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解説:失語症とは
 言語障害は、例えば手足の欠損や麻痺などの身体障害と違って、目で見ることができません。そのため、他人から理解されにくく誤解を受けやすい障害です。とくに失語症は、大脳の疾患によって生じますから余計にわかりにくく、時にはご本人やご家族にとっても理解しがたいと思えるようです。
 ここでは、失語症の障害をどのように理解したらよいのか、言語機能の障害という側面とコミュニケーションの障害という側面から解説したいと思います。ただし、もう1つ重要なことがあります。それは、どんな障害であっても失われた機能よりも残された機能の方が圧倒的に多いということです。失語症も例外ではありません。失語症になっても残される能力・機能についても改めて確認したいと思います。
 
1. 失語症で障害されること
(1)言語機能の障害
 失語症とは「(1)大脳の器質的病変に起因する、(2)いったん獲得された言語記号(音声言語と文字言語)の、(3)表出と理解の障害」と定義することができます。
 (1)が示すように、失語症の原因となるのは脳血管障害、脳腫瘍、脳外傷など大脳にダメージが加わるような疾患や事故です。ストレスによって直接、失語症になることはありません。(2)が示すように、子どもの言語発達の障害は失語症とは言いません。ただし、正常の言語発達の過程で疾患や事故によって大脳に損傷を受け言語機能が低下した場合は、失語症(小児失語症)といいます。(3)が示すように、失語症とは言語記号操作の障害です。すなわち失語症では、ことばを話すことだけが障害されるのではありません。ことばを聞いて理解すること、文字を読んで理解すること、文字を書くことも何らかの程度に障害されます。
 次の図は、「りんご」という単語を聞いたり、話したり、読んだり、書いたりする時の言語情報の流れを模式的に表現したものです。言語障害の中でも、聴覚障害はAの部分の障害です。したがって、ことばを聞いて理解することに困難が生じますが、話すこと、読むこと、書くことには問題はありません。Bの部分の障害は音声障害構音障害です。声帯や唇、舌などに欠損や運動の麻痺などが生じると、ことばを話す(声を出したり発音する)ことに困難が生じます。しかし、聞くこと、読むこと、書くことには問題はありません。
 
 
 失語症はこの図のCの部分、すなわち言語記号(言語表象という言い方もあります)の操作に障害が生じるものです。したがって、ことばを話すことだけでなく、聞くこと、読むこと、書くことの、言語活動のすべての経路に困難が生じます。これが聴覚障害や音声障害、構音障害と異なる失語症の大きな特徴です。
 失語症にみられる主な症状としては以下のものがあります。
・語想起の障害(適切な単語を思い出すことの障害)
例)りんご→「うーん何だっけ」
・錯語(単語の言い間違い)例)りんご→「みかん」「りんと」
・文法の障害 例)りんごを食べたい→「りんごと食べたい」
・発話流暢性の障害(たどたどしく発音不明瞭で聞きとりにくい発話。これがみられる場合を非流暢性失語といいます。ただし約半数の人は、これがみられない流暢性失語です)
・ことばを聞いて理解することの障害
・文字を読んで理解したり、書くことの障害
 ただし、聞くこと、話すこと、読むこと、書くことのすべての経路に障害が生じますが、それぞれの経路の困難さの程度は人によって異なります。そしてリハビリテーションは、大きく2つの方法で行われます。1つは、その方にとって不得意な経路の訓練をして、それを克服することを目指すアプローチです。そしてもう1つは、その方にとって相対的に得意な経路を利用して、不得意な部分を補いながら有効なコミュニケーションの実現を目指すアプローチです。ぜひ後者の視点、すなわち欠点を克服するだけでなく長所を伸ばすことも大切にして、リハビリテーションに取り組んでください。
 
