○○」ニュージーランドでは「○○としての親プログラム」があります。ニュージーランドでは親を子育てから解放するのではなくて家族が一緒に成長していくというプレイセンターを作っています。カナダも親教育プログラムを持っています。親を親として育てる、これを親支援というのですが日本でも親学というものが少しずつ増えてきました。これからは親になるための学習が必要だと中教審も動かしました。平成十六年三月に文科省の生涯学習分科会が発表したものに家庭教育の支援が入っていました。「家庭教育の向上を図るためには学校や地域において出来るだけ早い段階から親になるための学習の充実を図る」、親になるための学習の充実とは親が親として子供の成長を通して親が成長していくという学習なのです。この国は親というものが成熟に向かっていない、例えばこんなデーターがあります。「親が子の犠牲になるのはやむを得ない」と答えた親は世界平均七十パーセントなのに対して日本は三十八.五パーセントで七十三カ国中七十二番目だったのです。一体、日本はいつそんな国になってしまったのでしょうか。「日本人は心の民族だ」と岡潔(おかきよし)は言いました。親子の絆を大事にしてきた民族、でもその絆や親心が崩壊すれば学校の道徳で優しさや思いやり、人権尊重といっても根がないところに花を咲かせようとするのと同じで土壌が乾いていれば素晴らしい花でも咲く事はありません。何故、家庭からの教育再興なのか、親心を失えば子供は優しさを学ぶチャンスを失う事になるからです。私は大学時代にペスタロッチの「人類から戦争を無くす唯一の道は母と子のスキンシップを回復するしかない」という言葉を学んだ時にはレベルが違う、誇張ではないかと理解が出来ませんでした。しかしこの歳になってそれは自然な事なのだと理解出来るようになりました。テロが起きるのは憎しみの連鎖、虐待が起きるのは世代間連鎖で自分自身も虐待を受けてきた親がいるからです。その世代間の連鎖、憎しみの連鎖を断ち切るのは愛着以外にはないのです。そんな気の遠くなるような話をするなという方もいらっしゃるかも知れませんが、ここからしか教育は再生しないと私は思います。
ところが一番話を聞いてもらいたい親にはメッセージが届かないのです。父性、母性などと言うと男らしさ、女らしさに繋がって差別だと言う方がいる、まずはその誤解を解いていかなくてはならないのです。父性的な係わりと母性的な関わり、太陽の光のような優しさに裏打ちされた厳しさこそが子供達を変えるのだという事を明確にこの国の親達に伝えていかなくてはなりません。そしてそれをどこで伝えるかといえばこれからは幼稚園や保育所、学校が親の学びを深める拠点にならないといけないのです。今日の講演をお聴きになって「変わっていた講演だったなあ」と思われるでしょうが、その意識は一週間くらいで消えるでしょう。「気付き」は継続する場があって初めて続くものですから、どうやって気付かせるかが大事なのです。日本が高度経済成長期にあった頃はほとんどの家庭が三世代同居でしたので家におじいちゃんやおばあちゃんによって子育ては助けられていました。ところが今は教師の教育力が問題だと言われています。しかし教師を支えてきたのは家庭と地域の教育力があったからだと思うのです。今は子供が教師に殴られたから訴えるという風に親が変わったのです。だから先生ががんばっても燃え尽き症候群になって教育力が落ちてくる、それでは困るのです。一人からの教育再興、まず自分が元気になり子供とどうかかわるかを脳科学に基づいて先生は親を説得していかなくてはならないのです。納得させるように語る、本日ご紹介したようなデーターをドンドン示していけばよいのです。私は感性教育の専門家ですが講演が終わった後、「素晴らしいお話でした。でも受験は大丈夫ですか?」と言われる事があります。そこで人間性というものが大事、二十一世紀の教育改革の課題は「人間力をどう高めるか」、人間力は前頭前野の働きを高める事が大切なのです。
重度の脳性小児マヒに罹った少年の詩を読みます。
「お母さん僕が生まれてごめんなさい」
ごめんなさいね お母さん
ごめんなさいね お母さん
僕が生まれて ごめんなさい
僕を背負う母さんの 細いうなじに僕は言う
僕さえ生まれなかったら
母さんの白髪もなかったろうね
大きくなったこの僕を背負って歩く悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
冷たい視線に泣くことも 僕さえ生まれなかったら
ありがとう お母さん
ありがとう お母さん
お母さんがいるかぎり 僕は生きていくのです
脳性マヒを生きていく 優しさこそが大切で 悲しさこそが美しい
そんな人の生き方を 教えてくれたお母さん
お母さん あなたがそこに いるかぎり
もう一つ紹介します。
母さんありがとう
母さんが守ってくれた命
ありがとう母さん
僕は今、たくさんの温かさを学びました
何も出来ない僕だけど なんとなく幸せです
母さん 小児マヒにしてくれてありがとう
最後は神戸の児童連続殺傷事件でA少年に殺された山下彩花さんのお母さんが書いた詩です。
もし私があなたの母であるならば
真っ先に思いきり抱き締めて共に泣きたい
言葉はなくとも一緒に苦しみたい
今まで○○時には母である
私を越えてどこを見ていたのでしょう
私の声があなたの乾いた心に届き
揺さぶる事はなかったのでしょうか
あなたが甘えてくる事を○○
大切に育ててきたのだと教えてきたでしょうか
思い切り抱き締めて
温かい血の流れを伝えてきたでしょうか
そしてあんな恐ろしい事をしてしまうまで
自分を追い詰めてきた事に
どうしてもっと早く気付いてあげられなかったのでしょうか
たった一人の母なのに
どうして分かってやれなかったのでしょうか
まだ続きはあるのですが割愛させて頂きます。
私は奈良県で豚の出産シーンに立ち会うという授業を拝見して大変感動しました。小学校低学年の子達が皆、涙を流して豚の出産を応援していました。その後に自分の母親が書いた自分を産んでくれた時の文章を読むとほとんどの生徒が泣き崩れていました。自分という存在が待ち望まれて産まれてきた、喜んでくれていたのだという事が明らかになったからです。子供が一番求めているものは自分の存在価値や生きる意味なのです。それを子供達にしっかりと肯定的な言葉で伝える、そして私の父が私にしてくれたように「大丈夫」と言って頂きたいと思います。親学というものをまずは埼玉県全体に広げ、「日本一の教育実現 埼玉県」というスローガンもありますが名前だけではなくて本当に実現して全国に発信していきたいと思います。親学アドバイザー養成講座、親学プログラムというものをPHP研究所と埼玉県内の先生方が一緒になって作成して下さっています。それを是非、秩父から発信していきたいと思っていますし皆さんにも改めてご紹介したいと思います。九月には埼玉師範塾を立ち上げますので先生方は入塾して下さい、ご清聴ありがとうございました。
|