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ノズルを取り戻すためにロスケと交渉
 それを返してもらうのに、えらい目に遭いましたよ。でも我々は予備を持ってるのさ。だから、その予備をつけて根室に向かいました。ロスケは、夜はまったく出てこないんだけど、なぜかこのときは、夜に出てきたもんね。
 その前の話になるけどね、ちょうどロスケのいるところから見ると、ちょうどうちは島の出先に見える。そこへ船を繋いであったわけさね。
 昼は小屋の中で荷物を縛ったり、家で必要なものを荷物にしてしばったりしていたのね。そうしたら馬に乗って走ってきたものだったね。二人のロスケが来て、うちの船を見てね「乗って沖へ出ろ」と言う。何を意味しているのかわからないけれど、とにかく、ロスケを二人載せて沖に出た。
 私と丸山さんの息子さん、そして姉の亭主と三人で乗っていました。走らせているときは訳がわからなかったけれど、最後に分かったことは、牛を積んで逃げた船がいるから追えということだったんだ。へたに逆らうとやられると思って、仕方ないから、言われるとおりにした。でも、なかなか逃げた船というのは見えない。
 そのうち、一艘の船がだんだん近くなってくるわけさ。それが鉄砲を撃つ真似すんだ。だから「ダメだって、あれ根室からきた船だから。撃つな」って言ったら、「上を向けて撃つから大丈夫だ」って。荷物を積んだ船だって喜んでいるわけさ。
 そして、いよいよその船が近づいてくると、そこには松原さん親子が乗って、牛二頭を積んで逃げたわけだね。それがどうしてわかったのかというと、牛を二頭積んだけれども、一頭が暴れて海に落ちたんだよね。そこがちょうどシオマチといって、一番潮の流れが速いところだった。多楽(たらく)と志発(しぼつ)の中間辺りでね。
 牛は船に繋がれているから大丈夫だといっても、牛の胸のあたりに潮水が当たってさっぱり船が進まない。そこで、見つかっちゃったんだね。ちなみに、松原さんは同じ漁業をやっていた人で、親父が亡くなってからは、ヨードカリをつくるための薬の調合だとか聞きに行っていた、顔見知りの人だったんです。二人とも顔色は真っ青。ロスケにやられると思って。
 なぜ牛を放して逃げなかったかというと、根室に持っていけば、肉がないから金になると思ったそうです。思い切って一頭おいていけば捕まらないで済んだのにさ。そして、ロスケはというと、その船を引っ張って帰れというわけさ。
 ロスケの言うことに対して、だめだって言うわけにいかんから、「松原さん、悪いけど引っ張ってくから」って言って、古別(ふるべつ)*というところまで帰った。ロスケの駐在していたところにね。
 そしたら「お前たちの船はいい船だから、帰ったら米を一俵ずつやると。そして、そのほかに、この死んだ牛もやると。今度は船を乗り上げて、米三俵をすぐ放り投げてくれてくれたよ。
 牛もくれるというけれど、船には積めないということで、うちに帰ってカマスと包丁を持ってきて、いいところの肉だけもらうべってね。我々三人はいったん帰って、カマスと出刃包丁をもってきたわけさ。
 
古別湾を見下ろす
 
 そうしたら、もう牛の影かたちないのよ。聞くと、近所の人たちにみんなくれたって言うんだよ。なぜかロスケのいる駐屯地の近くの友達に聞いたら、「ロスケが『ヤル』って言ったときに、おまえさんたちはもらわなかった。だからだめなんだ」とさ。ロスケはそういうものなんだと。
 肉はもうないのか聞いたら、あるというから一切れもらって、その晩に食べたんです。その後に、さっき言ったノズルがとられちゃつたわけさ。
 そして、次の日に言いに行ったんですよ。酒の一升瓶を持ってね。ロスケに捕まったら酒をやったら勘弁してもらえたと聞いたからね。だから、そのために、いつも一升瓶を一本積んであった。それを持っていってロスケの所までいって、きのうの友達を呼んで、ノズルをとられたことと、一升瓶を持ってきたから、ノズルを返してくれるように言ってくれって言ったら、一人のロスケが来た。
 一升瓶をやったんだけれど、「飲んでみろ」というんだ。だから、酒の口を切って、コップについで飲んでみせたんだ。そうしたら「わかった」って言ってもらっていった。でも、ロスケはいっこうにノズルを返そうとしないから、返せと言ったら、「だめだ」っていうんだよね。
 わけを聞くと、「あのとき、ちゃんと米をやって礼をしたじゃないか」と。まあ、予備のノズルも持っていたし「まあいいや、帰ろう」って、そして、その晩に根室に逃げて来たんです。
 
【聴き取りを終えて】
 富山さんは根室市の生まれ。根室市内に居を構え、多楽島と行き来をする生活をされていました。春、島に渡り、冬は根室で身体を休める。そんな島と根室での生活や漁業について教えていただきました。
 お話を伺って、ロシア兵に島を追われるシーンと同じくらい衝撃的だったのは、根室で遭った大空襲の際のお話でした。
 終戦の年の一ヶ月前、根室を焼き尽くした大空襲。根室は北方の島々への兵站基地としてきわめて重要な町でした。当然、米軍は根室を重視し、二日に渡って猛攻撃を加え、根室の町は完全に焦土と化しました。根室空襲は北海道の空襲のなかでももっとも大規模で、最大の被害を被ったと言われています。
 その空襲の際、入った防空壕によって分けられた生死。目の前でお父様やお姉さま、姪御さんを亡くされた衝撃は、たいへんつらいお話で、私も涙してしまいました。こんな悲劇に立ち合いながら、富山さんは同時に甥や姪を守らねばならないという使命も芽生えていらっしゃったと回想していらっしゃいました。このお話に、私はたいへん感動しました。
 また、島を追われた際、ソ連兵との取り引きは、経験されたご本人しかわかり得ない恐怖だったことと思います。
 歴史資料で多少は北方領土について学んでいったつもりでしたが、富山さんの生活にソ連兵が入り込んできたという生々しいお話を聞き、次々と疑問が湧いてきて、知りたいことは尽きませんでした。
 それを補ったのが『「たらく」物語* その風土とくらし』です。富山さんがまとめられた本です。貴重な最後の一冊であったご著書を、ご無理を言って貸していただきました。本稿をまとめる上で参照させていただきましたが、富山さんの語る言葉の端々に込められた多楽島への想いというものをあらためて痛感しました。
 ご著書のあとがきに書かれた「不法占拠された古里(故郷)の北方四島(領土)が一日も早く返還される事を祈念致しまして終わらせて戴きます。」という一文に込められた富山さん熱意を私たちも語り継いでいきたいと思います。
 学生時代のお手伝いや昆布漁、隣近所とトドを分けて食べたお話、他の家族との交流・・・。皆様にも、島でのこの平和な生活が奪われてしまった事実と、現在起きている問題を、富山さんの聴き取りから感じていただければ幸いです。(和栗由美子)

古別(ふるべつ)
 多楽島南海岸中央部の地域。
 
「たらく」物語
 富山清人さんが編集発行した書籍。多楽島に関するさまざまな記録・記憶がまとめられている。平成十七年九月発行。


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