根室への修学旅行
私は根室(ねむろ)には六年生のときに。天皇陛下がいらしたときに、修学旅行をかねて。そのとき初めて根室に。六年生と高等二年は一緒さ。人数が少ないから。キャンプも一緒に。小漁師が大半だったからね、十六、七人ぐらいです。六年生までが義務教育でしたね。
古釜布から運搬船に乗って、六時間半か七時間ぐらい。明るいうちに着きました。そのころは船着き場は蒲鉾(かまぼこ)型した石が積んであった。まあるく造ってあるんですよ。そこで降りるんです。そこに艀船(はしけぶね)を付けて。
(根室の町は)珍しかったねぇ。ヤマキ*っていうデパートと白木屋(しろきや)*というのが、まだ空襲で焼けてなかったからね。これは今、白木屋は(大地みらい)信用金庫の本店になっているんです。デパートの建物は三階か四階建て。物がたくさんあるのはびっくりした。
汽車に乗ったのも、そのとき初めて。落石(おちいし)まで。そのころ落石無線*って有名だったんです。無線局だから、トンツーツって。中継所ですね。アンテナがありました。択捉島は無線電話であったらしい。国後は根室から電線引っぱてたけど。そこを汽車で見学しにいったんです。
汽車は聞いたりしたことはあったけど、初めてだったから、ああ、こうして走るんだなぁと。そのころはディーゼルじゃなくて蒸気で石炭を炊いてね。みんなびっくりしてました。窓から顔を出して。
根室駅
その日は小谷木(こやぎ)旅館に泊まりました。旅館の窓から外を見ていたら、すぐそこで卵を配達に来た人が転んで、卵を全部壊してしまってね(笑)。割れちゃったから、その人が「お前たちも飲め飲め」って言ってわけてくれた。
自分のうちでは鶏を飼ってたけど、卵は運動会とか行事があるときしか食べられなかったね。あの頃の島は、卵が保たない(もたない)んだよね。自分とこで十羽ぐらい飼ってんだ。でも生まない。食べ物のせいなんだか。ある時、中二階の倉庫の中のムシロに生んでいたことがった。もう何十個も。そういうこともあったね。
根室には二泊しました。今の警察のところに上がっていくところで、天皇陛下を迎えました。天皇陛下が来られるということで、それにあわせて出ていったんだね。整列して頭を下げて、天皇陛下の顔なんか、ぜんぜん見えないね。車で通ったんだけどな。覚えてないねぇ。先生が「(頭上げて)いいよ」って言ったときには何にもいないんだ。
小さい頃から船が好きでね。十六の時に、根室さ来たときにさ、サケマスの独航船(どっこうせん)、あれが盛んなときでね、二十隻以上あったね。船が一艘ずつ形が違うでしょう。「この船好きだなぁ」って思ったのが「雄島丸(おしままる)」。
「雄」の字が好きで、俺の名前(秀夫)の「夫」の字、、なんで親父は「雄」にしてくれなかったんだろうって。この字が好きで好きで、自分の船ができたときは、この「雄」を入れたんです。「雄進(ゆうしん)」って自分の船に名前を付けたんです。
【聴き取りを終えて】
楠木秀夫さんのご自宅は根室市中心部から車で三十分ほど、納沙布岬(のさっぷみさき)に近い歯舞(はぼまい)という地域にあります。歯舞というと、私たちは歯舞諸島を連想しますが、歯舞諸島の名称は、この歯舞地区――昔は歯舞村といいましたが――に起因するので、じつはこちらが本家なのです。私も今回初めて知りました。
さて、楠木さんのご自宅、目の前は海です。私が訪問した平成十八年九月二十三日は決晴で、海岸には昆布(帰りに、おみやげに頂戴致しました。ありがとうございました!)が干されていて、遠く海がきらめいていたのが今でも心に残っています。
楠木さんからは、国後島での少年時代の思い出を中心にお話しいただきました。蟹工場で働く人々、お正月などの年中行事、キャンプ、修学旅行のエピソードの数々は、当時の豊かで平和な暮らしぶりを物語っています。
私が楠木さんのお話でとくに印象的だったのが、楠木さんの漁にかける想いの強さでした。若いころ、根室の港で独航船(どっこうせん)を見て、感激した時のお話、自分で船を持つようになったら、好きな「雄」の字を名前に付けるんだと語る楠木さんの目は少年のように輝き、私も聴いていて、胸躍る想いに駆り立てられました。
好きな船で漁をすることを生業(なりわい)とした楠木さんに転機が訪れたのは、いうまでもなくソ連の侵攻。島の豊かな海は閉ざされることになりました。しかし、楠木さんは果敢にも北の海に船を出します。ソ連の警備艇の追跡をかわしながら、根室港に逃れてくる様子などはまさに映画のワンシーンのようです。
ソ連が実効支配しているとはいえ、北方四島の海は日本のもの、日本人のものです。楠木さんもおそらくソ連の不法占拠に対する理不尽を思いながらの船出だったと思います。
しかし、現実は厳しく、ついに楠木さんはソ連に拿捕抑留(だほよくりゅう)されることに。長期間の抑留の末、船などを没収された楠木さんは、これを機に漁を断念します。
「あの海は違うんですよ。何が違うかというと、川が違う。川がいいと、魚が違う。ああ、おれももう一回、好きなだけ漁をやってみたいなあ」
インタビューの最後に発した楠木さんの言葉を聞いて、私は思わず涙ぐみました。本当に心の底から海を、漁を愛していらっしゃるその姿に打たれたのです。(盛池雄歩)
ヤマキ
ヤマキ木村屋が正式名称の商店。ヤマキは屋号。
白木屋
明治五年、漁場持柏屋藤野がつくった根室最初の商店。白木屋の名は「柏屋」にちなんで柏の字を白と木に分け、名付けられた。昭和三年には、コンクリート三階建ての百貨店となった。
落石無線
落石(現、根室市落石)に設けられた無線局。明治四一年、北海道、東北沖での航行(北米航路)の安全を図るために設けられた。ドイツ飛行船「ツェッペリン伯」号の世界一周旅行、リンドバーグの太平洋横断の際に交信したり、北洋漁業の操業に活躍した。
|
|