(2)コミュニケーションの障害
 ことばは人間同士のコミュニケーションにおいて中心となるものです。したがって、失語症ではコミュニケーションに障害が生じます。
 コミュニケーションには2つの要素があるといわれています。1つはトランザクションの機能、すなわち情報伝達の機能です。失語症者は、例えば自分のしたいことをことばで伝えたり、ことばで示された相手の要求を正しく理解することに困難が生じます。加えて、コミュニケーションにはもう1つ、インタラクションの機能があります。インタラクションとは直訳すれば相互作用、言い換えれば社会的関係を作るという機能です。例えば「おはよう」という挨拶には、情報伝達の機能はほとんどありません。しかし、社会的関係を作ったり保ったりするためには、とても大切なことばです。失語症者はコミュニケーションのインタラクションの機能にも問題があるため、社会的に孤立しやすい潜在的リスクを抱えているといえます。
 ただし、コミュニケーションは正確なことばによってのみ行われるものではありません。ある学者は、「2者間の対話では、ことばによって伝えられるメッセージは全体の35%に過ぎず、残りの65%はことば以外の手段によって伝えられる」と述べています(Birdwhistell, 1970: ヴァーガス著「非言語コミュニケーション」新潮選書より)。ことばが十分に使えなくても、例えば欲しいものがあれば指で差して情報を伝達する、それを渡してもらったらにっこり笑って社会的関係を保つ、というコミュニケーションの方法もあります。
 指差し、ジェスチャー、表情、視線、声の調子、身体接触などの非言語的手段はコミュニケーションに有効です。また、単語の羅列などの断片的発話、迂回表現(りんごを「赤くて丸い果物」と言うなど)、“あれ・それ”などの代名詞の使用、書字・描画などでコミュニケーションを成立させることも出来ます。失語症者も周囲の方も、「正確なことば」に必要以上にこだわらずに、コミュニケーションを楽しんでください。
 
2. 失語症でも障害されないこと
 上では模式図を使って失語症の障害について説明しました。しかし、この図はもう1つ重要なことを示しています。それは、失語症では図のDの部分、すなわち「概念」は保たれるということです。ここでいう概念とは、例えばりんごなら「赤くて丸い果物である」という知識のことです。認知症であれば、ある程度進行すれば概念のレベルにも問題が生じます。しかし失語症であれば、例えそれがどんなに重度のものであっても、概念自体には障害は起きません。
 失語症は困難な障害です。しかし失語症であっても、ことばを介さない能力は基本的には保たれます。例えば、ものや人に対する知識、過去の出来事の記憶や経験、非言語的な判断力・思考力、感情、社会的な常識や礼節、もともとの人格・性格などです。
 失語症は知性そのものの障害ではありません。ことばという、知性を表現するための一手段の障害に過ぎません。失語症者と関わる方々には、失語症でことばが障害されても、知性やそれ以外の多くの能力・機能は病前と同じように保たれるということを、是非ご理解いただきたいと思います。
(中村 光)
 
挿絵に掲載した作品の作者一覧
 
 《これらは【言葉の海】掲載分と、各地の会報の中から使わせていただきました。》
 
作者氏名 都道府県名 所属友の会 備考
竹渕哲郎 長野 諏訪地区言語障害者友の会「かりん言語の会」
林 吉止 東京 目黒区失語症友の会「椎の木の会」
内田信也 埼玉 大宮失語症友の会
倉田捷吾 和歌山 和歌山失語症友の会「紀の国会」
小谷和義 北海道 北海道失語症友の会「北の会」 版画
寿柳裕子 福岡 福岡失語症友の会「はげみの会」 五行歌
佐藤武夫 東京 杉並失語症友の会
吉田英輔 千葉 市川失語症友の会「げんき会」
北島 満 石川 石川県失語症友の会 書道
長坂勝俊 石川 石川県失語症友の会
石本二郎 福島 会津失語症友の会
沖野幸子 石川 石川県失語症友の会
小沼信幸 福岡 福岡失語症友の会「はげみの会」 五行歌
鳴海敏彦 神奈川 言喜の会
滝沢教子 東京 立川失語症さくら会 絵・短歌
小西 弘 石川 石川県失語症友の会
武内 弘 福岡 福岡失語症友の会「はげみの会」 五行歌
園部金三 山形 特定非営利活動法人庄内失語症友の会
高橋 稔 北海道 北海道失語症友の会「北の会」
濱上禎輔 愛媛 松山失語症友の会
山瀬弘二 千葉 (船橋市在住)
巽 美栄子 東京 目黒区失語症友の会「椎の木の会」 書道
島田サキミ 熊本 熊本たくま会 五行歌
山口榮一 神奈川 藤沢言語友の会
大谷弘之 埼玉 大宮失語症友の会
越知 毅 埼玉 大宮失語症友の会
中村俊夫 愛媛 松山失語症友の会
長谷川まなみ 福岡 福岡失語症友の会「はげみの会」 五行歌
太田 武 福岡 福岡失語症友の会「はげみの会」 五行歌
新山永次 福島 会津失語症友の会
朝倉尚子 東京 北多摩失語症友の会
森川隆二 千葉 忘れな草友の会
大槻富士彦 熊本 熊本たくま会
藤田貞一 福井 福井県失語症友の会


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